第527話 魔力0の大賢者、ダメージを受ける
「――なるほど。中々やるじゃねぇか」
ミクスが土煙の中から立ち上がり、口元についた血を親指で拭ってこちらへ戻ってきた。
あの一撃をまともに受けたはずなのに、足取りはしっかりしている。
見た目以上にタフだ。
「見ろよ」
バキ、と嫌な音が鳴る。
砕け散った皮膚の一部を自慢げに指で叩く。
「自慢の皮膚が砕けちまった。俺の皮膚はアダマンビートルより硬ぇんだぜ?」
アダマンビートル。
蟲系魔物の中でも最高硬度の甲殻を持つ個体だ。刃も通さないとされるあの甲より硬い、と。
「ま、少しすりゃこの通りだがな」
砕けた皮膚がうごめき、ゆっくりと再生していく。
裂け目が閉じ、まるで最初から傷など無かったかのように滑らかな表面へ戻った。
再生能力か。しかも相当高い。
「蟲系の魔物にはどこを切られても勝手に再生するタイプがいる。俺はそういう連中の細胞も取り入れてんのさ」
「べらべらとよく喋るね」
「まぁな。折角集めた細胞だ。自慢くらいさせろよ」
鼻で笑う。
「興味ないよ。僕にとって大事なのは、お前がビロスに酷いことをした。それだけだ」
「酷いこと?」
ミクスが片眉を上げる。
「あぁそうか。話は最後まで聞けって。確かに最初は遊びだったがな――気が変わった」
腕を組み、堂々と言い放つ。
「俺はそのメスと番になると決めた」
……。
……番?
一瞬、言葉の意味を理解するまでに時間がかかった。
「つまりそいつは俺の子を生む。そういう話だ」
「え?」
頭が追いつかない。
「えぇえええぇええッ!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
ミクスとビロスが?
番?
子ども?
いやいやいや待て待て待て。
「違う! それはそいつが勝手に言ってるだけ! マゼル信じないで!」
ビロスが顔を真っ赤にして否定する。
そ、そうだよね。
さっきまで命のやり取りしてた相手だよね?
「連れねぇこと言うなって。強い雄に選ばれて悪い気はしねぇだろ?」
「気持ち悪い! ビロスはお前嫌い! 好きなのはマゼル! 子どもを生むならマゼルの子を生む!」
「へ?」
今度は本当に思考が止まった。
僕の子を?
え?
えぇえええぇえええッ!?
心臓が変な音を立てた。
「ちょ、ビロス一旦落ち着こう! ね? ね!?」
「ビロス本気だもん!」
本気って言った。
本気って言ったよね今。
いやいや落ち着け。これは戦闘中だ。
混乱してるだけだ。そうに違いない。
「てかその反応――さてはお前、童貞だな?」
「――はい?」
ミクスがこちらを指差した。
今なんて言った?
「ちょ! それ今なんの関係があるのさ!」
「カカッ、図星か。これは驚きだぜ。ゼロの大賢者の正体が“経験ゼロ”の大賢者だったとはな!」
腹を抱えて笑い出す。
経験ゼロの大賢者。
ぐさっ。
体は無傷。
だが心に矢が刺さった。
転生前も今世もそういう経験はない。
ないけど!
今この場で言う必要ある!?
「マゼル! しっかりして!」
足元がふらついた僕をビロスが慌てて支える。
くっ……物理ダメージはゼロなのに、精神ダメージが大きい!
「どっちにしろその雌は強い雄が好きみてぇだからな。お前と俺、どっちが強いかはハッキリさせる必要があんだろう?」
ミクスが笑いながら言う。
……そうだ。
どちらにしても、こいつがビロスを無理やり従わせようとしているのは事実だ。
「――あぁ、そうだね。その方がわかりやすい」
呼吸を整える。
羞恥心は一旦脇に置く。
「ビロス、危ないから離れてて」
「う、うん。マゼル、ビロス信じてる!」
その言葉で、胸の中の動揺がすっと引いた。
ビロスが距離を取る。
「いい判断だ。俺も番を傷つけたくねぇからな」
「だから違うって言ってるだろう」
「テメェを倒せば考えも変わるさ。行くぜ!」
ミクスが大口を開く。
轟、と炎が吐き出された。
周囲の森が焦げている理由がこれか。
本当に考えなしだ。
「こんなところで火なんて吐くなよ」
息を吸い込む。
肺の奥まで冷やし、限界まで圧縮する。
吐き出したのは氷点下の息吹。
空気中の水分が瞬時に凍結し、炎を包み込む。
炎が白く固まり、砕け散った。
「ガハッ!」
ミクスが喉を押さえて後退する。
冷気がそのまま気道へ入り込んだらしい。
「ゲホッ……俺の炎を凍らすとか、どんな魔法だよ」
咳き込みながら睨んでくる。
今更だけど魔法じゃない。
僕はただ、空気を冷やしただけだ。
さて。
次はどう出る?
羞恥はまだ少し残っているけれど――
それ以上に、怒りの方が強かった。




