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線路の上の約束 ― 出発進行の朝に ―  作者: リンダ


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34/46

加害者と加害者家族のその後.

取り返しのつかない「その後」


――水谷翔・佐藤慎太・遠藤菜々子



Ⅰ 時間だけが、進んでいく


裁判が終わった日から、時間は止まらなかった。


朝は来て、夜は更ける。

季節は巡り、制服は私服に変わり、

同級生たちは次の場所へ進んでいく。


だが、

水谷翔・佐藤慎太・遠藤菜々子の前に伸びる道は、

「前へ進む」形をしていなかった。


それは、

“償いを中心に再編された人生”

だった。



Ⅱ 閉ざされた進路


中学三年の冬。

三人の進路希望調査票の「高校名」の欄は、空白のままだった。


担任は、保護者面談で静かに告げる。


「……どの学校も、“事情を考慮して慎重に”との回答でした」


事情――

それは、いじめによって同級生・多治見伸介を死に追いやったという事実だ。


佐藤慎太の父は、帰り道でつぶやいた。


「……どこにも、居場所はないってことか」


水谷翔の母は、説明会の資料を抱えたまま立ち尽くした。


「“前例がない”って……前例って、何……?」


遠藤菜々子の家では、もっと早く結論が出ていた。


「高校は諦めよう。

 働いて、賠償を払うしかない」


三人とも、

“普通”という選択肢から静かに排除された。



Ⅲ 働くしかない、はずだった


中学卒業後、三人は仕事を探し始める。


面接で、必ず聞かれる。


「どうして高校に行かなかったの?」


慎太は、何度も同じ答えを繰り返した。


「……家庭の事情で……」


だが、面接官がパソコン画面を見ると、空気が変わる。


検索すれば出てくる。


「名古屋市いじめ自殺事件

 加害児童三名 実名報道」


「……君、もしかして……」


言葉は続かない。

だが、目がすべてを語っている。


――この子を雇って大丈夫か。


連絡は来ない。


水谷翔も、遠藤菜々子も同じだった。

正直に話せば落ちる。

黙れば、後で発覚して落ちる。


扉は、音もなく閉じられていった。



Ⅳ ネットという「永久判決」


逃げ場を求めて、水谷翔は一度だけ動画を投稿した。

顔も声も出さず、ただの風景動画。


数時間後、コメント欄が変わる。


「こいつ、あの事件の加害者じゃね?」

「いじめで人殺したやつが何してんの」

「被害者は戻らないのに、普通に生きるな」


翔は震える手でアプリを消した。

だが、スクリーンショットは拡散され続ける。


遠藤菜々子は、匿名相談を書き込もうとしてやめた。


どうせ返ってくるのは、

「自業自得」「ざまあ」

それだけだと分かっていたからだ。


ネットの中では、

彼らに対する“終わらない裁判”が続いていた。



Ⅴ 家族の崩壊のしかた


1 佐藤家


父は昼の仕事のあと、夜にコンビニで働くようになった。

母は止めなかった。止められなかった。


家の会話は、支払いの話だけになる。


「今月、これ」

「来月、これ」


姉は、私立大学の受験を諦めた。


「どうせ、たいした夢じゃないし」


その言い方が、慎太の胸をえぐった。


家族は同じ屋根の下にいるが、

誰も誰の生活にも入れない。


家は、住んでいるだけの場所になった。



2 水谷家


父の酒が増え、言葉になる。


「……家、潰したな」


母は泣き、怒り、何事もなかったように夕飯を出す。


弟は言った。


「俺、高校いい。

 どうせ“あの家の子”って言われるし」


翔は否定したが、分かっていた。

弟はすでに、学校で言われている。


家族は三方向に裂け、

誰も真ん中に立てなくなった。



3 遠藤家


引っ越しが決まり、名字を変える話が出た。


祖父母宅では、菜々子の部屋はなかった。

弟は部活をやめた。


「部費、もったいないでしょ」


母は静かに、表情を失っていく。


遠藤家の崩壊は、音がしない。

だから外からは、普通の家に見えた。



Ⅵ 唯一の受け皿 ――NPO法人


駅前の雑居ビルの一室。

そこに、小さなNPO法人があった。


「いじめ・不登校・自死遺族支援」


面接で、代表は言った。


「ここは、被害者の場所だ。

 同時に、加害者を野放しにしない場所でもある」


条件は一つ。


逃げないこと。

言い訳しないこと。

被害者の前で、自分を正当化しないこと。


三人は、働き始めた。



Ⅶ 被害者の声を聞くという罰


相談室の向こうから、声が聞こえる。


「“死ね”って書かれました」

「駅のホームが怖いです」


慎太の指が止まる。

翔の手が震える。

菜々子は、呼吸が浅くなる。


