禁足地の謎(1)
駅前の大通りから筋を一本裏に入ると昔ながらの商店街が軒を連ねていた。空き店舗がちらほらあるものの、商店街全体は明るくて雰囲気がいい。
その通りの中ほどに、レトロな建物がひと際異彩を放っていた。三角屋根と渋いからし色の外壁が特徴の洋館で、今は電気に代わっているがかつてのガス灯は今も訪れるひとの足元を照らしてくれる。
門を抜けて玄関へ行くと手彫りで縁どられた花模様も愛らしい木製の看板が掲げられていて、
『SQUASH』
と店の名前が彫り込まれていた。
空は真夏らしくスカッと晴れ渡り、遠くには大きな入道雲が絞り出されたホイップクリームのようにもくもくと浮かんでいる。
上を見ると2階のバルコニーでは、煙草をぷかりと吹かしながら空を眺めている青年がいた。ちょうどその足元にあたる店のドアから2人の客が出てきた。
「勇気出した甲斐があったよ~」
「うんうん、似合ってるよ、ショートヘア。カラーもいい感じじゃん」
「予約なしで入れたのはラッキーだった、マジで」
「ほんとだよね、次はぜったいに予約してからこよっ」
そのあとも、互いの新しいヘアスタイルを褒め合いながら門を潜った2人は本通りへと向かった。
「うちは完全予約制だっつってンのによ、たまぁにいやがるんだよな。ラッキー、じゃねえっつーの」
手摺に頬杖えをついたまま、青年はぼそりと毒づいた。
カタン、となにかを掛ける音がして下を覗き込むと、ドアノブに『昼休憩中! ごめんね!!』というプレートが掛けられていた。
「RYOKUさん、昼休憩が30分も過ぎてンだけど」
声をかけると、閉じかけたドアが再度開いて愛想のいい男の顔がテラスを見上げた。
「なんだよ、作左。先に食べてろって言ってたじゃないか。勝手に腹を空かせてるのは作左が悪いんだよ」
デコピンの仕草でぱちんと指を弾くと、
「すぐに行くから待ってて」
とプレートのかかったドアを施錠した。
通りに面した上げ下げ窓から覗く店内にはアンティーク調の大きな鏡が壁に設えてあり、レザーのスタイリングチェアがそれぞれ間隔をあけて並んでいる。
外観は洋館そのものの建造物だが、店舗にあたる一階を除いて二階部分は5部屋のうち3部屋が和室だった。
コの字型の階段を上ってすぐ左のドアが、テラスを設えてある洋室で従業員の休憩室だ。
「今日はスタッフの数が足りないからってせっかく予約減らしてたのに、2人も飛び込みOKするなんか人が良すぎねえ?」
うなじを短く刈り上げた茶髪の青年は、用意していた弁当をRYOKUと呼んだ彼に差し出しながらぼやいた。
「なに言ってんの。昨日で店辞めた男がスタッフ少ないの気にして手伝いに来てる方がお人好しでしょ」
「だってRYOKUさん1人で店回すって聞いたら手伝うしかないじゃん」
やっとありつけた弁当の蓋を開けて、好物の稲荷寿司に目を輝かせた作左をSQUASHのオーナー兼店長の高橋緑はたれ気味の目をにこやかに細めてみつめた。
あむっと好物をまるごと口に放り込んだ作左に、
「作左はよく頑張ったよ。これで実家の美容室も安泰だね。お母さまの喜ぶ顔が目に浮かぶよ」
緑の手元にある弁当は普通の幕の内弁当で、きれいな箸遣いで塩サバの身をほぐしながら言った。
「RYOKUさん、俺のおふくろの顔知ってンのかよ」
「前に写真を見せてくれたじゃないか。忘れた?」
「……あ」
作左はアヤカシだ。洗濯狐と巷で呼ばれる妖怪である。
ではなぜ高橋緑は普通に作左と会話ができるのかというと、
「俺の姿が見えるって言うから、試しに写真に映ってるアヤカシも見えるかどうか試したときか」
「あの時は笑ったよね。お客さんが『窓の外からキツネがこっちを覗いてるんですけど』って言われたときはさ」
出会った日のことを思い出して笑う緑の目はすっかり細くなって糸目になっていた。
「でも僕の目にはちゃんと作左が見えていて、ああ彼はアヤカシなんだって気づいたけど保健所に電話するっていうのを必死に引き留めて、僕が責任持つからって見逃してもらったのも今ではいい思い出だよ」
「RYOKUさんじゃなかったら、俺、とんでもないことになってたかもしんない。思い出すだけでも背筋が寒くなる」
「そのあとまさかの弟子入りを懇願されるとは思わなかったし、5年もよく続いたよね。僕以外の人間にも姿が見えるように影で努力してたのも知ってるし、ほんと作左はよく頑張った」
「RYOKUさんもめっちゃ努力のひとじゃん。師匠が努力の塊なのに弟子が怠けてちゃ師匠が笑われるからな」
「見た目チャラいのに、作左は真面目だね。だから作左のお母さんだって息子が技術身につけて帰ってきたら喜ぶよ」
「うちの母ちゃん、怖ぇからなぁ。RYOKUさんが言ったとおりになるとは思わねぇんだよなぁ」
最後の稲荷寿司を頬張った作左は窓の外を見た。視線の先には青い空と白い雲。そして遠くになだらかな稜線が霞んで見えた。
昼休憩を終えてからは3人の予約客で終了し、店を閉めた。
夕方の6時前でまだまだ空は明るく、アスファルトからの熱気も冷める様子はなかった。
「家まで送るのに」
「いやいや、うちはとんでもねぇ山奥なんで車高の低いRYOKUさんの車じゃムリだから。気持ちだけもらっとく」
小さな旅行バッグをひとつだけ提げた作左は、
「じゃ!」
右手を高々と掲げて師匠と別れ、まっすぐ山へと向かった。




