あとがき
あとがき
――この物語を書いた理由
この物語は、フィクションです。
登場人物や出来事、裁判の詳細は創作です。
しかし、
物語の核にある痛みだけは、私自身の実体験から生まれています。
私はかつて、大阪に住んでいました。
地元を走る私鉄の乗務員になることが、子どもの頃からの夢でした。
運転席に座る人たちの背中に憧れ、
ダイヤ表や路線図を眺めるのが、何よりの楽しみでした。
けれど、その夢は叶いませんでした。
理由は、いじめです。
逃げるために、地元を離れざるを得なかった。
離れた時点で、その夢はもう戻らないものになっていました。
努力が足りなかったからでも、才能がなかったからでもありません。
ただ、「そこに居続けることができなかった」――それだけです。
この物語に登場する多治見伸介は、
その時の私自身の「もしも」を重ねて生まれた存在です。
そして、伸介が辿った結末は、
現実に起きている数えきれない出来事の延長線上にあります。
これまで、私の作品の中では、
さまざまな死が描かれてきました。
病に倒れ、若くして亡くなったスキージャンパー・上川層一
震災で命を落とした、ナデシコJAPAN入りを夢見ていた名取閖子
いじめによって自ら命を絶った多治見伸介
老衰で人生を終えた赤嶺安三郎
虐待の加害者として裁かれ、命を落とした黒木和正と香織
死に方は違っても、
そこには必ず「意味」があります。
特に、伸介の死は、
「誰かが悪意を持って殺した」のではなく、
多くの人の言葉、沈黙、見て見ぬふりが重なった結果です。
そして、この物語では、
あえて「加害者のその後」も描きました。
それは、
加害者を救うためでも、同情するためでもありません。
いじめは、被害者の命だけで終わらない。
加害者自身の人生、
その家族や兄弟姉妹の未来、
さらに次に生まれるかもしれない被害者の人生まで、
連鎖的に破壊していく行為だという事実を、
目を逸らさずに描きたかったのです。
「加害者にも未来がある」
その言葉は、確かに正しい。
しかし、
奪われた未来を置き去りにしたまま語られる未来は、空虚です。
奪われていい命はありません。
暴力を振るわれていい人生はありません。
夢を断ち切られていい理由など、どこにもありません。
この物語が、
誰かの胸の奥で、ほんの少しでも引っかかり、
「止める言葉」を選ぶ勇気につながるなら――
それが、書いた者としての唯一の救いです。
読者の皆さんへ
――この物語が投げかける問い
ここまで読んでくださったあなたに、
物語としての「答え」を渡すことはできません。
代わりに、問いを残します。
もし、あなたが
教室で誰かをからかう笑い声を聞いたとき、
それを「冗談だから」と受け流した側だったら?
もし、あなたが
SNSで誰かの名前が叩かれているのを見て、
「関わらないほうが得だ」と画面を閉じた側だったら?
もし、あなたが
「子ども同士の問題だから」と
深く踏み込まなかった大人だったら?
――その沈黙は、本当に“無関係”でしょうか。
そして、もう一つ。
「加害者は子どもだった」
「悪気はなかった」
「死ぬとは思わなかった」
その言葉を口にする前に、
被害者は、生き続けたかったという事実を、
思い出してほしい。
夢を語りたかった。
明日を迎えたかった。
誰かと一緒に、大人になりたかった。
その未来は、二度と戻りません。
では、
どうすれば防げたのか。
正解は一つではありません。
けれど、確実に言えることがあります。
いじめは「小さな兆候」の段階で止めるしかない
笑いに乗らない勇気は、暴力を止める力になる
見て見ぬふりは、中立ではない
言葉は、人を殺すことがある
そして何より――
「これはおかしい」と思った人が、
一人で抱え込まなくていい社会を作ること。
この物語が、
あなた自身の記憶や、日常の風景と重なったなら、
どうかその違和感を、大切にしてください。
その違和感こそが、
次の誰かの命を救う、最初の一歩になるのです。
これで、この物語は本当に終わりです。
重たい題材を、最後まで一緒に受け止めてくれて、
ありがとうございました。