ファイルには、無数のケース番号。


その一つ一つの向こうに、

伸介の影が重なる。



Ⅷ それでも、戻らない


ある夜、慎太が代表に聞いた。


「……俺たちがここで働いても、

 伸介は戻らないですよね」


「戻らない」


代表は即答した。


「あなたたちは、許されるために生きるんじゃない。

 許されないまま、責任を果たし続けるために生きる」


逃げ道はなかった。

だが、それが初めて立てる場所でもあった。



Ⅸ 兄弟姉妹に残ったもの


兄弟姉妹は、罪を犯していない。

それでも、人生の選択肢を削られていく。


結婚の話が消える。

進学が消える。

名前が重くなる。


彼らが最後にこぼす言葉は、決まっている。


「私、何したんだろうね」


その問いに、答えは返らない。



Ⅹ 問いだけが残る


この物語は、更生譚ではない。

赦しの物語でもない。


取り返しのつかないことをした人間と、

その周囲の人生が、

どこまで壊れ、どこまで背負わされるのかを描いている。


そして、読者に問いを残す。


――あなたは、どちら側に立ちますか。

被害者を守る側か。

それとも、沈黙の加担者か。


物語は答えを出さない。

ただ、問いだけを、何度でも突きつける。




時間だけは平等に流れていった


あの裁判の日から、時間だけは平等に流れていった。

朝は来て、夜は更け、季節は巡る。


だが――

水谷翔、佐藤慎太、遠藤菜々子の前に伸びる道は、決して平等ではなかった。


彼らがあの時、何をしたのか。

語られるたび、人はこう言う。


「まだ子どもだった」「十二歳だった」。


確かに、三人は小学六年生、十二歳だった。

だが、奪ったものは、子どもの手には余るほど大きかった。


そして代償は、

“その後の人生”という形で、静かに、しかし確実に降り積もっていった。



第一部 小学校――事件後から卒業まで


1 佐藤慎太――「隔離」という名の導線


事件が学校内外に知れ渡った直後、慎太の世界は一気に変わった。

廊下の空気が変わった、と本人が最初に感じたのは、先生たちの目だった。


叱責でもなく、励ましでもなく、

「どう扱えばいいのかわからない」という距離が、露骨に見えた。


教室では、誰かが会話を止める。

笑い声が途切れ、慎太が席に着くと一瞬だけ静かになる。


その沈黙が、慎太にはいちばん堪えた。


担任は「子ども同士の問題」として片づけようとしていた頃の自分を否定しきれず、

学年主任や管理職は「波風を立てるな」と空気を読ませた。


結果として慎太は、守られないまま、監視だけが強くなるという状態に置かれた。


休み時間は職員室近くに行くよう言われ、

トラブル防止の名目で“隔離”に近い導線が作られた。


一方で慎太自身も、事件の重大さを頭では理解し始めていた。

それでも感情が追いつかない。


「やりすぎた」という言葉は出ても、

「何を奪ったのか」を言葉にするほどの想像力が育ちきっていない年齢だった。


数週間後、慎太は保健室登校に切り替わる。

教室に入れば刺さる視線がある。

入らなければ「逃げた」と言われる。


どちらに転んでも出口がない。


卒業式の練習も、最後は別室参加になった。

卒業証書を受け取る場面だけ体育館に入り、終わったらすぐに退場。

写真にも、慎太の顔はほとんど残らなかった。


卒業間際、学校側は「反省文」や「指導記録」を整えたが、

慎太にとっては、紙の上で済まされていく感じがむしろ恐ろしくなっていった。


「もう終わったこと」にされるほど、

取り返しのなさだけが浮き彫りになるからだ。



2 水谷翔――強がりが剥がれる速度


事件が表に出た直後、水谷翔は最初の数日、妙に強がっていた。

廊下で誰かと目が合っても逸らさない。

笑われても笑い返す。

「別に」と言えるうちは、まだ現実が飲み込めていなかった。


だが、クラスの空気は確実に変わった。

以前は一緒にふざけていた連中が、急に距離を取る。


“仲間”が“関係者”に変わり、互いに責任の押し付け合いが始まる。


「俺はそこまでやってない」

「言い出したのはあいつ」


そういう言葉が、休み時間の隅でひそひそと交わされる。

翔はそれを聞くたびに、腹の底が冷えていった。


自分たちは一緒にやった。

なのに、いざとなると誰も守らない。


その現実は、十二歳には重すぎた。


学校は“再発防止”の名目で翔を強く監視し、

先生は「反省している姿勢」を求めた。


反省文、謝罪の言葉、態度の矯正。

しかし翔の中でいちばん大きかったのは、反省よりも恐怖だった。


家に帰れば親が荒れている。

学校に行けば視線が刺さる。

逃げ場がない。


卒業が近づく頃、翔は保健室の常連になった。

頭痛、腹痛、吐き気。

検査をしても異常はなく、結局「ストレスだろう」と言われる。


その“ストレス”の正体を、誰も言葉にしてはくれない。


