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其処に草が生えている 緑之章—踏み潰す—  作者: 宮林 實
第三章『出会いは縁』
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第三章『出会いは縁』(8)

 中村佳奈が住んでいたマンションにつく。

 マンションの一階部分には数件テナントが入っていて、周辺も整備されている。駅から十五分近く歩いたが過ごしやすそうな雰囲気だった。


 警察や記者の人たちはいなかった。夕方なのでさすがに撤収したのだろう。

 周りを見渡していると、マンション前にある街路樹の囲いのふちに座っている男性が一人いた。

 男性はぼんやりとした表情でマンションを見上げている。


「あの人――」

 雪は何故か男性に近づいていく。


「雪、どうしたんだ?」

 雪から表情が消えていた。初めて話しかけられた時と同じ表情だった。


「貴方は中村佳奈の彼氏ですか?」

 均が驚くのを他所に、目の前の二人は話が進む。


「……君は?」

「私は――」

 何かが変わった気がした。


「あ、君は佳奈の妹ちゃんだったよね。確か菜奈ちゃんで合ってるかな? 一度しか会ってないから……俺は秋本誠司って言います」


「――はい。妹の菜奈です」

 縁だ。雪は今、縁を使っている。縁で自分が妹になったのだ。

 こんな事もできるのかと、均に縁が使われたわけではないのに、肝が冷えた。


「さっきまで警察署で話してたんだ。今、俺が一番怪しいんだってさ。そんなわけないのに。身内に現場には行かないほうがいいって言われてたんだけど、いろいろ考えてたらつい足を運んでしまって……」


「あの……知ってる範囲でいいので詳しく教えてくれませんか? どうして姉がこんな事になってしまったのか」


 秋本誠司は暫く黙っていたが、雪が「お願いします」と頭を下げたので、なんとか重い口を開いてくれた。

 秋本誠司は「妹の菜奈ちゃんにこんな話して申し訳ないんだけど……」と前置きをした。


「実は昨日、佳奈と別れ話をしたんだよ。そしたら別れたくないって聞く耳持ってくれなくて、そのまま家を飛び出していってしまったんだ」


「聞いてもいいですか? なんで姉と別れようと思ったんですか?」

「……俺が他に好きな人ができたから――もちろん誠心誠意謝ったよ。佳奈は年齢的にも結婚したいって言ってたし、俺もそのつもりだった、けど」


 なんとなく均は居心地が悪くなって、急に手持ち無沙汰になった。人の内輪の話を盗み聞きしている気分だった。


 その上、縁で半ば無理やり聞き出している。仕方がないにしても、罪悪感は拭えなかった。でも雪が使者としての役目を果たそうとしている。そこだけは否定しては駄目だと思った。


「じゃあ昨日の夜はずっと家にいたんですか?」

 ニュースで秋山誠司が帰宅した時に死体を発見したとなっていた。雪もそれは知っているので、あえて質問しているのだろう。


「佳奈が飛び出していった後は、彼女のところに行っていた」

「……彼女、って好きな人の事ですか」

「そうだよ。佳奈とはまだ別れてなかったけど……彼女とは一緒にいたかったから……」

「…………」


「でも、あんな風に話を全く聞いてくれないなんて向こうも酷いじゃないか。だから俺も家を出て、彼女と過ごして朝方に帰ったんだ。そしたら佳奈が倒れてたんだ」


 中村佳奈は、彼氏ではない男と一緒にいた。

 つまりお互い浮気をしていたのだ。ということは、あの男は浮気相手ということになる。


 なんとも言えない空気になってしまった。それが気に障ったのか、秋本誠司はあからさまに感情を昂らせた。


「仕方ないだろ! 人の気持ちなんて、他人がどうこうできるものじゃない! 俺を束縛する癖に、佳奈だって他の男と遊んでたんだからな! そんな女と結婚してずっと一緒になんて無理に決まってるだろ!」


