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父親

 喜多と小十郎が、片倉家再興を姉弟二人で誓い、その生活を開始するにあたって、喜多としては、亡き父景重の兄、本家の片倉景親のことが当然のごとく頭に思い浮かんだ。

 景親が差しのばしてくれた善意を拒絶することになってしまう。

 そのことを思うと、いくら決意が固いと言っても、喜多も引け目を感じないではいられなかった。


『景親殿が機嫌を損なって、こちらの愚かさや非礼を咎めて、罵倒されるかもしれない。』と喜多は、景親が激昂する姿を想像した。


 自分が信頼もし、尊敬もしている一族の長に、自分たちが決意した方針について、罵られることは、情けないことだった。

 情けない気持ちになるならまだしも、こちらも逆上してしまって、意地になって反論し、景親と衝突して、そのために対立関係なってしまうことは、どのように考えても不本意なことだった。

『そうならないことだけは肝に銘じなければならない。』喜多は思った。

 とにかく、こちらの方針を伝えずに、差し出された善意を放置したままにしておくというのも、もっと失礼に思えた。


『怒られることを覚悟で行かなければ。』喜多は決意した。


 喜多は片倉景親の屋敷を訪れた。

 景親みずからが出迎えてくれて、やさしく部屋に通された。

 よもやま話で始まったが、喜多も景親もお互い、喜多がこの日何を話しに来たかは承知の上だったので、それも長くは続かず、本題へと切り込むことになった。

「で、わしの言ったことは考えてくれたかね。」景親は問いかけた。

「はい、今日はその返事のために参ったのです。」喜多は答えた。

 景親は喜多の眼をじっと見た。

 喜多はその眼をまっすぐ見返した。

「そうか。」と一言だけ言って、景親は喜多に微笑んだ。

「え。」喜多は意表を突かれた。

 景親のその言葉は、喜多の言おうとしていることを理解して受け入れてくれたという口調であったからである。

「もう、よい。喜多、みなまで言う必要はない。」景親は続けた。「言えば、もめるだけだ。」景親はやさしく諭してくれた。

 やはり、景親にもう伝わっていたのである。

「はい。」喜多はなぜか、涙が出そうになった。

 景親に罵倒されても、当然であると自覚しているのに、その景親が怒ることなく、喜多のわがままを受け入れてくれていた。

 それには、景親の深い考えがうかがい知れた。

 それを、自分の意志の強さが、相手を説得させたとは、とても解釈できなかった。

 自分の方はわがままで意地を貫いているだけに対して、相手の景親の方はそれに意地で返してぶつけてくるのでなく、引き下がって受け止めてくれたのである。

「かたじけなく存じます。」喜多は深々と礼をした。


 そのあと、景親は小十郎を一人前の武将に育てていくにあたって、主家伊達家との関係など大切で省略できない事柄を説明してくれた。

 喜多はそれをしっかりと記憶に刻み込んだ。


 帰りも景親が直々に見送ってくれた。

「今日は、ありがとうございました。」喜多は素直に心からの謝意を述べた。

「うむ。」とだけ景親は言った。

「では。」

「喜多。」景親が喜多を呼び止めた。

「はい。」喜多はふり返った。

「意地を張らず、困ったことがあったら、すぐにわしのところに相談に来るのだぞ。」景親は心配して言った。

「はい。ありがとうございます。」喜多はもう一度礼をした。

 最後に景親がするどい口調で言った。

「死ぬでないぞ。決して。」

 喜多には、自分のことながら、景親の懸念が実感をもって伝わってきた。

「はい。」


 喜多が屋敷に戻ると、小十郎がいつからそうしていたのか、とてもくたびれた様子で、門の前で行ったり来たりしながら、喜多の帰りを待っていた。

 喜多の姿を遠くに見ると、「姉うええー」と一目散に駆けつけてきた。

「ただいま戻りました。小十郎。」

「お帰りなさい。姉上。」小十郎は喜多の姿を見て安心の笑みを浮かべた。


『これからが、始まり』喜多は心の中でそうつぶやいた。


 それから数日後、片倉景親の屋敷では、景親がぶつぶつと独り言を言いながら、一人で出かける姿が見受けられた。

 家来の者が「どこへいらっしゃるのですか。」と尋ねても、その言葉を手でさえぎり、「構わぬ。一人で行く。」とだけ答えて出て行った。

 再び、ぶつぶつと独り言を言い始めたので、家来が耳を澄ましてみた。

 すると、「わしが、頭を下げれば丸く収まるだけのこと。」とつぶやいているように聞こえたという。

 その日は、夜遅く、景親は屋敷へ帰ってきた。

 どこで飲んできたのかのか、お酒が入り、とても上機嫌であった。

 

