第五章:アルス・マグナが創りしもの――8
◇ ◇ ◇
ヘルメスが指を鳴らすと、白い靄が部屋中に生じる。
靄は、霧だ。先の氷盾を液体化し、空気中に散布したのである。
「ふむ。目隠しかの? この程度の戦法で、我が怯むとでも思うたか?」
刹那。ウロボロスの左側頭部目掛けて、拳が走った。
恐るべき速力で距離を詰め、一瞬の油断を突いたのは、先ほどまで倒れていたバハムートだ。
室内に、鉄槌でコンクリートを叩き割るような、轟音が響く。
バハムートは、錬金術により、自身の〝ミオスタチン遺伝子〟を不活性にして、筋力を増大させたのである。
白い床に、赤の雫が散った。
「再生力が高いことは分かったが、痛覚の方はどうかの?」
「――――っ!!」
赤は、拳から滴るものだ。
バハムートの拳は、ウロボロスの左手で受け止められていた。
「筋肉肥大体質と言えど、〝炭素皮膜〟を素手で殴るのは感心できぬ。その拳、砕けたのではないか?」
ウロボロスの掌が黒光りしている。
人体を構成している炭素。その一部を掌で凝縮させ、強靱な鎧へと変えたのだ。
「――ヘルメス!!」
奥歯を噛み締め、だが、バハムートは叫ぶ。
視界が透明感を取り戻したのは、直後の出来事だった。
霧は、氷が液体化したものだ。つまり水である。視界がクリアになったとは、その水がどこかに消えたことを意味していた。
可能性の一つとしては、気体化したことが挙げられる。が、ヘルメスが執った手法は違っていた。
彼女は、霧を分子レベルで分解したのだ。必然、大量の水素と酸素が生じる。
そして、中空に光が生まれた。
「私に構うなっ!!」
バハムートが叫ぶ。
光は、音とともにあるものだ。水素と酸素の再結合により、〝水素イオン〟の移動が起きたのである。
電子の移動。即ち、電流。――燃料電池の要領で発生した、放電だ。
「無駄なことを……」
バハムートとヘルメスの、捨て身の攻撃。しかし、ウロボロスは鼻で笑って、右手を振るった。
四方八方で暴れる電力の奔流は、たったそれだけの動作で手懐けられる。
宛ら、ドーム状のバリアが展開されたかの如く、電流は半球を成し、やがて、紫電は一点へと集っていった。
集まった電流が解き放たれる。充填された弾丸が射出されるように、ヘルメスへと向かってだ。
電流操作による、カウンターである。
「くああぁぁあぁぁ――――っ!!」
一閃。雷光の弾丸がヘルメスを穿った。
「ヘルメスっ!!」
「これ。油断するでない」
バハムートの意識がヘルメスへと逸れた瞬間。ミサイルにも似た左の膝蹴りが、彼女の腹部を貫いた。
「こ、……はっ!!」
先のバハムート同じく、筋肉肥大体質となった一撃だ。
内蔵の損傷は避けられないだろう。事実、バハムートの口腔からは、ドス黒い血液が吹き出た。
そのまま、冗談のようにバハムートが吹き飛ぶ。
少なくとも、四〇キログラムはあろう人間の体が、一〇メートルを越える距離を。
常人ならば、それだけで絶命しただろう。
「学校長!!」
慌てて、道真が彼女を受け止め、だが、支えきれずに尻餅をつく。
道真の腕の中。虚ろな眼差しで、バハムートが咳き込んだ。
それでもウロボロスには、微塵の慈悲も容赦もない。
「さて。消え失せて貰おうかの」
ヘルメスの放電が生んだ副産物。大量の水気を分解し、燃焼。
紅蓮の熱波が、道真たちに向けて放たれた。直撃すれば、影も形も残らないだろう。
「――――っ!!」
迫る熱の奔流に、道真と武が瞼を強く閉じる。しかし、何時まで経っても彼らに炎が届くことはない。
恐る恐ると目を開けた二人。彼らは、ヘルメスに守られていた。
「ヘルメス!」
ヘルメスは、ウロボロスの方に掌を向けている。可能な限り低温とした氷で、壁を生んだのだ。
「数多の錬金術を組み合わせると、ここまで戦闘力が跳ね上がるのか。厄介極まりない。嫌になってしまうね」
言って、彼女は鳴宮兄妹の方へと、視線を移動させた。
「道真、武。ここはワタシとバハムートに任せてくれ。キミたちは、早く避難を」
正直、彼女たちアデプトの二人掛でも、ウロボロスには適わないだろう。
それでも、ヘルメスは二人の身を案じる。恐らくは、こんな危険に巻き込んでしまったことに、責任を感じているのだ。
しかし、
「バカ言ってんじゃねえよ。オレも武も、あんたたちを見捨てて逃走するほど、賢くないし、腐ってもいねえよ」
「でもっ……」
「それにな? あの傲慢野郎を止められなけりゃ、錬金領土はあいつの手に落ちる。オレたちは、もう既に当事者なんだよ」
加えて、
「好い加減、ムカついてんだ。あの野郎のやり方にはな!」
「ボクたちも戦うよ! ううん。戦わせて!」
二人の瞳には、強い光が宿っていた。眉を立てた、力を秘めた表情とともに。
「……だが、奴は錬金術の集合体。例えるなら、錬金領土そのものなんだ。言いたくないが、勝ちの目が見えない」
何時になく弱々しい、ヘルメスの言葉。奥歯を噛み締める彼女に、道真が提案する。
「オレに考えがある。アイツは、錬金領土の錬金術をメインに構成された、ゴーレムなんだよな?」
「ああ。もちろん、アデプトの能力も保有しているだろうが、大半はマグヌス・オプス由来のものだろう」
再生能力により、少しだけ回復したバハムートが、道真に肯定を送った。
「それなら、通用するかも知れねえ。賭けではあるが、他に手もねえしな」
道真が、バハムートとヘルメスの名を呼んで、
「オレの作戦に、命預けてくれないか?」
言った。