卒業式は出た。

だが、式が終わった瞬間に体育館を出て、集合写真には入らなかった。


あの場に立って笑う資格が、自分にはない気がしたのだ。



3 遠藤菜々子――「良い子」を演じる自己防衛


事件が明るみに出たとき、菜々子は最初「自分は守られる」と思っていた。

女の子であること、泣けば周囲が動くこと、

“被害者っぽく振る舞う”ことで空気が変わることを、十二歳の彼女は知ってしまっていた。


だが状況が進むにつれて、菜々子は自分の立ち位置を失っていく。


女子の輪の中で、

「遠藤ってさ、あの件…」

という囁きが始まる。


はっきり責められるわけじゃない。

でも、笑顔の温度が低い。

誰かが席を移動する。

それが一番きつかった。


菜々子は次第に“良い子”を演じ始めた。

先生の前では礼儀正しく、行事では真面目に、

誰よりも反省しているように見せる。


だがそれは償いではなく、自己防衛だった。


夜、布団に入ると心臓がうるさい。

ふとした瞬間、伸介の顔が浮かぶ。

自分が言った言葉が耳の奥で反響する。


「やめて」と言えなかった自分、

むしろ煽った自分。


その記憶が、眠りを奪った。


卒業式、菜々子は泣いた。

反省の涙なのか、自分が終わったという涙なのか、本人にも区別がつかなかった。



第二部 中学校――三年間の「目立たない」という生存戦略


4 慎太――家でも学校でも居場所が薄くなる


中学校に上がると、慎太は最初から“わけあり”として見られた。

同じ学区で進学した子が噂を持ち込む。


新しいクラスで自己紹介をしても、笑顔は返ってくるのに目が笑っていない。


担任も配慮はするが、配慮が目立つほど慎太は浮く。

慎太は早い段階で「目立たない」が生存戦略になった。


部活には入らなかった。

入ってしまえば人間関係が濃くなる。

遠征や試合で名前が外に出る。

何より、何かトラブルが起きれば真っ先に疑われると悟っていた。


放課後はすぐ帰る。寄り道もしない。

スマホを持つのも怖くなり、SNSは削除した。


見ない、書かない、関わらない。

けれど“書かれない”わけではない。


家の中も、静かに壊れていく。

親は謝罪と金策と説明に追われ、疲弊し、苛立ち、

慎太に強く当たる日も増える。


慎太が何か言おうとすると、

「今それどころじゃない」と遮られる。


慎太は“家でも学校でも居場所が薄い”状態になっていった。


中2の終わり頃から、慎太は眠れなくなる。

夜、ふとした瞬間に「もしあの時止めてたら」と頭の中が暴走し、

心臓が早鐘を打つ。


心療内科にかかり、

診断名はつかないままでも、安定剤や睡眠導入剤が処方されるようになった。



5 翔――孤立と“冗談”の刃


中学校に上がると、翔は最初から孤立気味だった。

同じ小学校出身の生徒が噂を持ち込む。

“関わると面倒”という空気が、最初から貼りついていた。


翔は部活に入った。

入らないともっと孤立すると思ったからだ。


だが練習中に誰かがミスをすると、冗談が飛ぶ。


「水谷のせいにしたらヤバいぞ」


冗談の形をしていても、翔には刺さる。

また、自分が“人を壊した側”であるという現実を思い出させるからだ。


家の中はさらに荒れた。

父は酒の量が増え、母は些細なことで泣いたり怒ったりするようになった。

親戚との付き合いも切れ、近所の目を気にして引っ越しの話が出るが、金がない。


中2の終わり頃、翔は初めて「死んだら楽かもしれない」と思った。

自分が被害者だと言いたいわけではない。

ただ、責められ続ける毎日に耐える体力が、心に残っていなかった。



6 菜々子――PTSDの可能性という言葉


中学校で菜々子は極端に“普通”になろうとした。

目立たない。

男子と距離を取る。

グループにも深入りしない。

笑う回数を減らす。


周囲は菜々子を腫れ物扱いする。

「関わったら面倒」

「何言われるかわからん」

そういう目。


菜々子は自分の名前が嫌になった。

呼ばれるたびに過去が蘇るからだ。


中2頃から、症状がはっきり出る。

悪夢、過呼吸、動悸。

突然涙が止まらなくなる。

教室でフラッシュバックが起きることもあった。


心療内科で「PTSDの可能性」と言われたとき、

菜々子は初めて、

自分の中にも“壊れた部分”があると認めざるを得なかった。



第三部 進路――「高校名を書けない」という現実


7 面談室の沈黙


中学三年の冬。

進路希望調査票の「高校名」の欄に、三人のペン先は一度も触れなかった。


担任は言葉を選びながら言う。


「……別の選択肢も考えようか」

「……環境を変えるのも一つだよ」

「……人と関わる仕事は、今のあなたには負担かもしれないね」


どの言葉も、優しさの形をしていた。

だが意味は同じだった。


“行けない”

“無理だ”

“受け入れられない”


