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守り人と金色の狐  作者: 高千穂ゆずる
狐狸ん堂の設立
11/22

狐狸ん堂の設立<9>

 一人きりになった部屋で、晴久は大きなため息を吐いた。箱膳は下げられて、さっきまで沙奈といっしょに食事をしていた場所がなにもない虚ろのような空間に見えた。

「あんな風に会話をしながら食事をしたのはいつぶりかな」

 晴久の頭の中には幼い頃の利久と利都の姿が浮かんでいた。

 屋敷のあらゆる場所で、庭や田んぼや畑、側溝の中でさえなにかをみつけては報告しに来てくれていた小さな我が子たち。

 成長するにつれて自分との会話も減り、今では食事を終えるとそそくさと自分の部屋へ戻っていく。

「“利久くんとりっちゃんも視えているんですよね”――か」

 沙奈の質問に晴久は答えられなかった。

 今も視えていると信じたい気持ちはあったが、信じ抜く自信がない。だから答えられなかったしはぐらかしたのだ。

「もしも2人から視える力が失われているとしたら、と不安ばかりだったが沙奈にその力が現れた。しかも老松様の後継と絆を深めつつあるのは、なにか意味があるんだろうか」

 絆を途切れさせてはいけない、これは古くからの約定だった。

 なにも嫡子である晴久の子でなければならないわけではない。

 白露の二の舞は駄目だ。老松がこの地で消滅してしまえば、もうほかに土地神はいない。

「近隣の土地神と守り人とは交流がないからなぁ。それに、そんなことを今の老松様が許すはずもない」

 気づくと晴久は窓辺に立ち、離れ屋を眺めていた。

 庭園灯の灯りが届かない暗闇の向こう、離れ屋から零れてくる明かりの中に沙奈の姿をみつけた。沙奈もこちらの姿に気づいて手を振ってきた。傍にいた倫久が窓を覗き込むようにしているのも見える。

「倫久にも話しておかないといけないかな」

 沙奈に応じるように手を振り返しながら、晴久は呟いた。


 窓越しに沙奈をみつめていた晴久の表情が見えていたわけではないが、それでも漠とした不安を倫久は感じた。

 離れ屋に戻ってきた沙奈の様子から、とても楽しく夕食を食べてきたことが窺えた。

「パパのスマホ、光ってるよ」

 はい、と沙奈がテーブルの上から倫久のスマホを持ってきた。

「ありがとう、沙奈」

 受け取って確認してみると、メッセージを送ってきたのは兄の晴久だった。嫌な予感が的中しそうだと倫久は思った。

「ちょっと母屋に行ってくる」

「お風呂が沸いたのに」

「ごめん、明日出発前に兄さんと話せそうにないから今のうちに挨拶してくる」

「え、それじゃ私もいっしょに」

 裕子が自分も一緒に行くと立ち上がりかけたが、倫久はそれをやんわりと制して、

「いいよいいよ、本家に来てから俺も兄さんとゆっくり話せてないから遅くなるかもしれないし。お風呂は沙奈といっしょに先に入ってて」

「そう? じゃあ、今から沙奈ちゃん、ママといっしょにお風呂入っちゃおっか」

「うん、入ろっ」

 仲良く風呂の支度を始めた妻と娘の様子を少しの間眺めた後、倫久は母屋へ向かった。


 庭を横切るときに、晴久と目が合った倫久は、兄が小さく頷いたのを見て自分の予感が当たったのだと確信した。

 住み慣れた自分の実家だが、当主の部屋にはたとえ息子であっても気軽に入れるものではなかった。そんな幼い頃の記憶を思い出しながら、今では兄の自室となった当主の部屋の前に倫久は立った。

「兄さん」

 襖越しに声をかけた。

「入ってくれ」

 襖を開けると、室内は幼い頃にこっそり忍び込んだときと同じ建具で内装もそのままだった。庭に面した窓はカーテンが閉められていて、離れやからこちらを覗き見ることはできなくなっていた。

