一
# プロローグ お兄ちゃんのゲーム
ニキビ・ユッケは、自分の名字が嫌いだった。
名前も、できればもう少し普通のものがよかった。
新学期、教師が名簿を読み上げるたび、教室には必ず微妙な間が生まれる。
「ニキビ……ユッケ君」
そして誰かが吹き出す。
名字がニキビなのは父親のせいだが、ユッケと名づけたのも父親だった。
二歳上の兄はカワセミという。こちらも大概だが、響きがきれいな分だけまだ得をしている、とユッケは思っていた。
その日の放課後、ユッケは駅前のゲームショップへ走っていた。
兄のカワセミに頼まれた限定版ゲームの発売日だった。
『予約票なくすなよ。あと箱の角、絶対につぶすな』
朝、兄は三回も念を押した。
「自分で買いに行けよ……」
文句を言いながらも、ユッケは少しうれしかった。
高校生になったカワセミとは、最近あまり遊ばなくなった。だが今夜は、このゲームを一緒に始める約束をしていた。
雨が強くなってきた。
店を出たユッケは、限定版の箱を制服の内側へ入れた。自分の髪や鞄より、箱が濡れないことを優先した。
交差点の信号が青に変わる。
そのときだった。
反対側の歩道にいた幼い男の子が、母親の手を振り切って道路へ飛び出した。
右折してきた大型トラックが、水しぶきを上げる。
ブレーキ音。
母親の悲鳴。
ユッケは考えなかった。
鞄を投げ出し、男の子へ体当たりした。
小さな体が歩道へ転がる。
直後、視界いっぱいに銀色の車体が迫った。
衝撃を感じたかどうかも分からなかった。
気づくとユッケは、冷たい道路に横たわっていた。
雨が頬を打っている。
誰かが救急車を呼んでいる。
指先には、破れた紙袋の取っ手だけが残っていた。
少し離れた道路に、限定版の箱が落ちている。
よかった。角は、つぶれていない。
――兄ちゃん、ごめん。
今夜、一緒にできそうにない。
世界から音が消えた。
《生命活動の停止を確認》
青白い文字が、暗闇に浮かんだ。
《他者の生命を救うため、自らの生命を差し出した事実を確認》
《隠し条件“名もなき英雄”を達成しました》
英雄なんかじゃない。
怖かった。死にたくなかった。
もっと遊びたかった。
勉強しろとうるさい母に、まだ謝っていない。父のつまらない冗談も、もう一度くらい聞いてやってもよかった。
カワセミと、ゲームがしたかった。
《その願いを記録しました》
《固有システム“万象召喚録”を付与します》
《召喚とは、失われたつながりを結び直す力》
《いつかあなたが、その意味に到達することを願います》
暗闇の向こうで、誰かが泣いていた。
兄の声に似ていた。
---
# 第一話 もう一度、十四歳
目を覚ますと、知らない天井があった。
粗末な木の板。その隙間から朝の光が差し込んでいる。
ユッケが起き上がると、知らない記憶が頭の中へ流れ込んできた。
ここはアルディア王国の王都。
自分の名はユッケ・アマノ、十四歳。父は七年前に魔物との戦いで死亡し、母も昨年、流行病で亡くなった。現在は叔父夫婦の屋敷に引き取られている。
「転生……した?」
窓の外には石造りの街が広がっていた。尖塔の間を翼の生えたトカゲが飛び、ローブ姿の女が杖を振ると、街灯に青い火がともった。
夢ではない。
頬をつねると普通に痛かった。
「ユッケ! いつまで寝ているの!」
階下から叔母の声が飛んできた。
「セドリックを遅刻させたら、朝食はありませんよ!」
記憶によれば、異世界のユッケは叔父夫婦に歓迎されていない。屋根裏部屋と食事を与える代わりに、同い年の従兄弟セドリックの世話をさせられていた。
鏡を見る。
黒い髪、黒い目。顔は以前の自分とよく似ている。幸い、ニキビはなかった。
「名前は、やっぱりユッケなんだな」
名字はアマノになっていた。
少しだけ勝った気がした。
今日は王立アルカディア学院の入学式。魔法の適性によって、その後の人生がほぼ決まる日だった。
制服に着替えたユッケは、小さな机の上に一冊の本があることに気づいた。
表紙も中身も真っ白だ。
触れた瞬間、文字が浮かんだ。
《万象召喚録》
《登録数:0》
《記録された願い:家族に会いたい》
ユッケの胸が強く痛んだ。
「会えるわけ……ないだろ」
日本は別の世界だ。
自分は死んだ。家族にとっては、それで終わったはずだ。
本を閉じようとすると、新たな一文が現れた。
《召喚可能距離に、原理上の上限はありません》