慎太は、志望校の名前を出すたび、空気が固まるのを感じた。

翔は、玄関で靴を履けない朝が来た。

菜々子は、保育士になりたい夢を口にした瞬間、先生が一拍だけ黙ったことで察した。


夢を語る資格がない気がした。



第四部 中学卒業後――働くしかない、はずだったが


8 面接の質問が刃になる


春。

同級生が制服の色を変えていく中、三人は求人票を見ていた。


面接室で、採用担当が淡々と尋ねる。


「どうして高校に行かなかったの?」


当たり前の質問。

だがその当たり前が、刃のように突き刺さる。


「……家庭の事情です」


慎太は、それ以上を言えなかった。


担当者は履歴書から目を上げず続ける。


「ネットで名前を検索しました。

 “いじめ加害者”“同級生自殺”…出てきますね」


背中を冷たい汗が流れる。


「うちは“社会貢献”を掲げている会社でして。

 残念ですが……今回はご縁がなかったということで」


同じやり取りが、翔にも、菜々子にも続いた。


正直に話せば落ちる。

黙れば疑われる。

扉は静かに閉じられていくだけだった。



第五部 ネットの中の「永久判決」


9 “顔を出していないのに”見つかる


あるとき慎太は思いつきで、動画投稿サイトにログインした。

顔出しはせず、ただ風景を撮って、BGMを流すだけの動画。


最初の数日は再生回数も数えるほど。

それがある日、突然コメント欄がざわつき始める。


「おい、こいつ“あの事件”の加害者じゃね?」

「名前でググったら出てきたわ」

「いじめで人を自殺に追い込んだやつが、何のんきに動画上げてんの?」


慎太は手が震え、動画をすべて非公開にした。

それでもスクリーンショットは保存され、晒され続ける。


翔も同じだった。

ゲーム配信アカウントを作った数日後、見つかる。


「加害者が楽しそうにゲームしてるの、マジ胸糞」

「被害者に土下座配信しろ」


菜々子はSNSのアカウントを何度作り直しても、必ずどこかで「特定班」に見つかった。


「名前変えても無駄だよ、遠藤菜々子さん」


ディスプレイの光は、夜を照らすものではなく、

彼女の心を焼くスポットライトになっていた。



第六部 親と兄弟姉妹の失われた夢


10 家族という“借金”が増えていく


佐藤家

父は深夜のコンビニでも働き始めた。

昼は本業、夜はレジ。

睡眠時間は削れていくのに、通帳の数字は増えない。


増えたところで、そのほとんどが賠償金として消える。


姉の大学進学の話は消えた。


「ごめんね」

母が言いかけ、姉が遮る。


「……わかってる。わかってるから、それ以上言わんといて」


慎太はその場にいて、

自分の存在が家族の呼吸を浅くしているのを感じる。


水谷家

父の酒が増える。

母の情緒が崩れる。

弟が高校を諦めかける。


「どうせ、俺も“あの家の子”って言われるもん」


翔は「そんなことない」と言う。

だが自分が同じ目に遭ってきたことを思えば、その言葉は軽い。


遠藤家

賠償額の重さに耐えきれず、祖父母の家に身を寄せることになる。

菜々子の部屋は、もうない。

弟は部活をやめた。


「部費もったいないでしょ」


笑ってみせたが、その目は笑っていなかった。


“加害者家族”という見えない烙印は、

親兄弟姉妹の未来まで、静かに削っていった。



第七部 家族の崩壊のしかた(決定的な描写)


崩壊は、いきなり怒鳴り声で始まらない。

