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戦場のアウラウネ  作者: 耕眞智裕
第一章 黒鉄のバベル
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Ⅵ イグニス・ラッシュフォード Ⅳ

 家を失った次の日、私とジョウルクはマーガレットさんと共に王都郊外にある、ある人物の邸宅を訪れていた。

 私は剣術場に隣接するこの邸宅に覚えがあった。三年間通い続けた師の家だ。私は少し懐かしく感じる門の前に立ち深く深呼吸する。


「イグニス様はお強い方ですから、大丈夫です」


 マーガレットさんは私を励まし、邸宅の呼び鈴を鳴らした。そして、待っていたかのように門が開き、三人を招き入れた。


「よく来ました。イグニス様、バランシュ殿。それと、金色のお嬢さん。お話は聞いております。どうぞ中へお入りください」


「師匠。ご迷惑をおかけ申し訳ありません」


「いいんだ。さぁ、入った入った」


 わが師がいつもと同じで安心した。自分の立場が変わっても、当然の様に変わらないものがあった。それは、師だけでなく、ここまで付き添ってくれたマーガレットさんもそうだ。私が彼女の仕える王家の人間ではないにも拘らず今まで通りに接してくれている事に、私は心が折れずに、ここに来れたのだ。


「実の所、既に養子縁組の書類を役所に出していてね。もし、君が断ったらどうしようかと思っているんだよ」


 壁一面に様々な刀剣が飾られた応接室に三人を招き入れ、カミュはそう言うと豪快に笑った。実の所、彼にとってもこの養子話は棚から牡丹餅であった。今の彼の門下生に彼の跡が継げるほどのものはおらず、イグニスこそが自分を継ぐに相応しいと思っていたのである。


「断る故などございません。ジョウルク共々どうかよろしくお願いします」


「はっはっは! それでよい。イグニス様もお嬢さんもこれからはラッシュフォードをお名乗り下さい」


 師はまたも豪快に笑った。


「あの…… 良いのでしょうか私まで…… だって私は……」


「みなまで言うな。知っているよ。

 私は剣の道しか知らぬ故、クレストの教義には無頓着なのだよ。何も気にせずここに居ればいい」


 この言葉にジョウルクは思わず涙を流した。

 彼女に身寄りは無い。それどころか、辿るための過去も記憶も無い。意識を持つと、初めからプログラミングされていたように『仕える相手』『その相手に力を与える手段、及びプロセス』『自らの名前』の三つだけが彼女の手元にあった。

 彼女は自分が蔑まれる故を知らなかった。リナの元で知識を得た事で、ポリネイトというものの存在は知ったが、自分の事だとはゆめゆめ思わなかった。

 そして、本人すら知らぬジョウルクの正体が明るみになった時、全ては自分の敵となったと彼女は絶望した。そのような経緯が、居場所を与えてくれたカミュの言葉をより強いものとしたのだ。


「あぁ、そうだ。そろそろ昼食の時間だね。

 おりいった話は食事を取りながらにしよう。城の食事より味は多少落ちるかもしれんが、自家製だ。うまいぞ」


 時間を見てカミュがそう言うと、傍に置いてあった銀のキッチンワゴンに掛けられた布を勢いよく摘み上げた。その下から出てきたのは四人分の皿と白パン、そして、丁寧に盛られた野菜の上に乗ったローストビーフが堂々と姿を現した。

 ラッシュフォード家は武門の家系であり、古くからの名門貴族の家系でもあった。だが、その本丸であるこのラッシュフォード邸には使用人が雇われていない。その一つ目の理由は、カミュが剣術道場と門下生の育成に予算を傾ける事を望んでいた事である。ただ、これは同時に大きな収入源にもなっていた。二つ目の理由はカミュ本人が家事などを好んでやっていた事だ。神は二物を与えずと言うが、彼は武だけでなく、料理の腕も一流だった。


「私はこれにて失礼します。ラッシュフォード卿。どうかイグニス様たちをよろしくお願いします」


「バランシュ卿もゆっくりしていってはいかがかな?

