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ジェームズ氏の幸福な毎日  作者: 中嶋羅門
美しい日
3/3

美しい日 3

「この先に、ほら小さな明かりが見えるでしょう? あそこが私の家で教会です。私の父母も宣教師だったので、幼い 頃から日本とイギリスを行ったり来たりでしたが、日本人 女性と結婚したのをきっかけに、ここに落ち着きました」

 簡易コンロでお湯が沸くまでの間、僕たちは身の上話をしていた。

 彼は饒舌だった。割合で言えば、彼が3を喋り僕が2を答えるといった感じだったが、それはまるで品の良いトー クショウのようにバランスが取れていた。

「日本での生活はどうですか?」

 話が途切れた時に、ためしに僕のほうから話をふってみたが、まるで英語の教科書みたいな文にしかならなかっ た。他に適当な質問が浮かばなかったのだ。しかし、彼はそんな質問も、ちゃんと拾ってくれた。

「納豆は未だに苦手ですが、この国は素晴らしいです。故郷の半分ですから」

「そうですか」

 僕は金属製のマグカップに入ったコーヒーを手渡しながら

「えぇ、日本は恵まれた国です」コーヒーを受け取りながら、彼は言った。 「失礼。喋り過ぎてしまいました。アウトドアの夜は人を饒舌にしますね。職業柄、人の話を聞いてばかりなんで、たまにリバウンドがくる。そうだ、ところでその」

 言葉を切った後、彼は話題を探しながら二、三秒間ほど宙 を眺めていたが、すぐに視線を戻して僕にこう聞いた。

「あなたのお仕事は何を?学生さんですか?」

 あまり触れたくない質問だった。しかし、その時の僕は、

「いえ、違います。ちょっと前までは小さな会社に勤めていましたが、退職したんです。やりたい事があって」

 何故だか正直答えていた。

「ほう!やりたい事ですか。それはなんですか?」

 興味深々といった感じで彼は言った。 いつもなら適当に嘘を付いてやり過ごす所だったが、ここまで話したら、後にはひけなかった。

「芝居をしたいんです」

 さっきまで感傷的な気分に浸っていたせいだろう。あるいは、この所ずっと心にわだかまっていた感情を、誰かに吐露したかったのかもしれない。独白は続く。

「幼い頃から役者になるのが夢でした。学生時代は劇団に 所属して、毎日毎日、バイトか劇団の稽古しかしませんで した。だけど」

 そうだ。どうして、僕はここにいるんだろう?

「就職とともに諦めたんです。こんな世の中ですか ら。でも、諦めきれませんでした。仕事をしていても、遊んでいても、寝ても覚めても、考えるのは演じることばかり。 いつも感じていました。ここは僕の場所じゃないって」

「なるほど」

 宣教師は相槌とともに、僕がポツリポツリと話す言葉を注意深く拾い上げるように聞いていた。だから、つい余計な事まで喋ってしまう。

「恋人が居ました。学生時代からの付き合いで、このまま結婚するんだろうとも思っていました。ですが、会社を辞めてすぐに別れてしまったんです。望みの薄い賭けに彼女まで巻き込んでしまえるほど、僕も無責任にはなれなかった」

 幾つかの風が吹いた。

 朝までここに居るのは厳しいかも知れない。ぼうっと、そんな事を考えた。

「彼女を放してしまうのは、無責任だと思いませんでした か?」

 ぽそりと、彼は言って黙ってしまった。まるで、言葉が風 にさらわれてしまったように。

 沈黙が訪れる。彼は曖昧な返事をしようとしている僕の顔を見ている。 まるで何かを見透かすように。

 僕はカチンと来て、

「思いましたよ!だから、迷ってるんです」 

 そう言った。宣教師は黙って、僕の目を見たまま頷いた。

「あなたは、宣教師なんでしょう?迷える子羊を救ってください。教えてください。僕は本当に間違ってなかったんでしょうか?僕はこれからどうすれば良いんでしょう?」

 僕が一気に捲し立てると、

「宣教師にそれを聞くんですか?」

 と、彼は言った。そうしてから、ふふっと笑って、こう続けた。

「なら、返事はひとつです。『主イエスを信じなさい』。それ以外に私の話すべき言葉はありません」

 宣教師はまたコー ヒーを一口飲んだ。

 なんだそりゃ?