ユッケはしばらく、その文字を見つめていた。
やがて本を鞄へ入れる。
期待はしない。
だが、捨てることもできなかった。
◇
学院へ向かう馬車の中で、セドリックは自慢話を続けた。
「俺の火炎魔法は、もう家庭教師からB級相当だと言われている。まあ、平民上がりのお前には分からないだろうけどな」
「俺も一応、叔父さんの兄の息子じゃなかったか?」
「家を継げなかった人間の子は平民と同じさ」
セドリックは鼻で笑った。
前のユッケなら黙ってうつむいていたらしい。
だが今のユッケには、もっと重要な疑問があった。
「この世界に、別の世界を呼び出した召喚士っている?」
「はあ?」
「土地とか、街とか。世界そのものとか」
「いるわけないだろ。召喚士が呼べるのは、契約した精霊か魔獣だけだ」
セドリックは気味悪そうに身を離した。
「適性検査の前から頭が壊れたのか?」
馬車の窓から、白亜の学院が見えてきた。
天を突く七本の塔と、街一つが入りそうな城壁。
ここで力を学べる。
もし《万象召喚録》の言葉が本当なら、いつか日本へ届くかもしれない。
ユッケは初めて、第二の人生で進むべき方向を見つけた。
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# 第二話 F級召喚士
学院の大講堂には、千人近い新入生が集められていた。
壇上には人の背丈の三倍もある魔法石が置かれている。触れた者の職業と潜在能力を読み取り、FからSまでの階級を示すという。
「ヴィクトル・グランツ!」
金髪の少年が進み出た。
魔法石が太陽のように輝く。
《職業:聖騎士》
《適性階級:S》
大歓声が起きた。
続いて、銀髪の少女が呼ばれる。
「リリアナ・フォン・レーヴェ!」
《職業:賢者》
《適性階級:S》
再び講堂が沸いた。
リリアナは歓声に応えず、静かに席へ戻った。その途中、一瞬だけユッケと目が合った。
「セドリック・アマノ!」
《職業:炎魔術師》
《適性階級:B》
セドリックは満足そうに胸を張った。
「見たか、ユッケ。これが本物の才能だ」
やがて、最後の名前が呼ばれた。
「ユッケ・アマノ!」
小さな笑いが起きた。名前ではなく、ぼろびた制服を笑われたらしい。
ユッケが魔法石へ触れる。
淡い光がともった。
《職業:召喚士》
講堂がざわめく。
召喚士は希少職だ。高位の精霊と契約した召喚士は、一人で千人の兵に匹敵する。
しかし、続く表示を見て、ざわめきは爆笑へ変わった。
《適性階級:F》
《召喚可能数:一体》
《契約可能種族:なし》
「契約できない召喚士?」
「何を呼ぶんだよ。空気か?」
「F級なんて本当に存在したのか」
鑑定教師も戸惑っていた。
「学院創設以来、二人目のF級です。しかも召喚対象が存在しないとは……」
セドリックが腹を抱えた。
「歴史に名を残せるぞ、ユッケ。史上二人目の役立たずとしてな!」
その瞬間、魔法石の内側に亀裂が走った。
ユッケにだけ見える文字が浮かぶ。
《転生者との接触を確認》
《一般鑑定への偽装表示に成功》
《真の適性階級:測定不能》
《固有システム“万象召喚録”を起動します》
《自力で打ち倒した存在を登録し、時空を越えて召喚できます》
《対象の種族、生死、距離に制限はありません》
《ただし、真の召喚には対象との“つながり”が必要です》
最後の一文の意味を考える暇はなかった。
足元に黒い魔法陣が広がる。
《初回登録試験を開始します》
《初心者用試練場へ転送します》
「待て。今から?」
光がユッケを飲み込んだ。
消える直前、リリアナだけが立ち上がるのが見えた。
「先生! あれは学院の転送術式ではありません!」
次の瞬間、ユッケは暗い洞窟に立っていた。
奥から六つの赤い目が、こちらを見ていた。
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# 第三話 最初の一体
現れたのは、牛ほどもある黒い狼だった。
《個体名:ヴェノムウルフ》
《危険度:C》
《推奨討伐戦力:B級冒険者三名》
「初心者用って言ったよな?」
返事の代わりに、錆びた短剣が足元へ落ちた。
狼が跳ぶ。
ユッケは横へ転がった。巨大な爪が肩をかすめ、制服と皮膚を裂いた。
痛い。
ゲームの戦闘とは違う。傷口は熱く、足は勝手に震えた。
狼はすぐに向き直った。
逃げ道はない。背後は岩壁だ。
――また死ぬのか?