 貴殿の分もこのように用意させてもらっていたのだが……」


「……大変嬉しいのですが、残した仕事もございますので、申し訳ありません」


 師匠の提案に、マーガレットさんは後ろ髪を引かれた表情を見せたが、提案を断り、この場を後にした。そして、断られた師匠も至極残念そうな様子であった。

 

私たちは上質な料理の味と共にラッシュフォード家としての一歩を踏み出した。新たなる経験や、新たなる生活環境に戸惑いながらも、一つ一つ乗り越え、知らない世界に跳びいった……はずだった……




「イグニス様~ お具合はどうでしょうか?」


「お兄様! シルフィーです。今参りました!」


 毎日の様に幼馴染と妹がラッシュフォード邸に隣接する道場を訪れ、環境はさほど変わらなかった。

 車での送り迎えをしている事から、運転手のバラードさん、その妻マーガレットさんはこの事を知っていたのだろう。そして、恐らく王も……


「姫様、ブランシュ殿。よくいらっしゃいました。イグニス様はまだ剣術の稽古の途中ですので、そちらでお待ちくださいますよう」


 この日稽古場に現れた二人を師匠自ら出迎え、控室へ案内した。私はこの様な光景慣れて久しいほど見て来た。正直、二人がここに来てくれるのは非常に嬉しかった。というのも、日に日にエスカレートする他の門下生の嫌がらせに心底ウンザリしていたからだ。

 道場内に部外者を入れる事を彼らは問題にしているわけではない。実際、門下生の多くが、親族や恋人を道場内に迎えており、師匠もそれを容認していた。

 彼らを下劣な行為に駆り立てていたのはやはり嫉妬であった。王家を離れたにもかかわらず、王家と関りを持つ私を許せなかったのも一部はあるのかもしれないが、十代で免許皆伝を得たという事が彼らには我慢のならない事のようであった。


 そして、ある日、事件が起きた。


 私がラッシュフォードの名を戴いて一ヵ月ほど経った頃。その日もいつも通り、リナとシルフィーが私に会いに来ていた。二人は、私の稽古を見た後、私を待つために邸宅に戻った。この日は珍しく、ラッシュフォード邸で二人を交えた五人で食事を取り、昨今の城の状況が話題となった。


「国の状況は酷く、南大陸での戦争が続く限り、この忙しさは解消されそうにないです」


 リナは慌ただしい城の状況を危惧していた。資源や資本が南に湯水のように流れ、消費されており、王国はあらゆる所でコストカットせざるを得られなかった。その一つが、城で働いている者や公務員の兼業推進である。人件費を抑えるための政策であったが、一人にかかる重圧が多くなり、多くの人間が職を追われた。


「私もお父様の元でお手伝いをさせていただいていますが、大変です…… 

 城の方々から笑顔を見せる余裕が失われていますし、お父様も日に日に窶れてきました。

 だから私…… お兄様が城に戻れるように、お父様を頑張って説得します」


 シルフィーは涙目で決意を口にした。だが、彼女もリナも疲れが顔に目に見えるように表れていた。ここに来る時間の為に睡眠時間を削っているのだろうと私は気付き、申し訳なさが心を満たした。


「ごめんなさい…… 私の所為で……」


 そして、シルフィーの言葉に肩を跳ねらせ、ジョウルクは小さな声で呟いた。よく見ると彼女の目前にある皿の上には料理が一片も欠ける事無く残されていた。


「あなたの所為じゃないですわ。ジョウルク」


「そうですよ。あなたも一緒にレントに帰って、あの日の様に暮らしましょう。私、そのために、お父様を説得するから」


 二人は疲れた顔に笑顔を重ね、落ち込んでいる少女を励ました。

 そして、外で車が停まる音を合図に、私と師匠に別れを告げ、温かい時間はお開きとなった。レントでは当たり前だった時間をこんなにも尊いものであると心に刻み、私は玄関で二人に手を振った。だが、同時に異様な違和感が私を襲ったのだ。

 二人を送り、私とジョウルクが食器を片付けようとした時、外から悲鳴が聞こえた。その声は、先程送ったシルフィーの声だった。


 私は持っていた食器を手放し、それが打ち鳴る前に走っていた。そして、この数秒の間に違和感の正体を理解した。ここに来てから迎えの車は日中にしか来なかったから忘れていたが、あの車は夜中に於いては必ずライトを点けていた。それは、かつて、暗闇をシルフィーが怖がり泣かせてしまった時からの習慣で、私たちにしか知らない事であった。