まず、会話が「業務連絡」だけになる。


「振込、いくら」

「弁護士、何時」

「学校から電話」

「ローン、無理」


そこから、家は三つの段階で壊れていく。



11 第一段階:食卓が“出席確認”になる


父がいない。

母がいる。

兄弟姉妹が黙る。

本人が座るかどうかで空気が変わる。


慎太が席につくと、箸の音が止まる。

翔が席につくと、父が酒を飲む速度が上がる。

菜々子が席につくと、母が急に優しくなる――優しさが怖い。


“普通の夕飯”は、家族にとって

「今日は爆発しないか」の確認になる。



12 第二段階:親の感情が“操作”になる


親は子を憎んでいるわけではない。

だが親は、子を“原因”として扱い始める。


慎太の母は、慎太の行動を監視する。


「どこ行くの」

「誰と」

「スマホ見せて」


慎太が反抗すると、母の声が鋭くなる。


「お願いだから、これ以上増やさないで」


守るための言葉が、息を奪う。


翔の父は、酒で言葉を作る。


「家を潰したな」

「お前のせいで」


正論が、家を刺す。


菜々子の母は静かに壊れる。

怒鳴らない。泣き叫ばない。

表情が消える。料理が薄くなる。買い物が減る。

「今日はもういいや」が増える。


音がしない崩壊は、外から“普通”に見える。

それが最も残酷だ。



13 第三段階:“祝う”機能が消える


誕生日。

卒業。

入学。

初給料。

合格。

友達。


家が未来を祝わなくなる。


「誕生日どうする?」

「……何もしなくていい」

「進学どうする?」

「……無理だ」

「旅行、行く?」

「……行かなくていい」


祝うことは、未来を肯定することだから。

未来を肯定できない家は、祝えない。


この段階で、家族は理解する。


この家は、もう元に戻らない。


それでも生活は続く。

続くことが、崩壊を固定する。



第八部 唯一の受け皿――NPO法人


14 採用する側の理屈


そんな中で、慎太が辿り着いたのは駅前の雑居ビルの一室にある小さなNPO法人だった。


「いじめ・不登校・自死遺族支援NPO

 学歴不問/過去の経歴不問」


面接で慎太は腹をくくった。


「……多治見伸介くんの件で、加害行為をしました。

 今は賠償金を払うために仕事を探しています」


担当者は長く息を吸って短く吐く。


「ここはね、“被害者の場所”だ。

 でも同時に、“加害者が二度と生まれないようにする場所”でもある」


条件が一つ。


「逃げないこと。言い訳しないこと。

 被害者の前で自分を正当化しないこと」


慎太はうなずく。


採用は決まった。


翔も、菜々子も、別のルートから同じNPOに来る。

外部からは批判が出る。


「事件関係者を雇うなんて」

「被害者が傷つく」


代表ははっきり言った。


「彼らを野良にしておく方が、よほど危険だ。

 責任を背負わせたまま、監督下で働かせる。

 それも社会の仕事だ」



第九部 NPOでのやりとり――「被害者の声を聞く」という罰


15 初日:雑務のはずが、音が入ってくる


最初の日、慎太の仕事は雑用とデータ入力だけだった。

相談室のドアの向こうから、すすり泣きが聞こえてくる。


「机がゴミだらけで……」

「“死ね”って書かれてました」


その一語で、慎太の体が硬直する。


(俺が、書かせた。

 俺は“やれよ”って言った側の人間だ)


