気付いてしまったその事実
沈黙が、リビングを支配する。何か話した方がいいのだろうか――考えていると、後方から扉の開く音が聞こえた。振り返ると、神妙な面持ちの玲香が立っていた。
彼女は僕を見て、皮肉気に微笑む。
「や、色男」
どうやら彩水が話したらしい。冗談っぽく言われた僕は、何も言い返せない。
自覚が今までなかったし、僕がどうにかする前にどんどん話が進んでいく。
狼狽える様子の僕を見て、玲香は嘆息混じりに告げた。
「冗談は置いとこうか。とりあえず彩水は落ち着いたから戻って来た。ただあの様子だと、下に来るような真似はできなさそうだけど」
「……そう」
僕は小さく息をついた。大暴露された上に、姉の心情まで知ってしまったのだ。部屋から出れないのは当然かもしれない。
「で、これからどうする?」
玲香は僕の前の椅子に座り、問う。僕は玲香の見返しながら答えた。
「僕らにできるのは、騒動一つ起こさないよう静観することだけだよ」
「そう」
先ほどまで騒動の中心にいた玲香は素っ気なく答え、兄を見ながら話を続ける。
「薬ができるのは早くても二時間後くらいなんでしょ? 今から作れば夜には間に合うから親にも誤魔化せるし、私も何事も無く帰れるからお兄さんにはそうしてもらいたいんだけど」
「……そういえば、ご両親のこと考えてなかったね」
僕は思い出したように言う。
そうだ、時間は思ったよりも少ない。変化は少ないといえ、玲香は今容姿が通常とは異なる。そうした姿を見て、玲香の両親がどういう反応をするのか――さすがにここは、判明する前に戻した方がいい。
「確認するけど、玲香の両親は家にいなかったから、共働き?」
「そうだよ。それと夕ご飯は外で食べなさいって連絡受けているから、今日中にどうにかしてくれれば……彩水の家のことは知っているし、そこでご飯を食べたと言えば、夜の八時九時くらいまでは大丈夫」
「それまでには、決着をつけたいね。色んな意味で」
僕は応じながら兄を見た。視線に気付いたのか、ふいに立ち止まってこちららを見る。
「薬の件か?」
「うん。作るの?」
「そうだな。これ以上あまりデータも出ないだろうからな。やめにするか」
僕はほっとした。マイペースな兄なので「いや、今日は一日そのままで」とか言われるのを少し危惧していたのだ。
あるいは、しゅんとしている静奈さんを見て、思う所があったのかもしれない。兄は古馴染みである静奈さんについては、基本的に言うことを聞く上、従う。今回の元凶は静奈さんかもしれないが、彼女が落ち着き始めた現状では、兄も潮時だと判断したのだろう。
「それじゃあ早速だが作って来よう。ああ、それと薬を入れたジュースに関してだが」
兄は言うと、僕に近づき何かを差し出した。小さいビンに入った、透明な液体。
「これをジュースに入れれば中和される。入れるのは数適で十分だ」
「……これは、事前に作っておいたの?」
「ああ」
どうして中和とかいう薬を作って、変身を戻す薬を作らないのか。僕はツッコミを入れたくなったが、どうにか堪え了承する。
「わかった。僕が入れておくよ」
「ああ、それでは待っていてくれ」
「うん、頼むよ」
兄は部屋を出て行った。
残されたのは僕ら三人と、相変わらずソファに座るおばさん。僕は薬を片手に立ち上がると、台所へ向かう。流しに置いてあるジュースにその薬を入れていく。変化は無かったのだが、兄を信用するしかない。
全部入れ終えると、僕は薬も流しに置いた。持っておくのは怖いし、家には事情を知っている人ばかりだから大丈夫だろう。
「これで、完了だな」
改めて呟きながら、ジュースを眺める。
ジュースは全部で三種類。その中トマトジュースだけ異様に量が減っているのは、彩水が結構飲んだためだろう。
桃色と黄色は確か玲香の家にあったジュース。それは同じ分量残っている。
「……ん?」
何気なく、違和感を覚えた。
今まで立て込んでいたので思案してこなかったが――はたと事実に気付き、慌てて二つのジュースを手に取り、玲香と静奈さんがいるテーブルに向かう。
「どうしたの?」
血相を変えた戻ってきた僕を見て、玲香が問う。対するこちらは無言でジュースを机に置いた。
「玲香。どっちのジュースを飲んだ?」
「え? 私? 桃のジュースだけど」
「どのくらい飲んだ?」
「コップ二杯分くらい」
「最初、ジュースの量って同じだった?」
「うん、同じだった……けど……」
玲香も気付いたのか、ジュースの入った容器を眺め、見る見る内に表情が変わっていく。
静奈さんも会話で推測がついたのだろう。口元に手を当て、じっと容器へ視線を送る。
当たり前だがコップ二杯分ジュースを飲んだのなら、もう片方と量が釣り合っているのはおかしい。つまり、黄色いグレープフルーツジュースの方は、桃のジュースよりも量が多くなければいけない。
そういう推測に行き着いて――僕は玲香へ問う。
「もしかして、なんだけど」
「……そうね。飲まれたという解釈で良いと思う」
静かに玲香が立ち上がった。その事実が、重大だと言わんばかりに。
「玲香。誰が飲んだとか、候補ある?」
「昼までに帰ってこれるのは、私か幸一しかいないよ」
幸一――彼女の兄の名を呼び、僕は言葉を失った。生粋のトラブルメーカーであるはずの玲香の兄、幸一先輩。そして最後に残っているこのジュースの効果は――
「すぐに幸一先輩の下へ向かおう。場所はわかる?」
「今は多分部活だと思う。今日のサッカーは午後からだったから、一度家に戻って来ていたはずで、その時に飲んだとしか」
「わかった。学校だね」
僕と玲香は互いに顔を見合わせ、同時に頷く。
「行こう。それと静奈さんは、おばさんの見張りをお願いします」
「わかった……けど、大丈夫?」
「うん。それと玲香。さすがに彩水は……」
「無理だと思うよ」
仕方が無い。それに、服装が大幅に変わっている彼女を学校でさらし者にするわけにもいかない。二人で向かうことを決意する。
僕達は彩水の家を出た。携帯電話の時刻を確認すると、四時半だった。
「村山さん、部活って何時まで?」
「五時か、六時だと思う。日が高いから六時半まであるかも」
「わかった。それなら今から行っても間に合うだろうな」
僕と玲香は会話をしながら外へ出た。
外はなおも暑い。陽も五時前だというのにさんさんと降り注いでいる。だけど、僕の首筋に流れる汗はそれとは無縁の、紛れもなく悪寒から引き出されるものだった。