 扉を暴力的に開け、外に出ると、私は周囲を見回す。暗闇により視界は悪いが、女性のもごもごとしたかすかな声を頼りに、私は二人の居場所に向かった。風を読み、刃の音を知る為に鍛えた聴力が発揮され、私はついに草木に隠れるように停車した車と、仮面を被った男たちに口を押えられたシルフィーとリナを発見した。


「貴様ァァァァァァア!!」


 私は太い木の枝を一本折ると、怒号に似た叫びをあげ、斬りかかる様に男たちにそれを振るった。


「お兄様!」


 シルフィーが小柄な体を利用して、男達の拘束を脱すると、一瞬彼女の姿を見失った男に隙が生まれた。私はそれを見逃さず、手にした木棒でそいつの顔を仮面ごと殴り飛ばした。


「痛ぇ!! 何をしやがる貴様!」


 仮面が弾け飛び、素顔となった男は殺気立った目で私を見る。私はその男の顔に覚えがあった。それはそうであろう。今日ともに稽古に励んだ門下生の顔だからだ。


「何だ! お前たちは! 

 大丈夫か? イグニス様!」

 

 屋敷の奥にいた為、少し遅れて到着した師匠が声をあげる。すると、仮面の男たちは糸が切れたようにリナを解放し、車に逃げ込んで走り去っていった。

 シルフィーは私の胸元で泣きじゃくり、リナはショックで茫然としていた。一歩遅かったら、どうなっていたか分からない。私は恐怖で震えていた。

 

 後日、師匠は門下生に対し、この件について問い質した。彼らは私の見間違いであると反論し、あらかじめ仲間内で作っていたアリバイを証言した。その上、厚顔無恥にも、自らの顔の傷が稽古中に私によって木刀で受けたものであると言い始め、私の破門を要求した。明らかに鈍器のような物による傷であるにも関わらず。

 このような態度に、師匠も怒りが頂点に達し、ついに彼ら門下生を破門する決定を下した。

 その事に納得できない彼らは、汚い言葉で師匠を罵りながら、「覚えていろ! 後悔させてやる」と捻りのない捨て台詞を残し去っていった。


「全く困ったものだ。私の指導力も地に落ちたな。このような形で弟子を破門する事になるとは」


 カミュは門下生たちに清い剣の道を示す事ができなかった事を酷く悲しみ、そして恥じた。だが、その様な師の心を知らず、元門下生の貴族は陰湿な嫌がらせの矛先を彼にも向けた。

 ある日、イグニスとカミュが買い物から帰って来ると邸内が荒らされていた事があった。遺留品ややり方から、彼らの仕業であるという事は明らかであったが、政治的混乱による影響で公安に届けを出しても棚に置かれるだけであった。

 この頃には、クーデターの噂や、暴動の話が頻繁に聞こえるようになり、公安も軍も些細な事に構ってはいられない実情があった。

 あの日の邸内襲撃以降も幾度と同じような事が続き、邸内に飾られていた調度品や武具は徐々にその数を減らしていた。だが、それにも拘らず、師匠は笑顔を絶やさず私に接してくれていた。ただ、彼の笑顔の下の怒りや苦悩によって増えた皺が、私の心を容赦なく抉っていた。

 私を中心として崩れていく幸せが日に日に見える形となり、私はついにある決心をした。

 苦悩の中、かつて会ったコックス大使の言葉を思い出したのだ。


“穢れた者の捜索”


 穢れた者というのはつまるところ私とジョウルクの事だ。王国は戦争を有利に進めるため我々を求めている。

 私は人を不幸にする死神だ。だが、この国の平和の未来を憂いている。そして、この対岸の戦争が終われば、この国を救う一助になる。こんな都合の良い事はあるまい。

 この私の考えをジョウルクに話すと、物悲しい表情を見せながらも、私と行動を共にする意思を示してくれた。だが、師匠は猛烈に反対した。


「私は許さぬぞ! 

 そのような事に身を投じるなんて死にに行くようなものでは無いか!

 私は貴方が不幸になる事は絶対に許さん!」


 ここまで怒り狂う師の姿を私は初めて見た。元門下生の兄弟子たちが卑劣な行動をした時ですら、ここまでではなかった。


「少しでも早く戦争が終わればこの国は救われます。どうか行かせてください!」


「たわけがっ! その為に貴方は戦争の駒になるつもりか!

