表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
式妹(しきまい)は締切を延ばしてくれない  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/12

第12話 終章・観客はひとり

 緋音の手が、最後のスイッチを押した。

 静寂のあと、都市全域が光を吸い込み、黒から白へと反転する。空に浮かぶサイネージは一斉に同じ映像を映し、無数のコメントが一つの形にまとまっていった。

 顔だ。都市の、巨大な顔。ビルのガラス窓が瞳に、道路の照明が輪郭に、交差点の流れが口の形に見える。笑っているのか泣いているのか、判別できない。

 「評価者」を統合する魔術、緋音が設計した“単一観客の術式”が起動したのだ。


「……これが、わたしの完成形」


 緋音の声が街中に響く。無線も、ネットも、個人端末の音声も全てその声に上書きされる。

 「誰も迷わず、誰も争わず、最も効率的な“好み”が集約された都市。もう“ズレ”は生まれない」

 空を見上げた凪の頬に、冷たい風が走った。

 祈が隣に立ち、強く手を握る。彼女の手のひらは小さいのに、掌の中心が不思議と熱かった。


「凪。小さな拍手を増やして。巨人は、ひとりでは支えきれない」


「……小さな、拍手」


「そう。あなたの書く一行が、それになる。分かれるの。みんなで」


 凪はうなずいた。

 通りの向こうでは、弦が観客制御システムの残骸を分析している。律が携帯端末を操作し、音の層を測っていた。斗真はスケッチブックを抱え、雪の降る商店街へ走っていく。

 それぞれが、それぞれの“最初”の場所に向かう。祈の言葉を合図に、四組は分散行動へと移った。


***


 最初に動いたのは、うららだった。

 冬の風が強い路地で、彼女は配信端末を片手に「十秒の即興」を始めた。

 「誰でもいい、十秒だけ何かを言って!」

 通りがかりの人々が、スマホをかざして十秒だけ言葉を残していく。

 「寒いね」「猫、かわいい」「もう帰りたい」「まだ帰りたくない」――そのどれもが、完璧じゃない。でも、それがいい。

 彼女の笑い声に合わせて、十秒の言葉たちがネットに散り、都市の壁面に点となって灯る。ひとつひとつの灯が、“単一の顔”の表面をかすかにひび割らせていった。


 斗真は商店街のベンチに腰を下ろし、ノートを開いた。

 完成していないマンガの原稿。消しゴムのカスが残り、コマ割りの線が曲がっている。

 「ここ、まだ迷ってんだ」

 声をかけたのは、小学生くらいの男の子だった。

 「ヒーローが勝つの?」

 「どう思う?」

 「負けても、描き続ければいいんじゃない?」

 斗真は笑った。「お前、うちの編集より鋭いな」

 そのやり取りを見ていた通行人が、スマホを向けた。写真が拡散され、次々と「描き途中の漫画」がハッシュタグで共有される。

 不完全であることが、呼吸するように広がっていく。


 律は広場にいた。

 小さなスピーカーを地面に置き、リズムを刻む。四拍子。六拍子。

 「誰か、叩ける?」

 幼い子どもが太鼓のおもちゃを持って寄ってきた。

 「こう?」

 「いい音」

 笑い声と拍が重なり、広場にリズムが満ちていく。

 人々が手を打ち、足を鳴らし、拍手が溢れる。

 単一だった“拍”が分裂し、複数のテンポが街を包みはじめた。


***


 凪は公園へ向かっていた。

 昨夜、紙芝居を読んだ小さな子のいる場所。雪の積もるベンチの前に、あの木製の台がまだ残っている。

 凪はそこに立ち、鞄から原稿を一枚だけ取り出した。

 風で紙が震える。祈が隣で小さくうなずく。


「これ、昨日の続き?」


「うん。最後の一行だけ、書きたくて」


 凪はゆっくりと声を出した。


「この物語は、あなた一人のために」


 言葉が空気に溶けた瞬間、紙芝居台の裏の空間がふっと光る。