「この部屋は昔のままなんだな。替えたら駄目なのか?」

 倫久は文机に向かっていた兄の前に腰を下ろしながら言った。

「いや、窓のカーテンは新しいぞ。不燃性のものだ」

「……うーん、そういう意味じゃないんだけど。まあ手を加えられることは可能だってことはわかったよ」 

 そのまま沈黙の時間が過ぎた。

 言い出しにくいのだろうと倫久から口火を切った。

「沙奈のことだろ」

「……ああ」

「下で生活しているときにはそんな兆候はまったくなかったんだけどな」

 山間で暮らす柿谷家を含め、この辺りで生活する住人は麓の街のことを“した”と呼んでいた。

 倫久は、これまで街で生活している間には当主が気にかけるような兆候はなかったと言っているのだ。

「ここは敷地の中に老松御殿があるし、街中以上にアヤカシの存在も多いからねぇ。沙奈の潜在能力が触発されて表に出てきてしまったんだろうと思う」

「だとしても、敢えて俺を呼んでまで話したいってことは、なんか意味があるってことだよな」

「……」

 晴久が言い淀んだ後、口を閉じて沈思した。

 その様子が倫久をさらに不安にさせた。

「利久くんと利都ちゃんがいるよな」

「……」

「2人に問題があるのか?」

「……」

 晴久が眉間にしわを寄せて小さく唸った。

「黙ってちゃわからないだろ。沙奈は俺の娘なんだからな、なにかあるならちゃんと話してくれないと」

「視えていないかもしれないんだ」

 晴久は倫久の言葉が終わる前に、言葉尻を奪うように応じた。

「視えて、ない? 利久くんと利都ちゃんがってことか?」

「2人に確認したわけじゃないから、確実だとは言えないんだけどな。利久に限ってはここ数年の様子を見る限り、視えていないように感じるんだ」

「利都ちゃんの方は」

「利都はまだ視えている可能性が高い、と思ってる。御殿をたまに訪ねてくるアヤカシと遭遇して驚いたり、怯えたりするからな」

「利都ちゃんは視えているんだな」

 ほう、と倫久は安堵の息を吐いた。

 本家で育った利都には、柿谷と老松との関りが詳細に教え込まれているはずだ。次男であり土地神との絆を結ぶ能力もなかった倫久は、その詳細を教わっていない。もちろん、その倫久に育てられた沙奈も詳細など知らないのだ。

 ただ、傍で見ていても制約の多い守り人の役目を負わなくてよかったと思う自分がいる。

「親子なのに会話が少ないせいで、本当のところがわからないだけなのかもしれないんだけどな。いいな、倫久のところは。さっきここから見ていても親子3人とっても仲良しで羨ましいよ」

「羨ましい? 俺が?」

「そうだよ。利久は思春期のせいか、ほぼ口を利かないし、利都はなんだかとっつきにくいし。まだ8歳なのに、すでに父親は臭いとか思ってる節がある」

「え、そんな、8歳で自分の父親を臭いとか思うもんなのか? じゃあうちの沙奈も来年は俺を臭いとか言い出すのか?」

「……」

「……」

 絶望的な顔で互いを見合うこと数分。

 はたと気づいたのは倫久だった。

「こんなことを話したくて俺を呼びだしたんじゃないよな」

「すまんすまん。従妹同士なのに利都と沙奈ちゃんがあまりに違うから、ついうっかり。それで話の続きなんだが」

 居住まいを正した晴久が、

「せっかく視える能力があるんだから、沙奈ちゃんにも本家の空気というか、土地神との関りを深めてもらえないかと思ってな。親であるおまえに許しをもらいたいんだ。とはいっても、夕飯をいっしょに食べているときに夏休みも遊びにおいでって誘ってしまったけどな、すまん」

「あのときの沙奈の返事はそれか。離れ屋まで聞こえてきて、裕子と2人で何の話? って言ってたところだったんだよ」

「それにな」

 急に神妙な声を出した晴久は、ちらりと視線を襖に向けて、

「誰が当主になったとしても、傍で支えてくれる身内がいれば様々な重圧にも耐えられるだろう? そのためにも3人が少しずつでも仲良くなっていってくれたら嬉しいんだ。今、俺が当主になって思うことだ」

「弟がなにも知らないから、兄は孤独だと」

「それは仕方ない。親父――先代が許さなかったことだし、それが仕来りだったからな。だけど、老松様の後継と絆を深めていく沙奈ちゃんを見て思ったんだよ。長男だの次男だの、仕来りだのなんだのって拘る必要はないんじゃないかってね。土地神との絆を結び続けていくことが柿谷家の使命なら、どんな形でも構わないだろうって。皆で手を携えて支え守っていくのもいいんじゃないか」

「老松様はそれを承諾したのか?」

「さて、承諾されるのかされないのか。それは俺もわからん」

 磊落に笑った晴久は、文机の下から5合瓶の酒を取り出した。いつもこっそり飲んでいるのか、一番下の抽斗から湯呑茶碗まで持ち出し、

「土地神様との宴会で余った酒だ。最後の晩くらい俺にも付き合え」

「明日の朝イチで帰るんだけど、しようがねぇなあ」

 古い仕来りに縛られて育った晴久の孤独を垣間見た倫久は、もしも沙奈が当主にでもなったりしたら、やはり孤独なんかとは縁遠い人生を歩んでほしいと願いながら、兄弟水入らずの酒を交わした。


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