 人知れずところで苦しんで、国が多少救われて、それでも貴方が幸せにならなかったら、悲しみの坩堝に落とされる人がいる事を知れ! それは私一人ではないのだぞ」


 私の言葉は彼には通じなかった。涙を浮かべ、怒号をあげる師に私はどうする事も出来ず、この場は下がる他なかった。

 だが、次なる機会は直ぐに来た。過労とストレスによって師は倒れ、私は直ぐに医者を呼びに街へ向かった。邸宅にあった有線電話は暴漢と化した弟子たちによって破壊されていたからだ。そして、何の因果か、私は街で奴らの一人と再会した。

 貴族とは思えない程卑しい顔つきに変わり、頬に傷をつけた男は私に近づいて胸ぐらを掴んだ。


「どうだぁ? カミュの爺は元気にしているか? 今思えば破門されて良かったと思ってるぜ。俺らはあいつに感謝してんだよ」


 その言葉の後、右手が私の左頬に飛んできた。私はそれを躱す事も出来ず、まともに受けて地面に転がった。


「そうそう、この傷の礼もしなくてはな」


 男は馬乗りになり、私の顔を何度も殴る。


「私も…… 破門された……」


 殴られながら私はそう呟いた。すると男は殴るのを止め、下品な笑いをあげながら立ち上がった。


「そうかそうか! それはそうだ! 当たり前だよなぁ! お前如きが俺たちより上なんてありえないもんなぁ! これで少しは自分の立場が分かったってもんだろ。今日はいい酒が飲めそうだぜ」


 最後に私の腹に蹴りを入れ、男は去っていった。

 私はうずくまりながらも改めてこの国を去る事を心に決めた。

 その後、腫れた両頬に手を当て、医者に行き、私は師の事を伝えた。彼は私の姿を心配したが、押し通す様にラッシュフォード邸に向かわせ、師に会わせた。


「イグニス様! 大丈夫ですか? そのお顔……」


「問題ない。……それと話がある……」


 その間私は看病していたジョウルクに、今からリーリシア大使館を通じて王国に向かう事を告げた。

 そして、決意を胸に、私は医者に師の看護を任せると、師に頭を深々と下げた。


「すまないが先生。二人にしてはもらえぬか?」


 師はつらそうな顔で、医者を払い、部屋には父子だけが残された。


「行くのか? イグニス様」


「師匠。私の気持ちは変わりません」


 あの日と違い、ベッドに横たわる師には覇気が無かった。それ故に、激しい怒りより、深い悲しみが伝わって来た。


「私は認めん。認めたくない…… だが、変わらんのだな。

 だが、これだけは約束してくれ。

 生きて帰れ息子よ。生きて、最後は幸福になるのだ」


 私は師の手を握る。自然と涙が溢れてきて、頬の傷に涙が触れ痛かった。だが、それ以上に師の心は痛かったのであろう。


「そして、もう一つ。私を師匠ではなく父と呼んでくれないか?」


「それでしたら、私の事もイグニス様ではなくイグニスとお呼びください」


「ふふふ、それは無理だな。もう慣れてしまったよ」


 師は笑顔を見せる。私たちは血ではない何かによって繋がっていた。それは心の父子と言っても過言ではなく、この姿を見れば誰もが私たちを親子と思う事であろう。

「ならばこうしよう。次にイグニス様が帰られた時、私は貴方をそう呼ぶことにする。そして、そちらも私を父と呼ぶのだ。ラッシュフォードにおいて約束をたがえる事は許されない。分かったな! 我が弟子よ」


「分かりました! 我が師よ! わが師の思いに応えるため必ず戻って参ります!」


 私たちは互いを抱きしめ、別れを悲しんだ。

私も本当は行きたくない。この場所で師と共にいたい。だが、私がいる事で師が不幸になる恐怖には勝らなかった。


「行ってまいります。お元気で」


 私は最後の挨拶を済まし、保管していた仮面を顔に被せた。あの日、暴漢の一人が被っていた仮面だ。

 私のこの行動には三つの理由があった。

 一つ目は、大使館において、身分が広がらないようにするためである。インフェクテッドは忌み嫌われる身であり、素性を出さぬ方が賢明だという事だ。元王子である私はとりわけそうだろう。