母の顔が浮かんだ。
父のくだらない冗談。ソファでスマホを見ているカワセミ。食卓に並ぶ四人分の夕食。
一度目は何も分からないまま終わった。
二度目まで、諦めて終わるのか。
「冗談じゃない」
ユッケは短剣を握り直した。
狼が身を低くする。飛びかかる直前、後ろ脚に体重が移った。
今度は動きが見えた。
ユッケは左腕を差し出した。
牙が腕に食い込む。
悲鳴をこらえ、その首へ右腕を回した。近づけば爪は使えない。
短剣を六つある目の一つへ突き刺す。
狼が暴れ、ユッケの体を岩壁へ叩きつけた。
息が詰まる。骨が折れたかもしれない。
それでも離さなかった。
「俺は……帰るんだ!」
どこへ、とは言えなかった。
この世界にも、まだ居場所はない。
日本には、もう自分の体さえない。
それでも家族のもとへ帰る。その願いだけは手放さなかった。
短剣をさらに押し込む。
狼の巨体が震え、力を失った。
《ヴェノムウルフの討伐を確認》
《登録条件を満たしました》
《万象召喚録に登録しますか?》
「する……」
狼の体が黒い光へ変わる。
ところが、光は本へ吸い込まれなかった。
《警告:対象が召喚を拒絶しています》
《つながりが不足しています》
「倒せば登録できるんじゃなかったのかよ」
狼の意識らしきものが、頭の中へ流れ込んできた。
暗い檻。鞭を持った男。魔力を無理やり注入され、六つの目を与えられた痛み。そして、この洞窟へ捨てられた記憶。
狼は魔物ではなく、実験動物だった。
人間を憎み、死んでも従うものかと抵抗している。
ユッケは短剣を捨てた。
「分かった。無理やり呼ばない」
黒い光へ、傷だらけの右手を伸ばす。
「俺も勝手にこの世界へ連れてこられた。だから、お前に同じことはしない」
光の中で六つの目が開いた。
「ただ、もし行くところがないなら……俺と来ないか?」
長い沈黙のあと、狼の鼻先がユッケの手に触れた。
《対象とのつながりを確認》
《ヴェノムウルフが召喚に同意しました》
《登録完了》
《命名すると、つながりが強化されます》
六つ目だから、ロクメ。
あまりに安直だと思ったが、狼は気に入ったらしい。再び現れると、ユッケの顔を大きな舌で舐めた。
《能力還元:毒耐性、嗅覚強化、身体能力微増》
傷が淡い光に包まれ、ゆっくりと塞がっていく。
「最初の仲間か」
ロクメの頭を撫でる。
狼は目を細めた。六つ全部を。
そのとき、洞窟の奥で巨大な何かが身じろぎした。
《隠し領域の封印解除を確認》
《神話級個体:終焉竜アポカリプス》
《初回登録試験の真の対象です》
闇の中に、月ほども大きな二つの瞳が開いた。
『ようやく来たか、万象の召喚士』
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# 第四話 終焉竜の試験
黒竜の頭だけで、学院の講堂ほどの大きさがあった。
鱗の隙間から青白い炎が漏れ、吐息だけで岩壁が溶けていく。
ロクメはユッケの前に立ち、震えながら牙をむいた。
『小さき狼よ。退け。お前に用はない』
「俺の仲間を小さい呼ばわりするな。俺よりずっと大きいぞ」
『比較対象が小さすぎる』
竜の返答は意外に冷静だった。
《緊急任務:終焉竜アポカリプスを討伐してください》
《成功報酬:神話級個体の召喚権》
《失敗:死》
「報酬と罰の差が激しすぎるだろ」
ユッケは黒竜を観察した。
勝てるはずがない。ロクメを千頭並べても無理だ。
だが、妙な点があった。
黒竜の巨体には無数の鎖が巻きつき、胸の中央に赤黒い杭が刺さっている。何より、下半身が半透明だった。
『どうした。恐怖で動けぬか?』
「お前、本体じゃないな」
竜の瞳が細くなった。
「ここにいるのは影か、切り離された力の一部だ。それに、その杭がお前を苦しめている」
『それが分かって、何になる』
「試験の討伐対象はお前じゃない」
ユッケは胸の杭を指した。
「あれだ」
直後、杭から黒い触手が噴き出した。
