誓い
直子の葬儀は喜多と小十郎の二人だけでひっそりと執り行われた。
喜多が本家である片倉景親邸に赴き、その旨を告げたときは、景親は何か言いたげな様子を見せてはいたが、黙って了承していた。
ただ、喜多の帰り際に、「日を改めて、出向かせてもらうぞ。」と景親は告げた。
「はい」喜多は景親の眼を見て答えた。「いつでもお越しくださいませ。」
しばらく日が経って、約束通り、景親が一人で喜多の屋敷を訪れた。
「景重と直子殿の霊前に焼香をあげようと思っての。」景親はやさしい声で言った。
喜多は景親を仏間に通した。
小十郎が屋敷をちょこちょこと動き回って、ふすまの影や壁に隠れて景親の様子を探っているのがわかった。
喜多はそれがおかしくて、笑いそうになった。
景親は景重と直子の位牌に向かって、厳かに手を合わせた。
そして、景親は喜多の方に向き直った。
景親は喜多に深々と頭を下げ、「済まぬ。申し訳ないことをした。」と切り出した。
喜多は驚いた。景親にそのように言われるとは思ってもいなかったからである。
「なにゆえ、謝られることがあるのです。」喜多は恐縮して尋ねた。
「この景親が、無理矢理にでも、そなたら母子をこちらに引き取るべきであった。」
景親はしみじみと後悔の思いをにじませて語った。
「そうしていれば、直子殿もこのようなことには、ならなかったであろうに。」
景親は『そうであろう。』と同意を促すように喜多を見た。
「されど、」喜多は毅然とした態度で答えた。「それは母上とわたくしが選択して行ったこと。景親様に落ち度はございません。」
喜多はきっぱりと言い切った。
その言葉を聞いて、景親は喜多をまっすぐに見た。
喜多も景親を見返した。
景親は、小さなため息をもらしたように、あるいは小さく唸ったように聞こえた。
景親は喜多に、「喜多は今年でいくつになった。」と尋ねた。
「二十三になりました。」
喜多はもう二十三歳になっていた。鬼庭の家を出てから、もう十年以上経っていた。
「二十三の若さで、」景親が切り出した。「幼い弟を養いながら、片倉家を守っていこうという心がけは、それは立派なものだ。」
景親は続けた。
「とはいえ、直子殿に襲いかかった現実の厳しさから、眼を背けるわけにもいかぬ。」
そして、喜多をしっかりと見た。
喜多は、景親の気持ちが理解できないわけではなかった。
寧ろ、景親の言おうとしていることはよくわかっていた。
「わしには、そなたが、」景親が切り出した。
「景重の片倉家にこだわる気持ちもわかる。
景重は、我が弟ゆえ、その気持ちはうれしいし、ありがたくもある。
だが、このままでは、こちらが援助の手を差し出すことができぬ。」
この戦国の世では、いくさや病いで家督を支える男がいなくなってしまう家は少なくなかった。景親の親戚縁者にもそのような家はたくさんあった。
弟の家だからと言って、経済的に援助すれば、あちらもこちらもと、援助の要請が殺到してしまう。
それでは、家督制度自体が成り立たなくなってしまう。
家督を独立させている以上は、その維持はそれぞれの家の自己責任である。
それが大前提である。
「喜多は、わしが後見となってよき婿を探し、立派な縁組をして、自分の子を産み、その子を育てていって欲しいと思っておる。
小十郎は、本家で引き取り、立派な武将に育て、必ずやどこかの名跡を継げるよう、取りはかろう。それが適わぬなら、また分家もさせよう。」
そう語って、喜多をしかと見た。
景親は弟景重の片倉家を廃し、喜多達を引き取って面倒を見ようと提案しているのである。
「わしの説く行く末は、そんなに悪い話だろうか。」
景親は問いかけた。
「わしは、そなたらを心配しておる。
わしから見れば、喜多も,小十郎も若い。わしにとってはそなたら二人は片倉家の未来よ。
その二人の未来を守るのも、本家である、この片倉景親の役割。
そう思ってはもらえぬか。」
景親は熱く語り、喜多は聞いた。
「景親様のおっしゃることは分かりました。ただ、考える時間をください。」
この日の喜多の答えとしては、これで精一杯だった。
景親は一呼吸おいて、
「いいだろう。」と大きく頷いた。
喜多と小十郎が並んで、景親を見送った。
景親は小十郎を見て、「目元は直子殿に似ているが、雰囲気は幼きころの景重に似ている。」と、眼を細めて懐かしんでいた。
その日の夜、喜多は一人、思い悩んでいた。
家が裕福ならば、答えは決まっていた。この景重の片倉家を守り通すということだった。