隣の部屋で翔が電話を取る。


「もしもし、いじめ相談窓口です……

 はい……“駅のホームで押されかけた”……」


翔の手が震える。

声は丁寧なのに、喉が乾く。


菜々子は相談記録の整理を任される。

ファイルには無数のケース番号。


CASE-1024 女子/13歳/教室内での孤立

CASE-2048 男子/15歳/部活動内での暴力

CASE-3072 女子/12歳/ネットでの晒し行為


番号の向こうに、顔の見えない“伸介”がいる気がする。



16 境界線:被害者の前に出ないルール


NPOには暗黙のルールがあった。

三人は“相談者の前に出ない”。


出れば、相談者が崩れる可能性がある。

出れば、NPOが壊れる可能性がある。


だから三人の仕事は裏方が中心だった。


だが裏方でも、声は入ってくる。

泣き声、沈黙、息を吸う音、親の震え。


それは、彼らの過去を毎日更新する装置だった。



17 遺族会の一言


ある日、遺族会の集まりがあった。

三人は会場準備だけを手伝う予定だった。


しかし、ひとりの母親がぽつりと呟いた。


「加害者の子たちも……今頃、どこかで生きてるのよね。

 うちの子は、もうどこにもいないのに」


その声には、憎しみと同じくらい、どうしようもない空虚が混ざっていた。


その夜、慎太は布団の中で目を閉じながら、何度も同じ問いを反芻した。


「俺は、なんであの時、あんなことができたんだ」


答えは出ない。

沈黙と後悔だけが増える。



18 勉強会:自分たちの“構造”を見せられる


半年ほど経った頃、NPOでは当事者の声を共有する勉強会が開かれた。


スクリーンにモザイクの顔。音声は変調。


「中学のとき、同級生のいじめで自殺未遂をしました」

「駅のホームに立つと足がすくみます」

「“ふざけてただけ”って言われました」


慎太の心臓が嫌な音を立てる。

翔はペンを握る手に力が入りすぎて関節が白くなる。

菜々子は呼吸が浅くなる。


さらに続く。


「“人殺しの子ども”って書かれました」

「父の職場にも嫌がらせの電話が」


三人は同時に息を飲む。


(俺たちが、伸介とその家族にやったことと、ほとんど同じじゃないか)


勉強会が終わったあと、代表が三人にだけ言った。


「どう感じたか、言葉にしなくていい。

 ただ、忘れるな」


忘れられるはずがなかった。

むしろ日を追うごとに鮮明になっていく。



第十部 終わらない“支払い”


19 給料日という虚しい儀式


明細には“支給額”が記されている。

だがその下には“賠償金拠出分”“差し押さえ相当額”が並ぶ。


手元に残るのは、ギリギリ生活できる程度。


慎太はコンビニで少し高い弁当を手に取って、棚に戻す。


「……俺が選んだことの結果だしな」


翔は夜遅くまで書類を整理しながら計算する。


(完済まで……あと二十年以上か)


遠藤菜々子は家計簿をつける母の背中を見て、何度も心の中で謝る。


(ごめんなさい、ごめんなさい)


声に出せば母は「いいの」と言うだろう。

でも“良くない”ことは本人が一番わかっていた。



第十一部 それでも、明日が来る


20 小四の男の子


ある雨の日、NPOの事務所に小さな男の子と母親がやってきた。

男の子は小学四年生。

「消えろ」と言われ続けているという。


相談が終わったあと、代表が慎太に言った。


「廊下の案内、頼んでいいか」


慎太は男の子と並んで歩く。

距離は半歩あけたまま。


「ここ、漫画とか置いてある部屋。

 しんどくなったとき、ちょっとこもる場所」


男の子は小さくうなずく。


慎太は気づいたら言っていた。


「“消えろ”って言葉、あれ、間違ってるから。

 言うやつの方が、間違ってるから。

 ここ来るの、間違ってないよ」


男の子が初めて慎太の顔を見る。


「……お兄ちゃん、いじめられたことあるの?」


慎太は少しだけ目を伏せる。


「……うん。

 あと、いじめたこともある」


男の子は何も言わない。

ただしばらく見つめて、図書室のドアを開ける。


その背中を見送りながら、慎太は思う。


(俺がやったことは一生消えない。

 それでも、この子には同じことを繰り返させたくない)


