六、満
石川の導きで、俺は評定の間へと足を踏み入れた。居並ぶ宿老や物頭、そして一族の頭領たる父上が、一斉に俺へ視線を注ぐ。父上である清正を除き、皆が安物の藁畳の上に居座る中、父上だけは一段高い上座に据えられた、錦の縁取り(にしきのふちどり)のある格式高き畳の上に堂々と座していた。
部屋を満たす空気は、控えめに言っても、酷く息詰まる重苦しさだった。
「満、そこへ座れ」
父上は、宿老の康時の隣にある空席を指差した。康時は背が高く恰幅の佳い老人で、その懐はいつも強欲な金の手配で膨らんでいる。石川の肩を借り、俺は何とか床へ腰を下ろした。このような無様な醜態を評定の場で晒すなど、武士として恥辱の極みであった。
俺は慌てて露わになった足の傷口を小袖の裾で覆い隠し、それを見た父上がもう片方の手を軽く振った。石川は、主の命に忠実な猟犬のごとく、骨彫り(ほねぼり)の熊沢の印章が捺された巻物を俺の前に差し出した。役目を終えると、この忍び(シノビ)は瞬時に気配を消して退室した。奴らのような影の者がこのような公の場に居座ることは滅多になく、普段は不意の襲撃に備え, 壁裏の隠し部屋に潜んでいるのだ。
「……熊沢から、ですか」
分かりきったことを、俺はあえて口にした。厚手の和紙でできた巻物からは、微かに木と墨の匂いが漂い, そこには重々しい蝋印が据えられていた。結ばれていた正絹の紐はすでに解かれており、父上がすでにこれに目を通したことは明白だった。
「読め」
父上の声は冷徹で、いささかの猶予も許さなんだ。
「声に出して、皆に聞こえるようにな」
巻物を広げようとした瞬間、喉の奥がカラカラに干からびていくのを感じた。何が記されているか、俺の頭(脳裏)はすでに最悪の事態を察していた。そこには、一文字一文字が角張り、一切の容赦を削ぎ落とした凄まじい筆致で、こう大書されていた。
『熊沢一族の重鎮の命を脅かし、我が家の矜持と名誉を著しく汚したる大罪に鑑み、鶴田一族の跡取りたる満の首級を要求する。
もしこの条件を拒むなれば、熊沢の軍勢を以て貴殿らの領地を血の海へと変えん。
刻限は、三日三晩とする』
署名――熊沢高津。
うぃうてぃを握りしめる指先が凍りつき、舌が上顎に張り付いたかのように動かない。熊沢が、俺の首を求めている……。
「高津の奴め、若君が己の宿老を刺したと言い張るか!」
物頭の一人が怒声を上げた。
「これは宣戦布告も同然! 一族の跡取りの首を要求するなど、言語道断の侮辱にございます!」
別の者が叫ぶ。評定の間は一瞬にして蜂の巣をつついたような騒然となったが、俺はただ黙って、手の中の和紙を凝視するしかなかった。言葉が出ない。奴らは俺を人殺し(うばい手)と決めつけているのだ。
――いや、待て。人殺しではない。文面にははっきりと「命を脅かした」とある。ならば、豊光は一命を取り留めたのだ。
俺の視線は、反射的に石川が消え去ったふすまの向ころへと向けられた。
「静まれ!」
父上(清正)の剛毅な声が、堂内を圧した。
「このような脅迫状一枚で、我が息子を差し出すわけにはいかぬ」
「ならば、いかにしてこの難局を切り抜けるおつもりで?」
康時がわざとらしく咳払いをしながら、不穏な声を上げた。
「熊沢の武力は侮れませぬ。何より、奴らは血の気の多い野蛮な一族にございます」
父上の身体が微かに強張った。上座から宿老を冷酷に見下ろす。この緊迫した場でそのような弱音を吐くことは、頭領の逆鱗に触れるに等しい行為だった。
「熊沢の兵力など、今更お前に言われるまでもない。奴らは理性を欠き、ただ戦を好むだけの獣よ。されど、戦が始まれば互いに無事では済まぬ。高津がこれほど大それた言いがかりをつけてくるからには、相応の『確証』があるはずだ」
「その確証なら、すでに奴らの手元にございましょう! 若君・満のあの脇差が見つかっただけで、十分すぎる証拠ではありませぬか!」
康時がさらに畳みかける。宿老たちの言う通りだ。熊沢の領地に残された俺の獲物は、如何なる弁明も通用せぬ動かぬ証拠なのだ。
「それに、豊光様の証言もございます! 奴は自らを刺した犯人として、はっきりと我が若君の名を指指したとか!」
楓に刺されたというのに、豊光はあえて俺を犯人に仕立て上げたのだ。なんという禍々しい陰謀か。その事実を知った瞬間、怒りと驚愕で足の傷口が再び激しく疼き始めた。
「満は己の足で歩くことすら叶わぬ身だ」
父上は冷徹に言い放った。俺はただ、恥辱のあまり畳の上に深く頭を垂れるしかなかった。
「そのような傷病の身で、誰が森を駆け抜け、長老の命を狙えるというのだ」
突如として、場を支配していた喧騒がぴたりと止んだ。この評定の間で、これ以上の不作法な口論は許されない。居並ぶ宿老たちの顔色を窺うだけで、彼らが皆、一様に同じ疑念を抱いていることが手に取るように分かった。何者かが、執拗に我が鶴田一族を陥れようとしている。あるいは俺の姿を騙ったどこかの忍びの仕業か、さもなくば豊光の妄言か。奴らはそう睨んでいるのだろう。だが、俺の胸中にはすでに確信があった。豊光は紛れもない嘘つきだ。少なくとも、俺は楓の言葉を信じたかった。仮にあやつが意図して偽りを語り、両家を正面衝突させようとしているのだとしたら、一体何が狙いだ。一族の宿老ともあろう者が、そのような謀略が破滅の道を招くだけだと分からぬはずがない。