ロクメがユッケをくわえて跳び退く。触手が地面をえぐった。
杭は封印ではない。竜の力を吸い続ける寄生生物だった。
『人間よ。なぜ我を助ける? 我はかつて、十の国を焼いた竜だぞ』
「助けるかどうかは、お前と話してから決める」
ユッケはロクメの背へ乗った。
「まず、あれが気に入らない」
ロクメが走る。
触手をかわし、竜の前脚から背へ駆け上がる。ユッケは何度も振り落とされそうになりながら、杭へ近づいた。
錆びた短剣では傷一つつかない。
《毒耐性を反転使用できます》
《蓄積した毒を一度だけ放出可能》
ユッケは短剣へ、ロクメから還元された毒を集めた。
刀身が紫色に染まる。
「ロクメ!」
狼が杭の根元へ噛みつく。
ユッケは全力で短剣を突き立てた。
寄生杭が絶叫する。
黒い触手がユッケの胸を貫こうと迫った瞬間、竜の爪がそれを押しつぶした。
『我の上で、いつまで好き勝手をするつもりだ』
「あと十秒!」
『ならば急げ』
竜の青い炎が杭だけを包む。
毒と炎を受けた杭が砕け散った。
《寄生魔神杭の討伐を確認》
《初回登録試験を達成しました》
洞窟が崩れ始める。
黒竜の体も光の粒へ変わっていった。
『ニキビ・ユッケ。お前は敵を倒すより先に、その声を聞いた』
「名字まで読むな」
『いずれ我の本体を見つけよ。我を縛った者は、お前の故郷にも手を伸ばしている』
「日本を知っているのか?」
竜は答えず、幼い黒竜の姿へ縮んだ。
《終焉竜の影が、一時契約を申し出ています》
《受諾しますか?》
「もちろんだ」
《神話級個体“アポカリプス・シャドウ”を登録しました》
幼竜はユッケの頭へ着地した。
『我を使役できると思うな。これは対等な契約だ』
「分かったから、髪を引っ張るな」
『それと、我は空腹だ』
「神話級の威厳、どこへ行った?」
転送の光が三人を包む。
ユッケが最後に見たのは、砕けた杭の内側に刻まれた、日本語の文字だった。
――第二世界観測計画。
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# 第五話 F級の帰還
ユッケが講堂へ戻ると、ほとんど時間は経過していなかった。
生徒たちはまだ笑っている。彼が消えたことさえ、一部の者しか認識していないらしい。
ただし、制服は破れ、肩には血がついていた。
リリアナが真っ先に駆け寄った。
「どこへ転送されていましたの?」
「ちょっとした初心者講習へ」
「その姿のどこが、ちょっとなのです!」
教師が再び魔法石を調べたが、亀裂は消えていた。
ユッケの表示もF級のままだ。
《万象召喚録および登録個体は、所有者が許可した者にしか認識されません》
頭の上で幼竜があくびをしているが、誰にも見えていない。
ロクメも召喚録の中で眠っていた。
「結局、何も呼べないんだろ?」
セドリックが肩をつかんだ。
「だったらさっさと――」
ユッケが振り返る。
自分では普通に見たつもりだった。
しかしロクメから還元された獣の気配が、わずかに漏れたらしい。
セドリックの顔が青ざめ、手が離れた。
「何だよ、その目……」
「目は二つしかないぞ」
ロクメの六つ目を見慣れたせいで、少し感覚がおかしくなっていた。
◇
適性階級によって、生徒の所属クラスが決められた。
S級とA級は白塔。
B級とC級は赤塔。
D級以下は、学院の敷地の端にある旧校舎。
通称、灰組。
ユッケが教室へ入ると、生徒は三人しかいなかった。
机で眠る赤髪の少年。
祈るように杖を握る金髪の少女。
そして窓際で、猫のような耳を伏せている獣人の少女。
担任らしい老人が黒板に名前を書いた。
「わしはグレゴール。世間では落ちこぼれ教師、君たちは落ちこぼれ生徒だそうだ」
老人は振り返り、にやりと笑う。
「実に結構。期待されていない者ほど、好きな道を選べる」
赤髪の少年が顔を上げた。
「先生、俺たちにも卒業資格はもらえるのか?」