 きっと僕はそんな顔をしていただろう。 彼はまた小さくクスクスと笑って、肩をすくめた後、すぐに真顔に戻ってこう言った。

「やっぱり、この答えじゃ不服のようですね。では、コー ヒーもかけてしまった事もありますから、私的意見を少々」

 ふむ、と呟いて、彼は金属製のマグカップを手の中で弄び ながら口を開いた。

「では問題です。道に迷った時に人はまず何をするでしょ う?たとえば、あなただったら」

 逆に質問されてしまった。

「僕だったら、今居る場所を確認しますね。それから進路を決めます」

 多少投げやりに答えている僕が居た。

「その通りです。では、まず今あなたはどこにいるんで しょう?」

「……わかりません」

 僕は憮然として答えた。

 当たり前だ。現状がそんなに簡単に客観視できるくらいなら、誰も悩んだりしない。

「そのようですね。あなたは、恋人という過去に囚われていて、同時に役者という未来に手を伸ばそうとしていますが、心は現在に居ません」

 ぎくり、としてしまった。

 確かに、今の僕は彼女の傍で芝居をしてた頃とはまるで違う。いつも空ろで、何かが足りないと思っている。

 少し気取ったように人差し指を立てて、宣教師は話を続けた。

「人が悩んでいる時、大抵その心は今ではない所に居ます。 まずは、心が現在という時間を歩いている事。つまりは、 現在を大切にするという事ですが、これが位置確認に他なりません」

 彼は顔を上げて北の星を指差した。

「次に、進むべき方向です。 あれを御覧なさい。北極星です。昔の旅人は、夜、あれを目印にして旅をしました。砂漠の夜や、大海原の航海の時なんかにね。

 旅の道程では、何か目印が必要だからです。 特に道に迷いそうな時ほど」

 北極星。この大空で、ゆるぎない位置を保つもの。

 僕は同じ星を見上げた。

「私たちは、誰でもこの地上で旅人です。私の場合、北極星はいつもキリスト・イエスでした。宣教師になる決心をした時も、日本に遣わされた時も、日本人の妻を迎えた時も。おかげで今の所、どうやら道を間違った事は無さそうで す。私にとって、この人生は素晴らしい旅ですから。しかし、それをあなたに強いはしません。信仰は自発的なものです」

 また、彼は一口コーヒーを口に含んで喉を潤した。 ごくん、と喉がなる音が聞こえる。

「してみると、後は『あなたにとっての北極星は何か』です。役者の道か彼女か、それとも両方か。それさえはっきりすれば案外、自分の進むべき道はすんなりと見えてくるかもしれません」

 僕は黙って聞いていた。

「『人生は美しい』。これはある人たちからの受け売りですが、信頼のおける言葉です」

 星はただじっと僕を見 ていた。

「私は沢山の人の死を通して、平凡な人生など存在しない事を知りました。職業柄、人の悩みを聞く事も、人の死を見取ることも他の方よりも多いものですから。

 沢山の人の話を聞きました。誰もが独特な経験をし、紆余曲折を経てこの旅を終えます。人の生とはこの星の歴史と同じぐらい、ユニークでとても重みのあるものです。必然の積み重ねで紡がれた運命の意図は、沢山の糸と絡み合い、やがて美しい織物へと変わります。それは時にゴスペルの響きを思わせるほどです。神様は非常に才能豊かな織物師なので、指先で糸を辿っても簡単に理解できる構造をとってはおられません。

 運命は時に残酷なものだと感じるかもしれません。『なぜ?』と呟きたくなる局面はきっと、いくらでも直面するでしょう。 私だって、試練に直面するたびに思います。『人生は苦痛に満ちている』と」

 彼は冷めてしまったコーヒーの最後の一口を飲み干してから、祈りを唱えるように言った。

「しかし、人生は美しい。この道を走破した旅人は誰もが、その終わりに私に言いました。 『人生は美しい』と。 そして、そうである限りきっと、この今日でさえその美しい日々の一日なのです」



 感慨深い夜になった。

「日曜日は朝が早いので、私はこれで失礼します」

 彼の教会の案内だという、簡素なチラシをもらって僕たちは別れた。

『キリストめぐみ教会

 日曜礼拝 AM10:30〜

 水曜祈祷会 PM19:00〜

 英会話クラスもあります。

 その他にいつでも必要なときに訪ねて来て下さい』

 羊と十字架の絵の下に短くそう書いてあった。

 その晩、僕は殆ど眠れずに過ごした。あまりにも多くの事を考えさせられたからだ。

 この星空の下ではあまりに自分が小さすぎて、こんな悩みなんて大した事のないような気もしたし、同時にあまりにも自分が近すぎて、この世の一大事のようにも思えたからだ。

 夜の風は冷たく、コーヒーをがぶ飲みしたせいで胃もあれてしまったようだ。

 おかげて、インスタント食品もろくに喉を通らなかった。

 しかし、その晩が空ける頃、僕はひとつの決心をした。

 その日の夜明けはまぶしく、新しい朝の光は昨日と同じく柔らかだった。目には緑、鳥たちの歌声、綺麗な空気に包まれて僕は目を覚ました。今日も、あの宣教師の言う神が創った芸術は美しい。

 だからだろう。

 とにかく彼女に会って、話してみよう。

 そんな気になった。

 もう嫌いだと言われるかもしれない。自分勝手過ぎると罵 倒されるかもしれない。

 よしんば仲直りをしても、この先どう転ぶか分からない。

 それも仕方の無い事だろう。どう転んでもおかしくは無いのが現状だ。 しかし、もし本当に今日が美しい日であるならば ――

 それに相応しくあるために、僕はポケットから携帯電話を取り出した。

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