第弐拾肆巡 夢を追いかけた人にしか見えない景色
「それじゃあ俺は用事があるから、またな。」
「ああ。色々ありがとうな。」
翔と別れた俺は、一人で寮への道を歩き始める。
ふとグラウンドへ目を向けると、一人だけ黙々と走り込みを続ける男子生徒の姿が目に入った。
「……陸上部か?」
夕暮れに染まるグラウンド。
汗だくになりながら何度もトラックを駆ける姿には、不思議と目を奪われる。
「こんな時間まで練習とは、大したもんだな……」
「あっ……空君。」
後ろから聞き覚えのある声がして振り返ると、紫音が小さく手を振っていた。
「紫音か。お前もライブ観てたのか?」
「はい!ガルファン、大好きなんです。」
紫音は嬉しそうに頷く。
「ああ、初めて聴いたけど良いライブだったよな。
音楽なんて全然詳しくない俺でも、あれは凄いって思ったよ。」
俺は少し照れくさそうに笑う。
「ですよね!歌も素敵ですけど、夢に向かって進もうっていうメッセージが好きなんです。」
紫音は自分のことのように嬉しそうに笑う。
「夢か……。」
その言葉に、自然と都市王との話が頭をよぎる。
「そういえば、お前は夢とかあるのか?」
「夢……ですか?」
紫音は少しだけ照れたように視線を逸らす。
「夢って言えるほど立派じゃないんですけど……。」
「いいから聞かせてくれよ。」
「……私、声優を目指して学校へ通ってたんです。」
紫音は静かに頷いた。
「両親を早くに無くし孤児院で育ったのですが、良くアニメを観ていました。」
彼女は夕焼け空を見上げながら続ける。
「そういえば、お前は昔からアニメ好きだったもんな。」
「はい。辛いことがあっても、アニメを観てる間だけは笑えたんです。
だから私もいつか誰かを笑顔にしたいって。そう思ったんです。」
その横顔は穏やかで、どこか誇らしげだった。
「へぇ……。」
俺は素直に感心する。
「それで声優ってわけか。」
「はい……。私には似合わないかもしれないですけど。」
紫音が俺を見つめる。
「……そんなことねぇだろ。」
「本当ですか?」
「ああ、確かにお前は人前で目立つようなタイプじゃない。」
俺は苦笑しながら肩をすくめた。
「でもお前には、人を元気にする力があると思う。」
「…そうでしょうか?」
「少なくとも俺は、お前と話してると少し気持ちが楽になるからな。
だから案外、向いてるんじゃないか。」
紫音は一瞬目を丸くし、それから柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます。空君にそう言ってもらえると……すごく嬉しいです。」
その笑顔は、春の日差しみたいに優しかった。
「別に俺は思ったことを言っただけだ。」
俺は照れ隠しのように空を見上げる。
「それに、俺にはお前みたいな夢がないからな。
夢に向かって頑張ってる奴が俺には眩しく見えるよ。」
「……空君。」
紫音が何か言いかけた、その時だった。
「おやおや~♪ 楽しそうに何を話してるのかな、お二人さん?」
「うわっ!?」
突然背後から声がして、思わず肩が跳ねる。
振り返るとそこには見慣れたロングパーカー姿の麗奈が、
狐のパペットをひょこひょこと揺らして立っていた。
「なんだ、麗奈か。驚かせるなよ。」
「えへへ、ごめんごめんなのじゃ。」
パペットがぺこりと頭を下げる。
「それでどうしたの?デート中?」
「デ…デートだなんて、私と空君は友達であって……こ…恋人同士とかじゃないですッ!!」
「紫音の言う通りだ。将来の夢について話してたんだ。」
「ほほう。若者が夢を語るとは実に青春しておるのう。なぁ麗奈よ。」
狐のパペットが腕を組む。