「一年後の昇級試験で、全員がD級以上になればな。一人でもF級のままなら灰組は廃止。全員退学じゃ」
三人の視線が、唯一のF級であるユッケへ集まった。
「入った瞬間、責任重大なんだけど」
赤髪の少年が頭を抱えた。
獣人の少女は露骨にため息をつく。
金髪の少女だけが微笑み、手を差し出した。
「わたしはセレスです。治癒術師ですが……治癒魔法を使うと、なぜか相手の傷が悪化します」
「怖すぎるだろ」
「よろしくお願いします」
笑顔がまぶしくて、断れなかった。
ユッケはその手を握る。
「ニキビ・ユッケだ」
教室が静まり返った。
赤髪の少年が吹き出す。
猫耳の少女の肩も小刻みに震えた。
「笑いたければ笑え。慣れてる」
「ご、ごめん。俺はレオン」
猫耳の少女は目をそらしたまま言った。
「ミア」
こうして、世界で最も弱い四人の学院生活が始まった。
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# 第六話 魔力を持たない獣人
最初の授業は、魔力測定だった。
レオンは剣士だが、剣を握ると手が震える。
セレスの治癒魔法は、切り傷を二倍に広げた。
ミアに至っては、測定水晶が何の反応も示さなかった。
「魔力ゼロ」
見学に来ていた赤塔の生徒が笑った。
「獣人なんかを学院へ入れるからだ」
ミアは何も言わず、教室を出ていった。
ユッケはそのあとを追った。
裏庭で、ミアは一本の木を殴っていた。拳から血が出てもやめない。
「放っておいて」
「それ、木に勝つまで続けるのか?」
「うるさい」
ユッケが近づくと、頭の中の幼竜が突然声を上げた。
『その娘から離れろ!』
同時に《万象召喚録》が強制的に閉じた。
頭上にいたアポカリプスの姿が消える。
「今、何かしたか?」
「何もしてない」
ミア本人も戸惑っていた。
試しにロクメを召喚しようとしたが、術式そのものが組み上がらない。
魔力がないのではない。
ミアの周囲では、魔力が存在できないのだ。
グレゴールに報告すると、老人は古い書物を引っ張り出した。
「魔断ち。三百年前、魔術だけで支配する帝国を滅ぼした獣人の力じゃ」
「それなら、どうしてF級に?」
「魔法石も魔力で測るからの。測定器そのものが、ミアの力を認識できん」
ミアが初めて顔を上げた。
「私にも……力がある?」
「ありすぎて測れないらしい」
ユッケは笑った。
「俺と同じだな」
翌日、灰組は実戦訓練場へ出た。
相手は魔法で動く石人形。普通の攻撃はほとんど通じない。
ミアがおそるおそる拳を触れる。
石人形を動かしていた術式が消え、巨体が崩れ落ちた。
見学していた生徒たちが言葉を失う。
ミアは自分の拳を見つめ、それからユッケを見た。
猫耳が少しだけ立っていた。
「ありがとう」
その日の帰り道、ミアはユッケの半歩後ろをついてきた。
「家、反対じゃないか?」
「偶然」
三十分後も、まだついてきた。
頭の中でアポカリプスが笑う。
『どうやら懐かれたようだな、召喚士』
「聞こえてる」
ミアの耳が赤くなった。
その夜、学院の地下で何者かが目を覚ました。
魔力で動く古代兵器。
それは地上にいる“魔力を消す者”を感知し、排除対象として登録した。
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# 第七話 最弱四人の初陣
古代兵器が襲ってきたのは、翌日の昼休みだった。
地面が割れ、全高五メートルの黒い甲冑が現れる。胸には、終焉竜を苦しめていた杭と同じ紋章が刻まれていた。
《排除対象、魔断ちの末裔》
その目がミアを捉える。
光の槍が放たれた。
ユッケはミアを抱えて地面へ転がった。背後の校舎が爆発する。
「なぜ、かばったの」
「俺も分からない。そういう病気らしい」
教師たちが防御結界を張るが、古代兵器は魔力を吸収して巨大化していく。
ヴィクトルが聖剣を抜いた。
「全員、下がれ!」