だが、そうではない。この片倉家は貧しかった。
このまま、喜多一人で、小十郎を立派に育て上げられるか、と自分に問いかけても、できる、とはっきり言い切れる自信はなかった。
景親殿は信頼できる。
これもあった。景親殿を頼れば、決して悪いようにはならないと信じることができた。
景親殿が投げかけた喜多の未来、結婚して、子供を産み、子供を育てる、そんな光景が喜多の心の中で光り輝いても見えた。
心は揺らいでいた。
だが、母、直子の最期の言葉、それも忘れることはできない。父、景重の思いも大切にしたい。
いざとなったら、自分が死ぬ覚悟で小十郎を育てるべきではなかろうか、とも自問した。
「姉上。」
喜多は我に返った。小十郎が部屋の外から自分を呼びかけたのである。
喜多は立って、襖を開けた。小十郎が控えていた。
「どうしました。こんな夜遅く、もう寝たのでなかったのですか。」
小十郎は喜多を見上げた。
「姉上、お話があります。」
「何ですか、改まって、」喜多は小十郎にただならぬ気配を感じた。「とりあえず、中へお入りなさい。」小十郎を部屋の中へ促した。
喜多と小十郎は向かい合って座った。
「どうかしましたか、小十郎。」喜多はやさしく問いかけた。
「あ、姉上は、お嫁に行かれるのですか。」小十郎の声は震えていた。
「どうして、そのようなことを。」唐突な小十郎の質問に喜多は戸惑った。
「姉上、。」小十郎は喜多を呼びかけた。
「はい。」喜多は構えた。
「小十郎は、片倉家の跡取りになりとうございます。片倉家を継ぎとうございます。」
小十郎の眼は必死だった。
「強き男になって見せます。立派な武将になって見せます。
だから、だから、これからちゃんと姉上の言う通りにします。姉上に言われたことを守ります。だから、小十郎は、小十郎は、」
小十郎の眼は涙ぐんでいた。
喜多はしっかりと小十郎を見た。
「小十郎。」
「はい。」小十郎も喜多を見た。
喜多の腹は決まった。今の、弟小十郎の姿を見て、自分が取るべき選択を確信したのである。
「そうです。小十郎にはこの片倉家の立派な跡取りになってもらわねばなりません。」
「はい。」小十郎は、眼を輝かせ、うんと大きく頷いた。
「されど、小十郎も知っての通り、我が家は貧しいのです。」
喜多は小十郎に覚悟を促すような口調になった。
「それに、父も、母も、もういらっしゃいません。わが家は私とあなたの二人きりです。
二人で、強く生きていかねばならないのです。」
「はい!」小十郎は立ち上がるかの勢いで返事をした。
「小十郎、貧乏でひもじい思いをしても、それに決して負けないと、この姉上に誓えますか。」喜多は小十郎に問いかけた。
「はい!」小十郎の答えは決まっていた。「誓います!」
「小十郎、父上がいないから、母上がいないからと言って、めそめそしたりしないと誓えますか。」
「はい!誓います。」
「強き男、立派な武将になると誓いますか。」
「はい、誓います。」
「学問を怠らず、武芸に励むと誓いますか。」
「はい、誓います。」
喜多は小十郎に笑顔を見せた。
「小十郎、あなたの決意、この姉上にも、よくわかりました。」
小十郎に向かって両手を広げながら、「姉弟二人でがんばってここで生き抜いていきましょう。」と言って、両手を小十郎に差し出した。
「こちらに、おいで」喜多はやさしくささやいた。。
「姉上ぇ。」
小十郎はすぐに喜多の胸に飛び込んできた。そして、強く喜多に抱きついた。
「姉上、小十郎は誓います。姉上に言われたことは何でも誓います。
だから、だから、どこにもいかないでください。
小十郎を捨てないでください。」
小十郎は、喜多の腕の中で泣いていた。
父親の頼もしさ、母親の暖かさを、もう知ることはできない不憫な小十郎。
小十郎にとっても、もう喜多しかいなかったのである。
「小十郎、大丈夫ですよ。姉上はどこにも行きません。」とやさしく諭し、喜多は小十郎を抱きしめてあげた。
小十郎は、背中をしゃくりあげながら、泣き続けていた。
叔父の景親が喜多に想像させた、自分の結婚と出産と育児という人生の残像、それがこの瞬間喜多の心から消え去った。
今、心の中で、喜多の後ろには、父景重と母直子が寄り添うように立っていた。
二人はやさしく微笑んでいた。
喜多はもう一度、胸の中で泣く小十郎を包み込むように抱きしめた。
喜多は心の中でつぶやいた。
『これが、私の歩むべき道』
それは、喜多にとっても「誓い」であり、もう「迷い」はなかったのである。