 だが、その日のことを、景親は一切、誰にも話そうとしなかった。


 喜多と小十郎は、二人で誓った片倉家再興に向かい、本格的に姉弟二人での生活を開始した。

 小十郎はまだ幼かったが、これがきっかけとなって、精神的に成長したようにも見えた。

 喜多もまた、精神的に新たな境地に入ったように自覚した。

 自分の選択した道を、一歩一歩進んでいくつもりでいた。


 だが、現実の厳しさは容赦してくれなかった。

 小十郎は日々成長した。

 それとともに、何かと支出は増えていくことを思い知らされた。

 食事、衣服、それだけでも喜多の予想を超えた。

 三月、半年と時が経つにつれて、扶持米はもちろんすぐに使い切ってしまい、蓄えも使い込んでしまっていた。

 このままでは、喜多が予想していたよりも早く、蓄えが尽きる日が来るのが目に見えてきた。


「なんとか、しないと」

 喜多の表情に悲壮感がにじみ出るようになった。

「だけど、これは覚悟していたこと。」

 喜多は決意を新たにした。


 喜多には景親の最後の言葉が忘れられなかった。


『死ぬでないぞ。決して。』

 景親は喜多にそう言った。


 それは暗示、予感かもしれなかった。


 ある日のこと。

 背の伸びた小十郎が、袖丈の合わない小さくなった衣服を、子供の無邪気な笑顔を見せて不格好に着て見せた。

「どうです。姉上。」と小十郎はその滑稽さを承知の上で、喜多にくるっと回転してみせた。

「フフフ、小十郎、それではひどすぎます。」喜多は小十郎の心をくみ取って、面子をつぶさないように応じつつ、笑って見せた。「さ、新しい衣服に着替えなさい。」

「でも姉上、衣服など、なくても何とかなります。」

 小十郎も喜多の様子を察していた。

 二人はささやかなことで何とか労り合っていたのである。


 小十郎は喜多に誓った通り、貧しさを理由に泣き言など決して言わなかった。

 いつも明るく、強く振る舞っていた。

 振る舞おうとしていた。

 喜多にはそのように見えた。


「姉上、」服を着替えた小十郎が喜多を呼びに来た。

「どうしました。」

「玄関に、鬼庭殿という方がおいでになっています。」

「おに・・・」喜多は慌てた。「ま、まことですか。」

「はい。」小十郎が嘘を言うはずがなかった。

 喜多は急いで玄関に回った。

 そこには、鬼庭良直が立っていた。

「父上!」喜多は思わず、大きな声を出してしまった。

「喜多様、お久しゅうございます。」良直の供の者が喜多に話しかけた。

「作蔵ではないですか。」それは、喜多が鬼庭家にいたころから仕えていた家臣であった。

「なつかしい。」

「喜多、元気そうじゃの。」良直は喜多に話しかけた。

 良直は喜多の後ろで、訳が分からず混乱した様子の小十郎に眼をやった。

「あ、」喜多も良直の視線で、小十郎のことを思い出した。「弟の片倉小十郎でございます。」

「小十郎、挨拶申し上げなさい。」

「はい、片倉小十郎でございます。」小十郎は深々と礼をした。

 そして、「姉上は先ほど、このお方を『父上』とおっしゃってましたが、」と尋ねた。

「ははは、知らないのか。」それを聞いて、良直が笑った。

「喜多、教えておらぬのか。」

「はい。」

 喜多は『もちろんです。』と言いそうになったが、言わずに飲み込んだ。

「とにかく、お上がりください。何もございませんが。」と喜多は良直と作蔵を促した。

「では、お言葉に甘えて、そうさせてもらおう。」良直が作蔵を見た。

 作蔵も頷いた。


 良直と供の作蔵、喜多と小十郎の四人が向かい合って座って、切り出したのは良直であった。

「喜多、まず、この鬼庭良直のことを小十郎に説明した方がよかろう。」

 多感な時期でもあるので、『いずれ成長したら、』と先延ばしにしてきたことを突然告白しなければならなくなってしまったが、この期に及んでは隠したり偽ったりするべきではなかった。