再び深い袋小路に突き落とされ、何を成すべきか、何を語るべきかも分からぬ。もし今、俺の私室に楓が潜んでいることなど露見すれば、それこそ……。
「満、お前の刀はどこにある」
父上の鋭い声が静寂を切り裂き、広間の視線が一斉に俺へと注がれた。破滅を招くような見え透いた嘘を吐くつもりはなかった。
「……森にて、熊と交えし折に置き去りにしてまいりました」
俺はただ真っ直ぐに答えた。広間にどよめきが広がる。
「熊沢の森にか」
康時が落ち着かぬ様子で身をよじった。
「はっ、境目の近くにございます」
宿老たちの間で、再び重々しい溜息が漏れる。
「これは明白なる国境侵犯ではないか」
物頭や宿老たちが口々に囁き合ったが、父上はただ沈黙を守り続けていた。おそらく父上は、疾風の独断の出陣も、その後に起きたすべての顛末も、疾風を捕らえた時点でとうに察していたのだろう。俺が森へ赴いた理由も、父上にとっては先刻ご承のことに違いない。されど、それでこの難局が覆るわけではなかった。
「我が家は、一歩も退かぬ」
ついに父上が毅然と言い放った。その一言が、広間にさらなる動揺の波紋を広げた。宿老たちの中には、疾風の処遇について不穏な声を漏らす者もいた。
「このような見え透いた離間の計に、屈するわけにはいかぬ。紙と筆を持て。熊沢高津へ返書を認める」
俺は驚きを隠せず、父上を凝視した。胸を満たしたのは、安堵と、それ以上の畏怖だった。高津に我が一族の無実を信じさせる術など、果たしてあるのだろうか。奴は汚された名誉への激怒だけでなく、積年の憎悪によって盲目になっているのだ。
この不始末に対して、父上が俺に切腹を命じなかったことは、武士としてこの上ない慈悲であった。されど、もし俺のこの首一つで両家の流血を食い止められるのであれば、俺はいつでも腹を切る覚悟だった。
まもなく下男たちが、父上の前へ和紙と筆、術具を運んできた。父上は背筋をすっと伸ばし、威風堂々たる佇まいで、誰にもその胸中を明かさぬまま、静かに墨をすり、筆を走らせ始めた。評定を開く前から、すでに返答は決まっていたに違いない。
「大殿、一体何とお認めにございますか」
再び康時が身を乗り出し、落ち着かぬ様子で腰を浮かせ、また座り直した。
「ただ、我が言葉を記すのみよ」
父上は筆を止めることなく淡々と答え、俺はただその手元をじっと待つしかなかった。父上が俺をこの場に呼び出したのは、決して言葉を持たぬ置物としてではないはずだ。
「防備を固めよ。されど、こちらから戦端を開くことは断じて許さぬ。境目を一歩たりとも越えてはならん。我らに残された刻限は、三日である」
宿老たちは藁畳の上でもぞもぞと身を動かしたが、清正が一同に頷いて巻物に封印を施すと、皆が一斉に席を立ち始めた。その多くは、そのまま足早に広間を出ていく。
「熊沢の奴らと言葉を交わしたところで無駄だ」
「ああ、いくさの支度をせねばならぬ」
物頭たちの焦燥は、この場にいる者すべてと同じであった。今日という日を境に、軍備の増強が本格化する。ただでさえ平時から兵器に莫大な蓄えを費やしてきたというのに、此度のいくさの懸念により、その出費はさらに跳ね上がるに違いない。
まもなく広間に残されたのは、俺と、封印された巻物を手にした清正だけとなった。ふすまが静かに閉まり、父上は俺に向けて激しい怒りのこもった視線を向けた。
「これが何を意味するか、分かっているな」
苛立ちを隠さぬ声で、父上が問うた。
「……承知しております。俺は取り返しのつかぬ不始末を仕出かしました」
俺は深く頭を垂れ、奥歯を噛み締めた。
「然り。たとえ何者かの陰謀であろうとも、それを証明する術は今の我らにはない」
「分かっております」
畳の縁を固く握り締め、俺は父上を見上げるのを躊躇ったが、それでも視線を合わせねばならなかった。頭領をさらに激昂させ、不敬を働くことは武士として断じて許されぬ。
「奴らの脅迫状は傲慢極まりないが、全くの言いがかりというわけでもない。我が鶴田と熊沢は、遅かれ早かれ正面から刃を交える運命にあったのだ」
清正は上座から立ち上がると、一段低い床へと下り、出口に向かって静かに歩み始めた。
それは俺たちの親の代からの因縁だった。領地と資源の配分を巡る、果てなき争い。熊沢は豊かな平野の肥沃な土地を求め、我が鶴田は山の木材を求めた。されど、どちらの家も分け合うことを拒んだ。その結果、俺たちは木材を法外な高値で買い、奴らは米を法外な値で買う羽目になっている。「今日より、お前の一歩たりとも部屋から出ることを禁ずる。物頭の中には、此度の莫大な出費に不満を抱き、いくさを避けるためにお前の首を差し出そうと企む者もおる。……満、忘れるな。俺の息子は、お前一人ではないぞ」
その容赦なき言葉が突き刺さった瞬間、俺の胸の奥に底知れぬ虚無が広がった。清正は巻物を手にしたまま、評定の間を去っていった。俺は張り詰めていた糸が切れたように畳の上へ崩れ落ち、自らの顔を両手で覆った。
小袖の裾をめくると、傷口を縛る布が赤黒く染まっているのが目に入った。まもなく、この血が至る所に溢れ返ることになるのだろう。




