第525話 ファインの過去⑤
side ファイン
「ハハッ。どうだ? 賭けは俺の勝ちだっただろう?」
ギャノンが自慢げに言い放つ。
だが、俺の思考は追いつかなかった。言葉の意味が頭に入ってこない。いや、入れたくない。
「……どういうことだ?」
喉が引きつる。
「ギャノン、お前……賭けってなんだよ」
「まぁ待てって」
ギャノンは肩をすくめ、面白がるように笑った。
「もうすぐ特別ゲストが来る。そうしたら全部わかる」
その笑みが――これまで見たこともない悪辣さを帯びていた。
背筋が冷たくなる。
「よう、ギャノン。連れてきたぜ」
闇の向こうから声。
そして姿を現したのは――以前、校舎裏で俺を囲んで暴行した連中だった。
しかも。
「……サラ?」
連中の間に、ふらふらと立つ小柄な影。
俺の妹――サラ。
「サラ!!」
反射で駆け出した。
だが次の瞬間、腕を掴まれ、背中を押さえつけられる。取り巻きが複数、俺を押さえつけていた。
「離せ! ふざけるな、サラに触るな!」
振り解こうと藻掻くが身動きが取れない。
「ギャノン!!」
必死に叫ぶ。
「何なんだよこれ! どうして、そいつらが!」
「あぁ、そうだな……語ると長い」
ギャノンはわざとらしく溜め息をつき、薄く笑った。
「ま、ざっくり言えば――全部、俺が仕組んだってことだ」
「……は?」
耳の奥が、じん、と鳴った。
「こいつらをけしかけたのも俺」
連中を指さしギャノンが続ける。
「で、助けに入ったのも俺。全部俺のシナリオ通り。お前は俺の手のひらで踊ってたってわけだ」
「全く、あの時は参ったぜ」
以前暴行してきた男が肩を回しながら笑う。
「本気で殴ってくるんだもんな」
「ばーか。本気ならもっとひでぇよ」
ギャノンが笑う。
「まぁ、それなりの力でやったけどな」
談笑するみたいに言いやがる。
――俺が、俺の人生を、必死で積み上げてきたものを。笑い話にしやがる。
「……なんだよ、それ」
声が震えた。
「そんな真似して……一体、何がしたかったんだよ!」
「決まってんだろ」
ギャノンはポケットから瓶を取り出した。
青く透き通った液体――ブルーエーテル。
「これだよ」
瓶を指で弾くように振ってみせる。
「ブルーエーテル……それが……」
「本当にお前はマヌケだな」
ギャノンは俺の前にしゃがみ込み、視線を合わせてきた。
「難病を無くす奇跡の薬? そんな都合のいいモンが本当にあるわけねぇだろ」
冷たい笑み。
「こいつはな、ブルームーンっていう魔法薬だ。ま、違法のだけどな」
胸が凍る。
「飲むと魔力が一時的に向上する。気分もハイになる。で、あとは――」
立ち上がって、ククッと含み笑い。
「中毒性が高い。一度摂取したら、これ無しじゃ生きられなくなるくらいに、な」
「っ……!」
ギャノンが、サラの前へ歩く。
瓶をゆっくり、見せびらかすように掲げた。
「ほら。どうだ? これが欲しいか?」
「は、はい……ほひぃ、です……」
サラの声が掠れている。
「おねがい……です……薬を……」
「ギャハハハ!」
ギャノンが腹を抱えて笑った。
「見たかよこれ。まるで餌をねだる犬みたいだろ?」
血が逆流した。
「ギャノン……お前……お前ぇえええええ!!」
「そう切れるなって」
ギャノンは軽く手を振る。
「大体、お前の願いを俺は半分くらいは叶えてやったつもりだぜ? この薬のおかげで、一時的でも元気になったのは確かだろ」
「ふざけるな! こんな真似して……何が願いだ!」
「願いだろ?」
ギャノンは当然みたいに言った。
「お前の妹、使って研究もしてやったわけだしな」
「おいおい、実験の間違いだろ」
「新薬試すために、こんなかわいい子をよくもまぁ……」
取り巻きの笑い声が重なる。
俺の視界が揺れた。
――俺は、こんな奴を親友だと思っていたのか。
俺は、こんな下衆を信じて、家族に紹介して、サラの前で笑って――
「こいつ、見た目は可愛いよな」
「ギャノンさん、もうやっちゃっていいですか?」
「……たく、仕方ねぇな」
ギャノンが肩をすくめた。
「喜べファイン。この金で特別に、この一本だけ分けてやるよ」
ギャノンが瓶を指で回し、サラに近づける。
「そこで獣みたいに乱れる妹でも見とくんだな」
――その瞬間。俺の中で、何かが弾けた。
「……っ!」
押さえつけられていた腕が、嘘みたいに軽くなる。
力が湧いた。怒りが、熱になって、全身を突き上げた。
「な、こいつ急に力が――!」
「うぉおおおおおおおおお!!」
取り巻きを振りほどき、炎の拳で殴り飛ばす。
骨に当たる感触。悲鳴。倒れる音。
「どうなってんだ。あいつ、魔力大したことないんじゃ……」
「あぁ、たまにいんだよ。感情で能力以上の力出す面倒なタイプがな」
そんな会話すら、耳に入らない。
「ギャノォオォオォオオオオオン!!」
目の前の男だけが、世界のすべてだった。
ギャノンが指を突きつける。
それでも俺は止まらなかった。
「どうせお前はもう用済みだ。死ねよ」