翔も電話口で同じような瞬間を迎える。

菜々子も記録を打ちながら、指先に込める力加減を確かめる。



第十二部 兄弟姉妹の「背負わされた名前」


21 苗字の重さ


佐藤家の姉は、結婚の話が立ち消える。

相手の親がネット記事を印刷して差し出す。


「弟さん、本当に……?」


湯飲みの湯気の向こうで、相手の母親は視線を合わせない。

「少し時間をおきましょう」で終わり、時間は二度と動かない。


水谷家の弟は、恋人ができても続かない。

先に向こうに届いてしまう。


「ねぇ、これって……お兄さんの名前だよね?」


スマホに映る古いスレッド。

“水谷翔”の四文字が燃えるように並ぶ。


「ごめん、考えさせて」


その後、会うことはなくなる。


遠藤菜々子の弟は、就職でも、結婚でも、

家族欄が壁になる。


「ご家族のことも、ある程度正直に書いていただかないと……

 後で発覚したときトラブルになりますから」


“姉:いじめ加害事案で賠償履行中”

そんなこと書けるわけがない。



22 「自分の罪じゃないのに」


兄弟姉妹が、親しい友人にぽつりとこぼす。


「私さ、何したんだろうね」

「殴ったわけでも晒したわけでもないのに」


「“佐藤の家”“水谷の家”“遠藤の家”ってだけで、

 なんで人生の選択肢が削られていくんだろう」


彼らは被害者ではない。

だが、加害者でもない。


その中間地点の声は、議論の中で置き去りにされる。



第十三部 加害者本人たちと家族の距離


23 家族内の禁句リスト


家には禁句が増える。

「伸介」

「裁判」

「学校」

「高校」

「SNS」

「将来」

「結婚」


禁句が増えるほど、家族の会話は痩せていく。


慎太が「ごめん」と言いかけると、母が遮る。


「今それどころじゃない」

その言葉は、慎太を守るためでもある。

だが同時に、家庭が“感情の処理場”を失った合図でもある。


翔が弟に何か言おうとすると、弟が先に言う。


「別に」

“別に”は、諦めと防御の言葉になる。


菜々子が母に近づこうとすると、母が笑う。


「大丈夫」

“大丈夫”は、助けての反対語になる。



第十四部 年老いていくという「刑」


24 同窓会の招待状が届かなくなる


四十代が近づくころ、同窓会の招待状は届かなくなる。

住所を変えたからではない。

誰かがそっと名簿から外したからだ。


親は年老い、看取りが近づく。


病室で父や母がぼんやり天井を見つめて言う。


「……あのとき、あんたたちには、すまんことしたね」

「何も悪くないのに、巻き込んでしまった」


兄弟姉妹は首を振る。

だが現実は変わらない。


結婚もできず、子どもも持てず、

部屋に遺影が増えていく。


テレビでは「いじめをなくそう」のCMが流れる。

キャンペーンが行われても、苗字についたタグは消えない。



第十五部 加害者本人たちの“その後”――救いではなく、場所


25 許されないまま、立ち続ける


ある夜、慎太が代表に聞く。


「……俺たちがここで働いても、伸介は戻らないですよね」


「戻りません」


代表ははっきり言う。


「あなたたちは許されるために生きるんじゃない。

 許されないまま、責任を果たし続けるために生きる」


逃げ道はない。

だがそれが、初めて立ち続ける場所でもあった。


翔は心の中で呟く。


(お前の未来は戻らない。

 だからせめて、これ以上奪わせない)


菜々子はホワイトボードに書き残す。


「冗談は、誰が笑っているかで決まる」

「見て見ぬふりも、加害の一部」


慎太は思う。


――この言葉を、十二歳の自分が読んでいたら、と。



終 問いとして残るもの


線路は、もう元には戻らない。

それでも三人は今日も、NPOの小さな事務所で、誰かの痛みを聞き続けている。


それは償いなのか、罰なのか。

言葉は追いつかない。


ただ一つ確かなのは、

いじめと自死は、被害者だけでなく、加害者だけでなく、

無関係だったはずの家族まで巻き込み、人生を長期で削るということだ。


そして読者に残される問いは、たった一つ。


――あなたは、どちら側に立ちたいですか。

被害者を救う側か。

それとも、沈黙の加担者か。


物語は答えをくれない。

ただ問いだけを、静かに、何度でも投げかけてくる。


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