31 魂の導き
グサッ。
鈍い音と共に鮮血が飛んだ。しかし、それは甲斐谷のものではない。
甲斐谷はゆるゆると目を開け、そのまま幸村を仰ぐ。その顔は、申し訳ないという謝罪に満ちた顔だった。
「疑ってすみません、甲斐谷先生」
短刀は幸村の手から投げられ、後ろに立つ信玄の胸に刺さっていた。
「なっ……」
幸村の予想外の行動に、ときの流れが止まったかのように、皆が呆然として動けなかった。
しばらくして、ようやく幸村が自分に向かって短刀を投げたという事態を飲み込んだ信玄が、吐血しながら口を開く。
「何をする、幸村……」
「アヤカシ風情が、俺を気安く幸村なんて言うな」
「何を言うておる? わしは、信玄じゃ」
幸村はぎろっと信玄を睨む。そこに迷いはなかった。
「そうだ。貴方は俺の想像する信玄そのものだ。見た目、しゃべり方、性格、何もかも」
養護施設にいた頃から、ずっとお世話になってきた。その院長先生が武田信玄だと名乗られ、自分も一度は納得した。
けれど。
「だけど、違うんだ。何が違うのかは、正直、ちっともわからない。俺は前世のことなんて全然覚えていないから。でも、貴方に対して説明のつかないもやもや感を、俺は確かに抱いたんだ」
そう、それは信玄だといくら名乗られても、しっくり来なかったわだかまり。どこかで、納得しきれない自分がいたのだ。
「それは多分、違和感。前世で俺が信玄と共に過ごした、かけ替えのない大切な時間から生まれた、魂と魂を結ぶ絆が教えてくれた違和感なんだ」
頭では覚えていなくても、魂は必ず覚えている。忘れはしない。だって、魂で結ばれた絆は決して消えない、と前世の自分自身が言っていたのだから。
「それはすなわち、俺に違うと言わせているのは、頭なんかじゃない。魂だ。俺が幸村だと言うのなら、信玄への思いは頭ではなく魂に刻み込まれているんだ」
迷ったときには己の魂が示した道を進め。それはきっと、そういう意味なのだろう。今ならわかる。魂の声が、しかと聞こえるから。
「だから、俺は自分の魂を信じる。貴方が本物の信玄なら、そう名乗られたときに魂が一瞬たりとも疑心を覚えるのはおかしい。魂が歓喜の反応をしないのはおかしい。魂が、たぎらないのはおかしいんだ!」
これが、幸村の選んだ道だ。
後悔はない。だって、魂が導いてくれたのだから。それに甲斐谷は、どちらを信じるべきかふらふらだった幸村を最後まで信じてくれた。あの手紙の隅に書かれていた言葉が、幸村を決意へと促したのだ。
『どんなことがあっても、私は貴方を信じます』
そう甲斐谷が述べたからこそ、幸村も思った。自分も甲斐谷を信じよう、と。
「今一度言う。やつがれは何度でも言おう。院長先生、貴方は断じてお館様ではない!」
刹那。
ふと、頭に浮かんできた呪文を、幸村は勢いに身を任せ、口にする。
「臆するな 天恵の元 為合うため 後ろ安かれ 兵共よ」
きらきらと輝くたくさんの粒子が地面から現れ、直後、爆発するように光が校庭いっぱいに広がり、辺りを神々しく照らし出す。それに、信玄は怯んだ。
「ぐうっ! これは……!」
「幸村……」
聖なる領域を作り出した幸村を直視しながら、甲斐谷は自身の異変に気がつく。
右腕の毒が浄化されていく。傷自体は甲斐谷自身の力でほとんど自己再生できていたので、毒気が完全に抜けて、ほぼ完治に至る。
大技の発動を再び目にした佐助もまた、氷の束縛から解放される。自由を取り戻したものの、しかし幸村の力に魅入ってしまい、棒立ちになる。
治まらない光の中で、幸村は惚けていた。自分の思いを吐き出した途端に現れた聖なる領域に、当惑していたのだ。
「これが、俺の力?」
『そうでございまする。もう戦えまするな? さあ、唱えて』
「何を?」とは返さなかった。そう問う前に、頭の中にまた言葉が浮かんできたからだ。それが、武将たちの持つ力を発揮するための呪文だと直感し、一度深呼吸してから、唱えた。