 喜多は、小十郎に自分たちが異父姉弟であることを説明し、目の前にいる鬼庭良直が喜多の実の父親であることを告げた。

 小十郎は黙って聞いて頷いていた。

 動揺することもなく、受け入れているようであった。

『もしかしたら、すでに誰かから聞いていたのかもしれない。』喜多はふと思った。


「それでは、鬼庭様が姉上の父上ということは、小十郎にとっても父上ということでよろしいのでしょうか。」小十郎は素朴に尋ねた。

「そうです。義理の父上ということになるでしょう。」喜多は補った。

「では、鬼庭の父上とお呼びしてもよろしいでしょうか。」小十郎は屈託なく、良直に問いかけた。

「ふふふ、それがよかろう。」良直が答えた。

「では、鬼庭の父上、よくお越し頂きました。」小十郎は頭を下げ、「これからもよろしくお願い申し上げます。」と改めて挨拶をした。

「うむ。」良直は頷き、喜多に向かって「なかなか利発な子のようだな。」と言った。

「お褒めに預かり、恐れ入ります。」喜多は答えた。

 良直は小十郎の丈夫そうな体つきを見た。

「小十郎、武芸はどうだ。得意か。」と小十郎に問うた。

「は、我が家は貧しいため、道場には通えませんが、姉上が直々に教えてくださっております。」と小十郎は正直に答えた。「姉上がおっしゃるには素質があるとお褒め頂いております。」