 心の底から嫌悪している顔だった。

 そんな激情を他人に向ける目の前の男を、均は少しだけ惨めに思った。


「い、一応妹の前なんですから、そんな言い方……」

 聞いていられなくなって、つい口を挟む。だが秋本誠司の耳には入っていないようだった。


 そして秋本誠司は、小さく鼻で笑って言った。

「……本当は、俺が殺したってかまわなかったんだ……」


 その言葉と共に秋本誠司は無表情になり、動きが止まった。

 何かが変わっていく感覚が在る。雪の表情に焦りの色が浮かんだ。


「縁の気配がする。誰かが、この人の縁を変えている」

「それは佳奈って人になった雪もじゃないの?」


「もっと根本的な、もっと強力な縁だよ。……誰なの?」

 雪は辺りを見渡した。


「周辺に誰かいる?」

「ううん。使者の気配はしない」


 周囲には誰もいない。異様な空気が漂っている。

 底知れぬ焦りの中、秋本誠司は言った。


「俺が佳奈を殺したんだ――」

「――え?」


 誰かの縁が効く前、秋本誠司は自分が中村佳奈を殺してもよかったと言った。つまり殺意は若干あったのかもしれない。しかし実際は手をかける程ではなかった。


 縁が効いてから中村佳奈を殺したと言った。縁で秋本誠司が中村佳奈を殺したことにしたということだ。


 均は、数々のタイミングの良さから、これはあの男の力だと思った。あの男は使者のような力が使えるのかもしれなかった。

 と同時に、此処にいてはいけない、と均は思った。これ以上ここに留まる事は危険だと感じた。


「この人がせめて人殺しにならないようにできないかやってみる」

 雪は秋本誠司にかけられた縁を探ろうと、自身の縁を使おうとしていた。


 咄嗟に雪の肩を掴んで言う。

「今、力を使わない方がいい気がする」


「どうして? この状況で終われるわけがない。この人が人を殺しているとは思えないよ」

「でもこの感じは、ホテルの時と感覚が似てる。たぶん此処を離れた方がいい」

「この人が犯人の確率はかなり低いよ。この縁が誰のものか突き止めないと……!」


「この縁があの男の能力と仮定した場合の話だけどーー縁は人の行動や想いを変えたりするんだろ? でももし、二つの縁がぶつかったらおかしなことになる気がしないか?」


 こんな時こそ冷静になるべきだ。今までの事を思い出し、何か引っかかる事を纏める。

「どういうこと?」


 均はゆっくり息を吐く。その間にも、何かが変わっていく感覚が在った。それがピリピリと肌で感じる。

 秋本誠司はその間、ぶつぶつと何かを呟いている異様な状態だった。


「例えば、縁を使える者同士が同じものを対象にした場合、その二つの縁と対象はどうなる? 二つの縁、どちらかが優先されるのか? それとも相殺されるのか? その後の対象の状態は?」

「わからない……」


「根本的かつ強力な縁を構築できるって事は、きっと向こうの方が力は上なんだろ? それなら今、力は使わない方がいい気がするんだ」


 昨日、出入り口で見張っていたのにも関わらず、感覚が戻った時には、男は既にホテルを出てかなり距離があった。もし雪の力の方が上だったならば、出入り口から出てきた時点で感覚が戻っていてもいいのではないか。


 雪はあの時、男の周辺を縁で変えた。男も、周辺を縁のような力で変えていたなら、双方の縁のどちらかが優先されたっておかしくはない。


 それともあの状態が相殺された状態で、二十分の空白もそれに関連しているのかもしれない。


 そして、対象の状態――中村佳奈の状態が通常起こりえない状況になっていて、雪の縁とぶつかり、イレギュラーなものになってしまったと考えたらどうだろうか。


 ただそうなると、中村佳奈が自分の家で死んでいた事は辻褄が合わない。家に行って殺した可能性はやはり捨てきれない。

 考えすぎなのだろうか。


「使者は遠隔で人を殺せたりするのか?」

「……性質上できるとは思う。私には無理だけど」


 もし遠隔で人を殺したりもできるなら、縁の可能性はさらに広がる。

 いろんな可能性は捨てきれないが、縁を使うことによって、自分たちが思わぬ状態になる可能性がある。


「さっきから嫌な感じがして仕方ないんだ。雪は何も感じない?」

「縁の感覚しか判らない」


「強力な縁を使うって事は、どうしても変えたい何かがある、と思う。それがこの人を犯人にするって縁だとして、そんな時にこの縁を使っている者を見つけたいという雪の縁を介入させたら――」


 これは全て勘だ。勝手な想定でしかない。それでもそこまで遠くない想定に思えた。

「だからここを離れよう」


「でもあの人が人殺しになっちゃう。本当は殺してない筈なのに」

 秋本誠司の心配をする雪を他所に、均は思う。


 “本当に、この男が中村佳奈を殺していないという証拠もない。何もわからない状況で、無駄な縁は使わない方がいい”


「雪の力で、今の状況でできることって何がある?」

 納得させるため、少し強い言い方をした。


「…………」

 雪は均を見た。不自然に凪いだ表情をしていた。


 雪は暫く均を見た後に言った。

「……わかった。ここを離れよう」


 雪は素直に均の言葉を聞き入れた。

「今近くに使者も異物の気配も全くしない。他人の縁の感覚だけがある。確かに不気味だし、私にはこの状況を変えるような縁は使えない」


 そうして均たちは、後ろに下がるようにして強力な縁から距離を取り、その場を離れた。

 かなりの距離をとった後、均は後ろを振り返る。


 秋本誠司という男は無表情のまま、ぶつぶつ言いながらその場に立ち尽くしていた。


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