連関は境界を結ぶ共鳴か-2
……誰だ、あれ。
入り口で見知らぬ若い男を見た瞬間、俺は足を止めずにはいられなかった。
……山村の身内か? それとも、同業者か? ……いや、それにしてはちょっと若そうだな。
だったら、新入りのバイトか何かか?
でも、こんな小さな店でバイトを雇うだろうか。
俺は店の奥に立つ男へ、もう一度目をやった。個人経営の山村楽器は、どう考えても人を雇うような店ではない。広さだってそこまで無いし、いつもならレジの対応も、修理も、電話の対応だって、全て山村が一人でどうにかしている。
客が何人も押し寄せて、レジに行列ができるところなんか見た事が無い。いつも山村は暇そうに、レジの奥に座って新聞を読んでいるか、棚の引き出しを引っ張り出しては何かを探しているか、あるいは俺とダラダラと雑談をしているのに。
……だったら、あの男は何モンなんだ?
俺は少し考えてみたが、考えたところで全く見当が付かなかった。
——まあ良い。今はそんな事より、ピックだ。
俺はその疑問をすぐに頭の端に追いやって、いつもの棚へ向かった。
入り口から左に進んで奥まで行くと、ギターのアクセサリーコーナーに辿り着く。大きな黒いギターケースが幾つも並んだ床を避けて進んだ先に現れたのは、目がチカチカする程に鮮やかな空間だった。
低い天井から、色とりどりのストラップが何本もだらりと垂れている。その横にはクロスやチューナーが詰め込まれるように並んでいて、更にその隣の棚には、色ごとに分けられたピックがずらりと並んでいる。
そう、これが俺の求めていた棚だ。
俺はその中から、紫のティアドロップのコーナーを探して鷲掴みにした。
俺はピックを買う時はいつも、この紫のピックを選んでいる。どうせ使うなら、自分が好きな色のモノを使った方が気分が上がるし、ギターとピックで色を揃えると統一感が出る。
形は必ず、雫の形をした「ティアドロップ型」だ。
正三角形の形をした「トライアングル型」と呼ばれるモノもあるが、速弾きをする俺からすると、こっちの小さな方が動かしやすい。無駄な引っ掛かりが少なくて扱いやすいのだ。
……その代わり、3つの角を全部使えるトライアングルとは違って、使える先端は一か所しかない。そのせいで、すぐに使えなくなるというデメリットもある。
「……まあ、こんなモンか」
俺は片手に何個かピックを握ると、そのままレジへ向かった。
右へくるりと体を向けると、頑なに壁を見せまいと言わんばかりに、床から天井までギターとベースで埋め尽くされているのが目に入った。少し進むと大きなアンプが幾つか置いてあって、ただでさえ狭い通路の幅を更に削っている。
俺は肩に掛けたエコバックをぶつけないようにしながら、身体を少し斜めにして慎重にレジまで進んだ。
*
レジに辿り着くと、俺はカウンターの上にピックをばらりと置いた。
「お願いします」
店員は「お預かりします」と言って頭を下げた。しかし、ピックの枚数を数えようとして、ふと手を止める。
そして、眼鏡の奥にある目が、手元にあるピックから俺の方へと向いた。
「……やっぱ、立花君だ」
「……あ?」
不意に名前を呼ばれて、間の抜けた声が出た。
——今、立花って言ったよな?
俺は顔を上げ、改めて店員の姿を見た。
黒の短髪に、俺を少し見上げるくらいの小柄な背丈。……言われてみれば、見覚えのあるような、無いような曖昧な輪郭だけが頭の中で引っ掛かる。
けれど、その中で一つだけ、やけにハッキリした“パーツ”があった。
分厚い、あの特徴的な丸眼鏡——。レンズの丸い輪郭を視線でなぞった瞬間、俺の頭の奥から、“一人”の姿が引き出された。
「……黒田、なのか……?」
俺が恐る恐る尋ねると、“そいつ”は声を弾ませて答えた。
「“なのか”、じゃなくて、“そう”だよ。 黒田だよ!」
「マジかよ!?」
俺は開いた口が閉じなかった。
まさかこんな場所に、クラスの奴が居るとは思っても居なかったからだ。学校の教室や廊下で顔を合わせるなら、まだ分かる。けれど、この山村楽器のレジの向こうに、クラスメイトが立っているなんて想像した事も無い。
「お前、こんな所で何してんだよ!?」
「夏休みの短期バイトってやつ?」
俺が勢い良く問い詰めると、黒田は嬉しそうに答えた。
……マジかよ、山村。
俺はもう一度、黒田の全身に目をやった。
白地のTシャツに、黒のデニム。……黒田には悪いが、どこにでも居るような恰好だ。ここが山村楽器ではなく街中だったら、絶対に気付かない自信がある。いつもなら制服を着て、俺の隣の席に居て、この丸眼鏡を掛けているからこそ、黒田として結びつくのだが。
「……何か、クラスメイトつってもよ。制服着てねえと全然分かんねえモンだな」
俺が零すと、黒田は不満そうに口を尖らせた。
「えー、酷いよ立花君。こっちはちゃんと立花君って気付いたのに」
「ま、そりゃこっちは髪染めてるしな」
「えー……」
「……スマンって」
俺はそう返しながら、誤魔化すように話題を切り替えた。
「にしても黒田。何でまたこんな所でバイトなんかしてんだよ。短期だったらもっと他にもあるだろ」
すると黒田は、少し得意気な声で答えた。
「そりゃあもう、ここの常連だから」
「は?」
——“常連”、だと?
