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線路の上の約束 ― 出発進行の朝に ―  作者: リンダ


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蹴られた静寂

蹴られた静寂


昼の光が落ちて、教室の窓ガラスに自分の顔が薄く重なる時間帯――

その日は、薄曇りで風も弱く、学校全体が疲れたような息をついているように見えた。

だがその静けさは、裂かれるように崩れた。


放課後の廊下。図書室へ行くための短い抜け道を伸介が通ろうとしたとき、角の向こうから数人が出てきた。

先導するのは、いつもの顔ぶれ――佐藤慎太と水谷翔。足元にふらつきがない。目つきには計算された冷たさがある。周囲には、いつもの“取り巻き”たちと、囃し立てる声が群れていた。


「お前、まだ生きとるんか」

慎太の言葉は低く、嫌らしく響く。伸介は足を止め、澪の合図を探した。だが今日は、その合図を出す前に事態が動いた。


水谷が先に手を出したわけではない。二人のうちの第三の者が、突然、素早く踏み込んできた。伸介の肩のラインを避け、裾の内側、目に触れない部分――胴の側面、腹部に向けて一本の蹴りが入る。

鋭い痛みが瞬間的に身体を走り、伸介の顔が歪む。叫び声は出ない。痛みは、言葉よりも早く心を削る。そこへ、二、三の足が続けて当たる。


「チクるんじゃねぇって言っただろ」

声の合図に、取り巻きの一部が笑い、ある者はスマホで映像を撮り始めた。

「うぉー、やれ!」

「おーっ!」


教室のドアが半ば開き、何人かの生徒がその場に集まる。だが大半は、目をそらす。あるいはスマホの画面を透過して、現実を遠ざける。歓声と嘲笑が混じる中、伸介は床へ崩れ落ちる寸前で、なんとか体を支えた。


その瞬間、澪が飛び出した。息を切らしながら、二人の間に割って入る。

「やめて!」澪の声は震え、だが確かに届く力がある。

蓮が続き、学年主任の腕章が廊下の角に見えた。数名の教師が駆けつけるまでの、ほんの数秒間――それは永遠のように長かった。


医務室。消毒液の匂いと、柔らかいベッドの感触。

伸介の腹には数カ所の打撲があって、皮膚の下で青黒く滲む色が広がり始めていた。幸い内臓に明確な危険はないと医師は言ったが、診断書には「全身打撲及び外傷性ストレス反応」と明記された。写真は撮られ、傷の位置と大きさは詳細に記録された。穿った視点で言えば、そこには「証拠」が残された。


紘一と一華は呼び出され、病院で伸介を抱きしめた。紘一の手は震え、拳は何度も固まってはほどけた。言葉は少ない。父親の静かな怒りは、ただ目の奥で燃えているだけだった。

「……警察に、届けるべきやな」一華の声は冷静だったが、震えていた。


警察署。少年課のカウンターに並んで、被害届が出された。

警察官は丁寧に手順を説明する。少年法に基づく手続き、家庭裁判所に繋がる可能性、加害側の保護者への連絡、証拠の保存。学校も、映像とDMのスクショ、聞き取り記録、医師の診断書を供出した。撮影されていた動画は、担当の刑事が直ちに確保した。


学内の聞き取りでは、撮影をしていた複数名が白状し、数人は「見ていただけだ」「止められなかった」と口を揃えた。だが、撮影をやめず、囃し立てた行為もまた、共犯性の一片とされうる行動として記録された。学校は再度、臨時の保護者会を招集し、即時の処分(停学・別室登校等)を検討・実施に移した。


その夜、家の中は重かった。伸介は食欲を失い、眠りも浅い。悪夢で目を覚ますことが増え、動悸が止まらない。澪は側にいて夜通し手を握り続けたが、それでも彼の呼吸は乱れていた。小さな声で繰り返す。


「……なんで、俺が……」

言葉は消え入りそうだったが、家族の胸には確かな決意が生まれていた。これは「いじめ」では終わらせない。暴行という形で身体を傷つけられた以上、加害者側に相応の説明責任と法的責任を問うべきだ、という思いが強くなる。


翌朝、紘一は職場に事情を説明し、休暇を取った。弁護士との面談がセットされ、証拠の整理、逸失利益や慰謝料の仮算定のための基礎資料(医療記録、通学状況の記録、学校での対応履歴、被害当日の映像、目撃者陳述)が集められる。一華は子供の心の回復を最優先に、スクールカウンセラーや専門の心理士への相談を申し込んだ。


地域にも波紋が広がった。保護者たちの間で情報が飛び交い、賛否が分かれる。加害生徒の保護者からは「まだ子どもがかわいそうだ」「大事にしすぎでは」などという声も上がる一方で、「これは許されない」「学校はもっと早く強硬に出るべきだった」と怒る声も大きい。匿名掲示板には再び憶測が飛び、学校はそれに対して法的措置の検討も始める。


物語の次の段階は、不透明で重い。だが確かなことがある。


傷は写真と診断書として残り、医療記録は後の裁判で重大な立証資料になる。


撮影された映像は、加害の認識と周囲の反応を示す証拠となる。


学校側の対応履歴(いつ誰が何をしたか)は、監督義務の履行・不履行を問う重要な文書となる。


伸介の精神的被害は長期にわたる可能性があり、心理的ケアの記録も損害評価に影響する。


だが今は、まず目の前の回復と安全が先だ。紘一は夜、伸介の枕元で静かに誓う。

「誰の前でも、俺は守る。お前を守り抜く」

伸介は震える声でそれを聞き、目を閉じる。痛みは消えないが、家族の固い手は確かだった。


窓の外、遠くを行く列車の音が低く続く。

列車の音は変わらないが、乗っている者の心は、もはや以前と同じではない。

次に来るべきは、法廷へ向かう長い道のり、そして証言と記録の戦いである。

だがその前に、子どもの傷をどう癒すか――それが、今、最も切実な問いであった。

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