「ハハハ、そうか。」良直は笑った。

「そう、そう、ここにいる作蔵は、こう見えて鬼庭家中随一の剣の使い手」

「お戯れを」作蔵は反応した。

「少し、小十郎の筋をみてやったらどうだ。」良直は提案した。

「はい、ぜひ、よろしくお願いします!」小十郎は飛びついた。

「喜多、よいかな。」

「どうぞ、こちらも望むところです。」喜多も作蔵のような腕利きに小十郎の力量を評価してもらいたかった。

「では、お庭にて。」作蔵は微笑んで、小十郎を促した。


 作蔵と小十郎が庭で剣の型などの稽古を始めた。

 良直と喜多はその様子を部屋から眺めた。


「父上が、お見えになったのには、何か理由がおありですか。」喜多は、十年来会わなかった父が突然、訪問したのには何か訳があるのだろうと思った。

 それを聞きたくなった。

「綱元。」良直は伝わらないと思い、「お前のもう一人の弟だが、・・・」と加えた。

 喜多はそれを聞いて、『そうだ、鬼庭家にもう一人、私の弟がいたのだった』と思い出した。

 小十郎とはほど遠い、縁のない異母弟。

「十を超えて、武芸だけでなく、書もたくさん読むようになった。」

「はい。それは喜ばしいことです。」


 良直の話はこうだった。

 息子の綱元のためにいろいろと書物を集めるようになって、それがかなりの冊数になっている。

「二百はある。」

「そんなに。」

 良直は続いて、「しかも、まだ増えるだろう。」と付け加えた。

 ここまで、そろってくると、綱元だけのためではなく、鬼庭家、延いては伊達家のために文庫(今の図書館)として整備しようと良直は考えた。

「だが、今、手許の書は綱元が書き込みをしている。」もともとは勉学用に与えた書なので、本人が使い込んでいるのである。


「そこでだが、」良直は本題とばかりに乗り出した。「お前、片倉景重殿が存命中に八幡宮の書籍の写本をしていたらしいな。」

「はい。」喜多は話の展開が思わぬ方向に飛んで、面をくらった。

「今でも、その時の写本を人に貸していると聞いた。」良直は続けた。「評判がいいらしいの。」

「ありがたいとは言われてます。」喜多にすれば善意で行っていることだった。

「どうだ。この鬼庭家の文庫の写本を手伝ってはもらえぬか。」

「え、」話がここに来て、喜多もようやく理解した。

「お前は手習いも達者だし、写本がうまいという評判もある。是非とも引き受けてもらいたいのだ。」良直は喜多に頭を下げた。

「お顔をお上げください、父上。」喜多はすぐに答えた。「わかりました。この喜多が断るはずもありません。」その通り、喜多には断る理由はなかった。

「おお、そうか、引き受けてくれるか。お前がやってくれるなら、安心して任せられるな。」

 良直は更に付け加えた。

「もちろん、紙代のかかることだし、謝礼は受け取ってもらうぞ。」

「え、は、はい。」喜多は良直の気勢に押され、返事した。

「ただ」喜多はこのことも考えていたので、それに気をとられていたというのもあった。

「一つお願いがあります。」

「なんだ。」

「はい、その写本の期限などは必ず守りますゆえ、写本をもう一冊作ることをお許しいただきたいのです。」

「ほう、なぜじゃ。」

「はい、あの小十郎の勉学のために使いたいのでございます。」

 良直も小十郎の方を見た。「おお、なるほど。」

 小十郎は作蔵に見守られて、教えてもらったばかりの剣の型を練習していた。

「よかろう。」良直は笑顔になった。「これで話は決まったな。」


 喜多にとっては急に将来に対する明るい展望が開けたような気がした。

 父親良直の写本を請け負うことによって、多少なりとも収入を得られる見込みが立った。

 それだけでなく、書物の写本が作成できれば、小十郎の勉学の質を落とさずに済みそうであった。


 久しぶりに喜多の心の奥からとても大きな重しがとれたような感覚になった。


 その日は、喜多が泊まっていくように強く勧めたが、居城である川井城に戻らなければならないと良直は辞退した。

 喜多と小十郎が、良直と作蔵を見送った。

「では、これからは作蔵が月に一度ほど訪れるようにする故、作蔵を通してやってくれ。」良直は告げた。

「かしこまりました。」喜多は返事した。

「では、喜多様。今後ともよろしくお願い致します。」と作蔵。

「こちらこそ。」作蔵を信頼できる家臣と心得ている喜多は窓口が作蔵で安心した。

「では、小十郎殿、今日教えた型を来月までにしっかり練習しておくのですぞ。」作蔵は小十郎の肩に触れながら言った。

「はい。作蔵師匠。」

「ははは、もう作蔵師匠か。作蔵、弟子が一人出来たな。」良直は大きく笑った。「小十郎、師匠に恥をかかさぬように武芸に励めよ。」

「はい、鬼庭の父上様。」

「ははは、本当に小十郎には敵わぬな。」


 鬼庭良直と作蔵は帰った。


 喜多が懸念していた大きな問題。

 収入を得ること、小十郎の教育、武芸をどうするか、勉学をどうするか。

 それらのすべてについて、この日、展望が開けた。

「何とか、なりそう。」


 喜多は心の中で、亡き父景重、亡き母直子に報告した。

『父上、母上、何とかなりそうです。ありがとうございます。』


 そして、喜多はもちろん気づいていた。

 それが鬼庭良直によってもたらされたことを。


『父上、ありがとうございます。』


 鬼庭良直は夜の道を、居城川井城に向けて、作蔵と歩いていた。

「ようやく、喜多に父親らしいことをしてやることができた。」良直は独り言とも聞こえるように言った。

「喜多様の喜んでいるときのしぐさは、幼きころと変わっていませんした。」作蔵は答えた。

「表には出されていませんでしたが、喜多様は喜んでおられました。」作蔵は良直を見て言った。

「そうか。」良直も作蔵をじっと見た。

「お前を連れてきてよかった。」とそっと言った。

「恐悦。」

「景親殿には借りができたな。」良直がまた独り言ともとれるように言った。

「向こうも、殿に借りができたとお思いでしょう。」作蔵は答えた。

「ハハハ、そうか。」良直は豪快に笑った。


「この年になって、よき友と巡り会えたものよ。」


 良直は星に包まれた夜空を見ながら、あの日、片倉景親と酒を酌み交わした夜のことを思い出すのであった。

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