 更にこの事はリーリシア王国側にも利がある。巨兵騎士を運用している事は、多くに知らしめるべきでは無く、忌み人達のリクルートも秘密裏にやりたいという本音があった。

 二つ目は、腫れた顔を晒したくなかったからである。こういう場においても、私は身なりに拘りたかった。

 三つ目は、自分への戒めの為である。そして、死神として生きるという決意の表れでもあった。


 大使館の敷地に私とジョウルク、二人が足を踏み入れた時。私は家に続いて、国を捨てた。









「イグニス様! イグニス様! 今私に接触を図ろうとしている者がいます!

 いかがいたしますか?」


「私に決定権は無い。ガレッジ大佐とバランシュ大尉に連絡しよう」


「かしこまりました!」


 私は車内の堅いベッドから起き上がると、無線をガレッジ大佐に繋いだ。


「大佐殿。お時間を頂いてもよろしいでしょうか?

 我が隊のポリネイトに通信が来ております」


「分かった。大尉には私から通達する。

 B地点で隊を休め、そこで連絡を取る事にしよう。

 特尉の所に大尉を向かわせるので、それまで待機せよ」


「了解しました。大佐殿」


 私は無線電話が切れるのを待ち、再度ベッドに横になった。無線電話にテーブル、そして簡素なトイレ以外ベッドの他に無いのだから仕方がない。

 王国軍第三特務遊撃部隊。通称『薔薇獄部隊』は18両の砲車と、4両の軍用車に分解されて積まれている巨兵騎士『カプリコーン』で構成された高速遊撃部隊だ。

 隊の基本的な指示は隊長であるリナ・バランシュ大尉が行い、ポリネイトとインフェクテッドの監視役として、ヒュートン・ガレッジ大佐が置かれていた。

 

 ベッドを揺らす車の振動が収まり、B地点に着いたことが分かった。

 フロントラインを巡り、戦闘を繰り返す我が隊は、休息を取るためのポイントをその過程で見つけ出していた。そのうちの一つがこの鬱蒼とした木々に覆われたBポイントであった。


「リナです。イグニス様。お迎えにあがりました」


 丁寧なノック音と共に、リナが私を呼んだ。


「了解いたしましたバランシュ大尉殿。すぐに参ります」


 健気にも、彼女の私に対する態度は変わらない。その事にプライドがあるのだと彼女は話したが、私には辛かった。幼馴染の親友を未だに不幸にし続けているという現実が突き付けられるからだ。

 私が王国軍に入り、騎士召喚の儀と、国王による血の契約を終えてから約一年の後、リナがこの隊に現れた。彼女は持ち前の才覚を駆使し、大尉まで異例の出世を遂げるとこの隊の実質的司令官となった。だが、彼女は変わらない。ずっと私の知るリナ・バランシュのままだ。

 だが、大きく変わった事がある。私が捨てた祖国レオンバルトでは、第一王女シルフィー姫が多忙な王に代わり、一部の行政を任されたそうだ。しかし、彼女はそこで大量の貴族を粛正し、この国にも彼女の悪名が伝わってきた。私は信じたくなかったし、今すぐにも彼女に会いたかった。だが、今や身分が違い過ぎる故叶わない。一度リナに彼女の様子を見て欲しいと懇願したが、何故か彼女はそれを拒否した。


「お待たせしました。中尉殿」


 私とジョウルクは車の戸を開け、彼女に敬礼する。我々インフェクテッドは便宜上階級が与えられているが、基本的にはその位で最下位の地位にある。つまり大尉であるリナは特尉である私の上官という訳だ。