「うんうん。ボクも夢に向かって頑張る人は大好きだよ。
それで、どんな夢なの?」
「紫音がアニメの声優を目指してたって話だ。」
「……アニメの声優。」
麗奈の表情が一瞬だけ変わった。
驚いたような、何かを思い出したような。そんな僅かな間。
「あの…やっぱり私なんかじゃ似合わないですかね……?」
紫音が慌てて両手を振る。
麗奈が何か言うより早く、別の声が飛んできた。
「声優!?カッコいいじゃん! カッコよさ一万ムーブぐらいはあるな!」
「……その単位は何なんだ?」
思わずツッコミを入れながら振り向く。
そこには、小柄な青年が満面の笑みでこちらへ歩いてきていた。
鮮やかな青い髪を揺らし、いかにも人懐っこそうな笑顔を浮かべている。
初対面だというのに、妙な距離の近さを感じる男だった。
「それにお前は?」
俺が尋ねると、青年は胸を張り、親指で自分を指した。
「俺の名はゼクト!レナちゃんを守るガーディアンさ!」
「……ガーディアン?」
聞き慣れない単語に首をかしげると、麗奈が苦笑しながら肩をすくめた。
「ただのゲーム友達。細かいことは気にしなくていいよ。」
「ひどっ!レナちゃんとは何度も世界を救ってきた戦友じゃないか!」
ゼクトは胸を押さえ、大げさによろめく。
「…ゲームの中でしょ。」
「ラスボスだって一緒に倒したじゃん!」
「…それもゲーム。」
「何百時間も旅した仲じゃん!」
「…オンラインゲームだけどね。」
「二人ともゲーム好きなんだな。」
どうやら筋金入りのゲーム仲間らしい。
「好きなんてもんじゃない!特にレナちゃんなんて昔はアニメもゲームも同人イベン……」
ゼクトは勢いよく親指を立てる。
「ゼクト。」
麗奈が穏やかな笑顔のまま名前を呼ぶ。その一言だけで、空気がぴたりと止まった。
「……あっ。」
ゼクトも失言に気付いたように口を押さえ、麗奈は何事もなかったように笑い直した。
「ほら、今日は周回する約束だったでしょ?」
「え? あ、ああ!そうだった! 急ごう!」
ゼクトは慌てて頷く。
「それじゃ、またな!空君、紫音ちゃん。」
ゼクトが手を振り、そのまま歩き出す。
麗奈もその後に続こうとする、その時だった。
「ああ、それと……紫音さん……だったよね?」
麗奈がふと思い出したように足を止め、ゆっくりと紫音へ振り返る。
「は、はい。」
突然名前を呼ばれ、紫音は少し戸惑いながら頷く。
「夢に、似合う似合わないなんて関係ない。自分が信じたなら、そのまま進めばいい。」
麗奈はいつもの柔らかな笑みを浮かべたまま、静かに言葉を紡いだ。
一拍置いて、麗奈は空を見上げる。
「その先にはね……夢を追いかけた人にしか見えない景色が、きっとあるから。」
その横顔はどこか優しく、それでいて遠い。
まるで、自分自身の過去を思い返しているようにも見えた。
「あ……ありがとうございます。」
紫音は少し驚いた表情のまま頭を下げる。
「じゃ、また明日。」
麗奈は照れ隠しをするようにパペットの手をひらひらと振ると、校舎の向こうへ姿を消していった。
「……あの方も、きっと同じなんでしょうね。」
その後ろ姿を見送りながら、紫音がぽつりと呟く。
「同じ?何か分かったのか?」
俺が聞き返すと、紫音は少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「分かりません。でも……あの目を見ていたら、そんな気がしたんです。」
「……そうかもな。」
俺は短く頷く。
あの一瞬だけ見せた麗奈の表情は、いつもの明るい笑顔とはまるで違っていた。
笑っているはずなのに、どこか切なげで――
まるで届かなかった夢を、今も胸の奥で大事に抱えているようだった。