――視界が、スローモーションになった。
ギャノンの指先から魔弾が放たれる。
避けられない。間に合わない。
その時――俺の目の前に、細い影が飛び込んだ。
「……サラ?」
耳を裂く轟音。
サラの胸が抉られ、その体が地面に崩れ落ちた。
「サラ……?」
駆け寄って抱き起こす。
体温が、冷たい。血が、指の隙間から溢れた。
「サラ……サラ! サラッ!!」
目が虚ろで、焦点が合っていない。
「お兄……ちゃん……ごめん、ね……」
「馬鹿!!」
声が掠れた。
「何言ってるんだ! 大丈夫だ! 大丈夫だから!」
叫ぶ。
「誰か! 誰でもいい! 治療魔法を! 薬を! 頼む……!」
返事はない。
笑い声だけが、森の空気を汚していく。
サラの瞳から、光が消えていく。
「……おい、ギャノンさん」
取り巻きの一人が顔色を変える。
「さすがに殺すのは……不味いんじゃ?」
「――チッ」
ギャノンが舌打ちした。
「おいゼイン!」
その声と同時に、後頭部に衝撃。
視界が揺れ、膝が抜ける。
立っていたのは、俺を迎えに来た男――ゼイン。
感情のない目で、俺を見下ろしていた。
「……親父か。ちょっと面倒な事になった。悪いが……」
ギャノンの声が遠くなる。通信用の魔導具で誰かと話しているらしい。
だが、その先を聞く前に、俺の意識は暗闇へ沈んだ。
――そして。
意識が戻った時、目に入ったのは燃え上がる家だった。
俺の家が、燃えていた。
「母さん! 父さん! サラ!!」
飛び込もうとした。
だが、背中に誰かがのしかかり、地面にねじ伏せられる。
「離せ! 中に両親が! 妹が!」
「黙れ!」
怒鳴り声。
「自分で火をつけておいてふざけたことを!」
「……は?」
意味が分からなかった。
「俺が……火を……? ふざけんな! いいから離せ! 離せよ!!」
どれだけ叫んでも届かない。
俺は魔導師団に拘束され、そのまま牢に放り込まれた。
父さんも、母さんも、サラも――燃え尽きた家から焼死体として発見された。
犯人は俺。
最初からそう決められていた。
家を燃やす俺の姿が魔導具に記録されていた。
証拠は揃っていると、誰もが言った。
ギャノンの名前を出しても無駄だった。
それどころか、ギャノンはこう証言した。
妹の病気の相談を受けていた。
怪しい薬に手を出そうとしていたから止めようとした。
事件当日も両親に危険性を伝えた。違法薬だと教えた。
だが俺は逆上し、ギャノンを襲い、証拠隠滅のために家に火を――
――そんな筋書きが、完成していた。
毎日のように続く尋問。
無実を訴えても、誰も聞かない。
そしてある日、グルラスという魔導騎士が現れた。
「俺は犯人じゃない。犯人はギャノンだ」
「まだそんなこと言ってるのか」
グルラスはニヤついた。
「全く馬鹿な奴だ。アインドル家に逆らうからこうなる」
アインドル家――その名が、胸の奥に刺さる。
「お前の死んだ妹」
グルラスが舌なめずりするように言った。
「随分可愛かったらしいな。死ぬ前に、俺も楽しみたかったぜ」
「テメェ!!」
反射で立ち上がりかける。
だが、それを待っていたかのように扉が開く。
「何をするんだ! おい、誰か!」
叫びは、俺を押さえつける理由になる。
俺は挑発に乗った。結果、さらに状況は悪くなった。
――魔導師団にも、ギャノンの息のかかった奴らがいる。
その事実だけが、確かだった。
「ファイン……顔色悪いぞ。ちゃんと食べてるのか?」
そんな地獄の中、面会に来てくれたのはイロリ先生だけだった。
先生は心配そうに眉を寄せ、鉄格子越しに俺を見た。
「ファイン。裁判の日は俺が証言台に立つ。お前がこんな真似するわけがない。俺はお前を信じてる」
その言葉が、今の俺には怖かった。
信じたくなる。縋りたくなる。
でも、もう――信じることが怖い。
「……無理するなよ」
俺は視線を逸らした。
「俺みたいな落ちこぼれに構ってたって、いいことなんて無い」
そう言って、席を立つ。
先生の気持ちですら、信用できなくなっていた。
「俺の教え子に落ちこぼれなんていねぇ!」
怒鳴り声が背中に刺さった。
「だからそんな顔をするな、ファイン。誰が何と言おうと俺はお前の味方だ。だから諦めるなよ、ファイン!」
俺は振り返れなかった。
零れそうな涙を、必死に押し殺した。
家族を失い、味方もいない。絶望しかない。
――それでも、先生の言葉が胸に残った。
先生なら、もしかして。
そう思ってしまった自分がいた。
だが――裁判当日。
「証言台に立つ予定だったイロリ・ヘンデリッヒだが、辞退の申し出があった」
その瞬間、俺の中に残っていた唯一の光が、消えた。
「罪人を庇う理由が無いそうだ」
裁判官が淡々と言い放つ。
「懸命な判断だな」
「だ、そうだ」
傍にいたグルラスが笑った。
「残念だったな、家族殺しの犯罪者」
その後の記憶は、ほとんどない。
気づけば無期懲役が宣告され、俺は魔導刑務所へ送られ――
俺の心は、闇色に染まっていった。