 小さな拍手が、どこかから響く。

 昨日の子どもが、母親に抱かれて立っていた。

 「ありがとう」と小さな声が返る。

 凪は微笑んだ。

 祈が彼の手を取り、街の方角を指さす。


 空に浮かぶ巨大な“顔”の表面――そこに、ひびが走っていた。

 まるで氷の上を亀裂が走るように、光の線が広がっていく。

 小さな拍手が点となり、点が線になり、線が面となる。

 集合意識の結界を、個の声が内側から突き破っていく。


***


「まさか……」


 緋音は制御室で息を呑んだ。

 ダッシュボードの数値が狂う。視線の流路が乱れ、評価値が上下する。

 「統一化が……崩れていく……?」

 指先が震える。長年、追い求めた“効率的な世界”が、ひとりの作家の一行で崩れていく。

 それでも、緋音の唇は笑みを浮かべた。


「やっぱり、あなたは書き手だったか」


 スクリーンに映るのは、凪と祈の姿。

 彼らの背後で、うららの配信画面が流れ、斗真の漫画が晒され、律の音が街の波形を揺らしている。

 多様な声が混ざり合い、整列しないまま広がっていく。

 それを止める力は、もうない。


「負けたよ。でも、見事だね」


 緋音は膝をついた。

 冷たい床の上に、彼女の影が長く伸びる。

 祈が近づき、静かに彼女を見下ろした。

 「あなたの‘最初’、いつでも取りに戻れる」

 緋音は目を伏せ、笑った。

 「いつか……その勇気が出たら、ね」


 祈は黙ってうなずき、彼女の手に小さな鉛筆の芯を置いた。

 「これは、あの日の折れたやつ」

 緋音は掌でそれを包み込んだ。ほんの少しだけ、頬が赤くなった。


***


 翌月。

 凪の新刊『式妹は締切を延ばさない』が発売された。

 書店の棚に並ぶ帯には、短い一文。


 ――式妹は締切を延ばさない。だから今日書く。


 シンプルな言葉。それでも、ネットではその一行だけが切り取られ、数え切れないほどの“拍手”が寄せられた。

 サイン会は予想外の長蛇の列になった。

 凪は一人ひとりにサインをしながら、祈と視線を交わす。

 彼女は列の最後尾で立っていた。

 鉛筆の耳飾りが揺れ、光を返す。


「おつかれさま、凪」


「ありがとう、祈」


 夜。サイン会を終えて外に出ると、街は春の匂いを帯びていた。

 冷たさの中に、どこか柔らかい花の香り。

 通りの角にたい焼き屋の屋台がある。

 凪は立ち寄り、二つ買った。


「半分こ、しよう」


「ふふ、相変わらずですね」


 たい焼きを割る。中のあんこが少しだけはみ出した。

 湯気の向こう、祈の笑顔がある。

 「まだ続くんだよね、物語」

 「うん。締切は延ばせない。でも、書き続ける」

 「そう。それが“生きる”の定義」


 春風が吹いた。

 祈の耳飾りが、ちり、と鳴る。

 雪の代わりに花びらが舞い、街の空が少しずつ明るくなる。

 凪は空を見上げた。黒いサイネージは、今はもう映像を映していない。

 ただの空。

 けれど、そこに無数の“拍手”が、確かに残っていた。

 それは数字ではなく、人の温度で測れるものだった。


「祈、次は何を書こうか」


「あなたの“最初”に戻る話がいいと思います。あの教室の続き」


「……あの日の丸印、もう一度描き直す感じだな」


 祈は微笑んだ。

 凪は、ほんの少しだけ歩幅を早めた。

 肩が触れる。祈が並んで歩く。

 夜風が、二人の足跡をやさしく撫でる。


 誰かのための一行は、今日も世界のどこかで灯っている。

 その灯は、もう一度、別の誰かを動かすだろう。

 拍手はひとりで始まり、ひとりずつ繋がっていく。

 観客はひとり。でも、ひとりずつ、違う。


 そしてその違いが、物語を前へ進めていく。


 冬が終わり、春が来た。

 祈の耳飾りが、春風に小さく鳴る。


<完>

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