 普段私は人前に出るときはあの仮面を被るが、リナの前では素顔を見せた。あの仮面は彼女のトラウマを呼び起こし、不愉快なものだからだ。




「失礼します大佐殿」


 他の車体より一回り大きな軍用車に司令室が存在した。本来ならテントなどを張り、そこを司令室とするが、特殊な兵器を扱っている為、このような形になっていた。


「二人とも入ってくれ」


 ガレッジ大佐はイグニスとリナを招き入れたが、ジョウルクはその勘定に入っていなかった。彼はポリネイトを人とは扱っていなかったのだ。


「では早速だが特尉。それを使って通信してくれたまえ」


「了解いたしました」


 イグニスの返答に合わせ、ジョウルクは手を広げる。通信用の鏡を出現させる儀式だ。辺りから水滴が現れ、彼女の胸の前に集中していく。

 始めてこの儀式を見た時は、ガレッジ大佐もリナもたいそう驚いたが、今や慣れ、腕を組んで時が来るのを今か今かと待っていた。


「接続しました。相手の場所は……

 N 32°51 E 12°01 シュペルク西部 アーデン通信基地」


 アーデン通信基地の名前には覚えがあった。それもそのはず、ついこの間のシュペルクでの戦いの折もこの地から通信があったのだ。


「こちら、王国軍アーデン通信基地。そちらは、王国軍第三特務遊撃部隊司令部で間違いないか?」


「こちら王国軍第三特務遊撃部隊監視官ヒュートン・ガレッジ大佐」


「同じく、隊長リナ・バランシュ大尉であります」


「イグニス・ラッシュフォード特尉であります」


 こちらの所属と名前をあげると、鏡の中から人の像が浮かび上がる。そこにあったのは前回映ったアルゴ・ブルート特佐ではなく、巨兵騎士を総括する巨兵騎士戦術室室長ウィル・バレンタイン准将の姿だった。


「久しぶりだね諸君」


 バレンタイン准将の挨拶に皆敬礼する。


「そんなに畏まる事は無いよ。

 要件だが、簡潔に言うと、我が国が傷の手当てをしている間に、隣の国が山を作っていたんだ。

まぁ、とりあえずコードγを発令という事でよろしく頼む。

場所はここ。まぁ、言わなくても既にそちらのポリネイトが認知しているだろう。

では、そこで会う事を楽しみにしているよ」


下手糞な例えを出して准将は通信を強引に切断した。かなり焦っているのであろう。


「コードγですか…… 隊を一度本国に戻さないといけなくなりますね」


 リナはそう言ってため息をついた。

 王国軍には命令内容をパッケージしたコードと呼ばれるものがあった。一般的なコードは古代語の一つであるアルファベットで表されるが、禁忌とされる巨兵騎士関係には軍上層部とそれを扱う者しか使わないコードがあった。それがα、β、γ、そして、Ωだ。

 αは特定の場所に進軍するという内容であり、βは防衛出動である。γは持ち場を離れ、指定した場所に集合せよという意味であり、今回発令されたのはそれだった。

 この指令が発令されたという事は、巨兵騎士を用いた特殊作戦が行われる事を意味し、それは即ち、王国側に大きなチャンス、或いは危機的な状況が訪れているという事を示唆していた。


「では、隊に知らせます。これで少しは休息が取れればいいですね」


 リナは少し嬉しそうにそう言った。コードが発令される度、彼女は極度の緊張状態に陥り、それが、Ωではないと分かる度に安心して舞い上がった。

 彼女が最も恐れていたもの、それがコードΩだった。その内容はポリネイトとインフェクテッドの処分。しかもそれを行うのは、隊の司令官か監督官の役目であった。

 リナはこれが発令された場合、イグニスとジョウルクを連れ、逃亡するつもりであった。勿論それは軍規に違反し、彼女自身命を狙われる危険な決断である。それをしなくて良かったと、彼女は安堵していたのだ。

 実の所、監視官であるガレッジもまたΩの発令を恐れていた。数年のイグニスとの活動の間に、彼もイグニスに惹かれ、王国にとっても欠かせない人材だと考えていたのだ。


「さて、内容は行ってみてのお楽しみという訳だ。

 特尉。君なら上層部の期待にも応えられるだろう。全く私も鼻が高いよ」


 ガレッジはイグニスの肩に手を置き、微笑んでそう言った。


「ありがとうございます。必ずや王国の期待に応えて見せます」


 イグニスは敬礼し、ガレッジに答えた。それに合わせ、傍にいるジョウルクも敬礼した。

 ガレッジのイグニスを見る目は温かかったが、ジョウルクに向ける視線は冷たかった。


 王国軍第三特務遊撃部隊はバレンタイン准将の命令の通りに、進路を東に向け、王国領アーデン通信基地を目指す。隊員にとってシュペルクの戦い以来の帰郷であった。

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