S級の斬撃が甲冑の胸を直撃する。
しかし傷はすぐに修復された。吸収された聖なる魔力が、逆に兵器の力となる。
「魔法を使うほど強くなるぞ!」
ユッケの声に、ヴィクトルが振り返る。
「F級が指図するな!」
「なら、好きなだけ餌をやれ!」
古代兵器の腕がヴィクトルをなぎ払った。
ユッケは灰組の三人を集める。
「ミアなら、あいつを止められる。ただし近づくまでが問題だ」
「俺が道を作る」
レオンが剣を握った。手は激しく震えている。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃない。剣を握ると、父さんが殺されたときのことを思い出す」
それでもレオンは剣を離さなかった。
セレスも杖を構える。
「わたしは皆さんを治療します」
「傷を広げるんだろ?」
「先ほど先生に調べてもらいました。わたしの力は治癒ではなく、時間の逆行だそうです」
セレスは壊れた石畳へ杖を向けた。
砕けた石が宙を飛び、元の場所へ戻っていく。
「生まれつきの傷まで戻そうとして、悪化させていたみたいです」
「灰組、測定間違いしかいないな」
ユッケは《万象召喚録》を開いた。
人前で力を見せれば、面倒なことになる。
だがミアが狙われている。
迷う理由にはならなかった。
「来い、ロクメ!」
黒い霧から、六つ目の巨狼が現れた。
周囲から悲鳴が上がる。
ユッケとミアが背へ乗る。
レオンが恐怖に耐えながら、飛来する小型兵器を切り払う。セレスが時間を巻き戻し、折れた剣と傷ついた腕を元へ戻す。
ロクメは光の槍をかわし、古代兵器の脚を駆け上がった。
「今だ、ミア!」
ミアが胸の紋章へ手を触れる。
音も光もなかった。
ただ、古代兵器を満たしていた膨大な魔力が、一瞬で消滅した。
甲冑が停止する。
「ユッケ、離れて!」
ミアの叫びと同時に、胸部装甲が開いた。
内部には黒い杭がある。
魔力を失ってもなお脈打ち、自爆しようとしていた。
ユッケの頭上に、小さな黒竜が姿を現す。
『我の出番だ』
アポカリプスが息を吸い込んだ。
「校舎ごと焼くなよ!」
『注文の多い召喚士だ』
青白い炎が細い線となって杭を貫く。
古代兵器が内側から崩壊した。
《古代魔導兵オルドの討伐を確認》
《登録対象とのつながりがありません》
《登録には、残留思念の解放が必要です》
崩れた甲冑の中から、子どもの声が聞こえた。
『おうちに、かえりたい』
古代兵器の核にされていたのは、何百年も前の少年の魂だった。
ユッケは黒い核へ手を置く。
「もう戦わなくていい。一緒に帰る方法を探そう」
《つながりを確認》
《古代魔導兵オルドを登録しました》
黒い甲冑が光となり、召喚録の新しいページへ収まった。
静まり返った訓練場で、ヴィクトルが尋ねる。
「それが……F級召喚士の力だというのか?」
ユッケはロクメの背から降りた。
「魔法石には、そう書いてあった」
リリアナだけが、楽しそうに笑っていた。
---
# 第八話 世界最弱のクラス
古代兵器の襲撃から三日後。
学院上層部は、事件を「老朽化した訓練用人形の暴走」と発表した。
終焉竜や黒い杭については伏せられ、ユッケたちの功績も公にはならなかった。
それでも、見ていた生徒の噂までは止められない。
――F級召喚士が六つ目の魔獣を呼んだ。
――灰組の獣人が、古代兵器を素手で止めた。
――治癒に失敗する少女が、時間を巻き戻した。
――剣を振れない剣士が、仲間の前では一歩も退かなかった。
廊下を歩くと、以前とは違う意味で視線が集まった。
「調子に乗るなよ」
セドリックが壁際でユッケを待っていた。
「隠し道具か何かを使ったんだろ。F級のお前に、あんな魔獣を従えられるはずがない」
「従えてない。仲間になってもらった」
「同じことだ!」
セドリックの手に炎がともる。
だがユッケは、その奥にある感情に気づいた。
怒りではない。恐怖だった。
