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唐突に、目の前が開けた。
彼らが足を踏み入れた方角に対し、右側に向かって広場が広がっていた。
ふくらはぎの半ばほどまでの草花が地面を覆っている。庭園として手入れされている様子はない。ときおり、背の高い花がまざってはいるが、ポイントとして植えられているわけではなく、自然のままの発生に見える。よく見てみると、草花の間に、白い茸が見え隠れしていた。
手を引かれ、ケネスは傍らの相手を見た。眉をよせた険しい表情をしている。
「何か――」
わかるのかと尋ねるも、彼は首を横にふった。逆に、何が見えるかと聞かれる。
「ええと、演習場くらいの広場。結構広い。膝下くらいの高さの草が生えてる、だけ、かな」
あたりを見回し、ケネスは状況を伝えた。よくよく探索すれば、何か見つかるかもしれない。だが、突っ立って外から眺める程度では、ただの広場にしか見えない。
自然のままというにはできすぎているようにも見えるが、明らかな人工物らしきものは、今のところ見えなかった。
我知らず、一歩前へ出ようとする。つないだままの手をひかれた。いよいよ厳しさをますレンの表情に、身体をかたくする。小さな舌打ちとともに、手を握る力が増した。
「何があるんだ?」
「見えない、いや、見えづらい」
いらだたしげな声に、ケネスはびくりと肩をふるわせた。すぐにそのことに気づき、レンは大丈夫だと声をかけてくる。
何かを試すように、彼は二歩ほどさがる。つないだままの手を引かれ、そちらに行くべきかとケネスは迷う。だがすぐに、元の位置に来た。そして、なるほどと口に出す。
「濁った水槽――と言えばわかるか?」
「え」
「この、おそらく――広場、か? その中一帯のエーテルの流れがひどく乱れている。渦を巻き濁り動き回っているおかげで、こちらからの作用がうまく働かない。ただ、溜まり――瘤はない。羽虫や何か程度ならばわからないが、少なくとも目立つ生物はいない」
先ほどの気配が分解したとでも言うのだろうか? それとも、と。厳しい顔つきのまま、レンは半ば独り言のような表情で口にする。
一歩進んだ。すぐによろける。今度は、ケネスがレンを支える番だった。
「……しかし……」
行くべきか、戻るべきか。せめてもう一人、軍属もしくは候補の人間がいれば。せめてケネスがぼんやりとでもエーテルの流れを見ることができれば。何か標があれば。
都合のいい妄想だった。ここはただの異界で、子供向けの絵本の世界ではないのだ。不親切であたりまえだ。
「な、流れてる方向とかは?」
「池に石でも投げ込んだみたい――いや――」
言いかけて、止まる。注意深く、彼はもう一歩前へと進み出た。
「あるのか、流れは」
そう言って、ケネスの手を握るてのひらに力をこめる。すい、と、腕が持ち上がった。
「斜め右前に五歩、程度。流れ落ちている。それから、真横――右方向で、細く。こちら向きに大きく。なるほど、これが見えにくい理由」
押し寄せてくる流れが、水槽の縁に至ったみたいな動きで、くるりと向きを変えている。それをさらに、たたずむ小石――レンとケネスが乱す。その流れを横切ろうと、様々な小さなそれがあるが故に、渦ができ、濁りができている。
すべての流れを把握することはできないが、いくつかの大きなものはわかりそうだ、と。そう、レンは口にした。
さらにもう一歩、広場へと踏み込む。ケネスは、まるで内蔵が持ち上げられたみたいな感覚を覚えた。顔をしかめ、あいている手で耳のあたりを軽く叩く。泳いだ後、耳に水がつまったみたいな、不快な感覚があった。
「どうした?」
「いや、なんか――」
小指を耳の穴につっこみながら、ケネスは不快感についてたどたどしく口にする。そういうこともあるだろうと頷いた後、レンは目を伏せた。
「これでいいか」
まるで、タオルでぬぐい去ったみたいに不快感が消える。
「って」
まわりの流れを整えたという彼に、本当に大丈夫かと尋ねる。ここは流れの乱れが激しく、そういった操作はつらいのではなかったかと。
「ほんの周りだけだ。この程度ならばなんとかなる」
何をしたのか、どの程度の労力か。わからなければ、相手の言葉を信じるしかない。
「斜め前、だっけ」
流れ落ちているというのは、と。そう言って、ケネスは地面を見た。
ただの草原で、何もない。それから――と。先ほどのレンの言葉を思いだしつつ、自らの足元を見る。同じく草原だ。五歳やそこらの子供ならば、大喜びで草と草を結びあわせて、罠をかけるに違いない。
まっすぐに向かってきているというのならば、正面に何かあるだろうか?
二十歩ほど先から木が生えていて、森になっている。特に道がついているようには見えない。
草に隠れる位置に何かあれば別だが、さすがに近づいてみないことにはどうとも言えない。
「もう少し前に進んでもいい?」
おそらく手を離した瞬間、先ほどの不快感が襲い来るのだろう。
それに、今のレンの様子では、しかるべき理由がなければ手を離してくれるとは思えない。
自分にしてみれば静かな森なのだが、彼にしてみればエーテルの流れ荒れ狂う危険な場所なのだ。
レンは頷いた。それを確かめ、ケネスは用心深く前へと進む。一歩、二歩。少し前の位置に、白い茸が生えていることに気づいた。握り拳ほどの大きなそれが、一つ二つと、いくらか固まっている。
もう一歩進もうとしたところで、手をひかれた。
「何かあるのか?」
「いや、茸が生えてるくらい?」
地面を覆う草の陰から見え隠れしているだけで、いくつ生えているのかまではわからない。その言葉に、レンは小さく頷く。そして、それ以上近づくのは賛成しないと口にした。
「そのあたりで、急激にエーテルが下向きに落ちている」
その言葉を聞き、ケネスは向きを変える。広場が広がっている方角――右手の方を向いた。
向こうが開けているから行ってみるかという問いに、レンは黙って頷いた。集中しているのだろうか。眉間にしわが刻まれている。
もっとも、開けているとはいっても、地平線が見えるわけではない。
「岩がある、な。白い」
草葉の間から顔を出すものを見つけ、ケネスはそう言った。そして、近づいてみることを提案する。
「三つ見えてるけど、とりあえず一番近いやつに」
あと数歩というところで、レンが唐突にケネスの腕を引いた。危ないの言葉とともに、ケネスは彼の腕の中に収まる。ほぼ同時に抜かれた刃に目をひきつけられながら、わけもわからずケネスは身体をかたくした。
「――一体」
そんな呟きとともに、腕の力が抜ける。頃合いを見計らい、何が起きたのかと尋ねた。
「そこから、飛び出してきたものがあったはずだ」
無言でケネスは首を横にふる。それから、現在レンは目が見えていないはずだと気づき、何もないと口に出す。がっくりきたのだろうか、少しだけ背後から重みがかかった。
「見てこようか?」
「ああ。いや、しかし」
剣を納め、レンは一歩前にでる。もう一歩足を踏みだそうとして、まるで突風に煽られたかの様子でよろめき、後ずさった。
「何ともないのか?」
ケネスは、一歩踏み出した。肌を撫でる微風すらない。もう一歩。
レンはしばし迷うそぶりを見せた。だがすぐに、ひどく苦しげな表情で頼むと口にした。