「もちろん、最初は断られたよ。ウチはバイトなんか雇ってないって。でも、店長に“夏休みだけでも”って何度もお願いしたら、何とかOKしてくれて」
「ちょっと待て」
俺は考えるより先に、黒田の言葉を遮っていた。
「常連ってどういう事だよ。お前、まさか……」
俺がそう尋ねると、次の瞬間、思いも寄らない答えが返ってきた。
「ああ、俺、ベース弾いてるから」
「嘘、だろ……」
「もともと家に親のがあって、親はもう使わないっていうからさ。それでたまに俺が弾いてるって感じ。だからここにもよく来るんだ。店長、ベーシストだし」
「……そうなのか」
俺は黒田の言葉を飲み込むのに、少し時間がかかった。まさかこんな身近に、俺以外で音楽に携わっている奴が居るとはちっとも思っていなかったからだ。しかも、それが黒田である。いつも教室で真面目にノートを取っているか、大人しく読書をしているあの黒田が、家でベースを弾いている。……そんなん、意外過ぎて頭の整理が追い付かない。
学校で見ていた黒田と、山村楽器のレジに立っている黒田——その“2人”が、どうしても同じ人間として上手く重ならない。
しかし黒田は、驚きで頭が真っ白になっている俺をよそに、楽しげに俺の顔を覗き込んで来た。
「立花君ってさ、たまに学校にギターケース持って来てる事、あったよね? 立花君はギターやってるの?」
「ああ」
「やっぱり。実は前から気になってたんだよね。うちの高校ってさ、軽音部無いじゃん? だから何でかなってずっと思ってたんだけど、なかなか聞けなくて」
「……ああ、あれか」
俺は一呼吸置くと、淡々と事実を告げた。
「あれは、放課後ライブハウス行く時だけ持ってきてる。……つっても、山村のサポメンばっかだけどよ」
……別に、俺がライブハウスに通っていることは、自らクラスの奴に話した事も、話すつもりもなかった。隠している訳ではないが、わざわざ説明するのが面倒だし、そもそもそんな事を話す相手も居なかった。
けど、この時だけは黒田の興味津々な様子に圧倒されたのか、隠し通すほどの事でもないと判断して答えていた。
すると黒田は眼鏡の奥の目を丸くした。
「え、凄い! 高校生でライブに出れるなんて、凄いよ立花君!」
黒田は小さな身体をぴょこぴょこと揺らしながら、更に俺の顔を覗き込む。その声はさっきよりも一段と明るかった。
「……そ、そうかよ。……山村が親父の知り合いってだけで、出させて貰ってるだけだし」
「いや、それが凄いんだってば。だって、それって店長に実力を認められてるって事でしょ?」
「そ、それは……」
俺は言葉を詰まらせた。
……そんな真っ直ぐな目で、“実力を認められている”なんて言われたら、どう返せば良いのか分からなくなるじゃねえか。
俺が視線を逸らすと、黒田はクスリと笑って会話を続けた。
「やっぱ、ギターやってるって事はさ。立花君って好きなバンドとかあるの?」
「好きなバンド?」
……何か、デジャヴだな。
この前も、同じ事を響に聞かれた気がする。
まあ、この手の質問は音楽好きと出会えば、誰もが通る道ではある。好きなバンドは何か、とか、誰に影響を受けたのか、とかは必ず聞かれる。
……けれど、正直に答えた後に、微妙な反応されるのが気まずいんだよな。
名前を出して、相手が「知らない」と答えた時の絶妙な空気が嫌いだ。逆に、相手が知っていそうなメジャーな名前を適当に挙げれば、その場は上手くやり過ごせるかも知れない。けれど、答える側としては自分に嘘をついたようで気持ちが悪い。
……俺は、好きでもないバンド名を、好きなフリして口に出すのは違うと思っている。
だから結局、毎回正直に答えるしかなかった。
「黒宴」
……どうせ黒田も知らないだろうと思いながら、俺はその名前を口にした。
けれど——黒田は一瞬だけ動きを止めた。
「……え」
そして黒田は目をカッと見開き、すぐにレジから身を乗り出してきた。
「本当!? 俺も好きだよ、黒宴!」
「……え?」
黒田の放った言葉が意外過ぎて、すぐには理解できなかった。
俺は少しの間、思考が止まったまま——ただ、間の抜けた声だけを漏らしていた。