期待されて育ったセドリックは、役立たずと思っていたユッケに追い越されるのが怖いのだ。
「セドリック。今度、俺に魔法を教えてくれないか?」
「は?」
「俺は魔法の基礎を知らない。B級炎魔術師なら、教えられるだろ」
炎が消えた。
セドリックは毒気を抜かれた顔をしたあと、そっぽを向いた。
「頭を下げて頼むなら、考えてやってもいい」
「それは嫌だ」
「お前な!」
いつかセドリックとも、本当の仲間になれるかもしれない。
ユッケはそう思った。
◇
放課後、リリアナが灰組の教室を訪れた。
「ユッケさん。少し、お話があります」
教室の空気が変わった。
レオンが口笛を吹き、セレスは笑顔で二人分の茶を用意する。ミアは無言でユッケの袖をつかんだ。
「話ならここで」
「あら。ずいぶん慕われていますのね」
リリアナは机に一枚の古い地図を広げた。
北方の禁足地。その中心に、黒い杭と同じ紋章がある。
「王家の書庫で調べました。この紋章は五百年前、異世界から現れた集団が使用していたものです」
「異世界?」
「彼らは自らを《観測者》と名乗り、この世界を第二世界と呼んでいました」
ユッケは洞窟で見た日本語を思い出した。
――第二世界観測計画。
リリアナが、もう一枚の紙を置く。
そこには不格好だが、見覚えのある島国の形が描かれていた。
北海道、本州、四国、九州。
日本列島だった。
「この土地を、ご存じですか?」
ユッケは答えられなかった。
《万象召喚録》がひとりでに開く。
《遠隔世界との微弱なつながりを検知》
《召喚対象候補:異世界・日本》
《現在の接続率:0.000001%》
《召喚に必要な条件を満たしていません》
それでも、ゼロではなかった。
ユッケの手が震える。
帰れるかもしれない。
父と母と、カワセミに会えるかもしれない。
その瞬間、召喚録の白紙だった最終頁に、一瞬だけ日本の光景が映った。
雨の交差点。
花束が置かれた歩道。
そして、ユッケの部屋。
机の前にカワセミが座っていた。
兄の手には、あの日の限定版ゲームがある。
箱の角はつぶれていない。
透明な袋に入れられ、未開封のまま大切に置かれていた。
カワセミが、誰もいない部屋でつぶやく。
『遅いぞ、ユッケ』
映像が消えた。
ユッケは召喚録を強く抱きしめた。
泣くつもりはなかった。
しかし涙は止まらなかった。
「兄ちゃん……」
ミアが黙って隣に立つ。
セレスは何も尋ねず、ハンカチを差し出した。
レオンが教室の扉を閉め、外から見えないようにした。
リリアナは静かに言った。
「その場所へ行きたいのですね」
「行くんじゃない」
ユッケは涙を拭った。
召喚録の最終頁へ手を置く。
「いつか、ここへ召喚する」
世界ごと呼ぶなど、どんな賢者にも不可能だ。
だがユッケの職業は、世界でただ一人の万象召喚士だった。
今はまだF級。
登録された仲間は、六つ目の狼、終焉竜の影、魂を持つ古代兵器の三体だけ。
それでも、進むべき道は決まった。
「手伝ってくれるか?」
ミアがうなずく。
「ユッケが行くなら」
「もちろんです」とセレス。
レオンは肩をすくめた。
「退学まで一年しかないけどな」
リリアナも微笑んだ。
「まずは、この学院で最強になっていただきましょう。世界を召喚するのは、そのあとです」
窓の外では、白塔の生徒たちが華やかな魔法を放っていた。
灰組の四人は、学院で最も弱い。
誰も彼らに期待していない。
だからこそ、何にでもなれる。
ニキビ・ユッケは仲間たちと並び、遠い空を見上げた。
その向こうにある家族へ、心の中で約束する。
――待ってろ、カワセミ。
――今度は絶対、一緒にゲームをしよう。
《第一段階の目標を設定しました》
《異世界・日本を召喚せよ》
《推定達成可能性:0.00000001%》
ユッケは笑った。
「ゼロじゃないなら、十分だ」
世界最弱の召喚士が、世界そのものを召喚する物語。
その本当の始まりを、このときはまだ、誰も知らなかった。




