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ジェームズ氏の幸福な毎日  作者: 中嶋羅門
美しい日
1/3

美しい日 1

 宿の手配を間違えてしまって、今夜は宿無しになってしまった。

 その事実を告げられてからすぐ、他に泊まれる所は無いか街中のホテルや旅館も全部当たってはみたが、全て空振りに終わってしまった。どうも近々この街に大きなイベントがあるらしい。

  他の街に行く事も考えたが、この町で見られる星空を見るために、なけなしのお金と、古いバイクではるばるここまでやって来たんだ。宿が無いことくらいで帰るのはどうにもシャクだった。

  そうだ。野宿も悪くない、と僕は思った。

 こんな田舎町で何か危ない事があるとは思えないし、万が一、強盗やなんかが居たとしても、こんなパッとしない男を狙おうとは考えないだろう。リスクの割りに実入りが少なすぎる。

  五月のある土曜日。

 午前の光はまだ朝の気配を漂わせていた。

 春の花は咲き乱れ、目の前にあるアイスティーは汗をかいている。週末の街は賑やかで、休憩がてら寄ったオープンテラスのカフェは混雑していた。

 春は過ぎ去り、夏の鼓動を響かせている。

 そうだ、 天気予報も今夜は快晴だと告げていた。おまけに宿代も節約できる。

 星を見に来たんだから、いっそのこと終夜観測でもかまわないーー野宿を決め込んでしまうと、急に辺りが少し色づいて見 えてきた。


 その日、僕が訪れたのは静かな観光地だった。

 整備されたばかりの市街地はレンガと石畳でできた、ともすると外国を思わせるおしゃれな町並みだったが、賑やかなのは駅と観光名所のお城周辺だけで、街の中心から1kmも歩けば 田園地帯が広がっているし、その向こう側は山岳地帯になっていた。

 ここにやって来たのにさして深い理由は無い。僕はただ、この町で見られる星空を見たかったのだ。

 あれは大学のゼミ旅行での事だ。

 初めてここへやってきた夜、僕はゼミの連中と地元の居酒屋でしこたまビールを飲んだせいで、ホテルへと帰る道の途中、我慢ができなくなって一人で公衆トイレに駆け込まなくてはならなかった。

 用を足し、やれやれとふと夜空を見上げると、視界には満点の星空が飛び込んで来た。

 オリオン座のペテルギウスにリゲル。 昴と呼ばれるプレアデス星団。 大気は揺れて、それはそれは美しく星は瞬いていた。

 ーーそういえば、最後に夜空を見上げたのはいつの事だったろう。

 季節は冬で、とても寒かったが、僕はもっと星のよく見える方へ誘われるままに歩いた。足を進めるたびにクリアになっていく星々。いつの間にか僕は田園地帯を過ぎ去り、山の麓付近まで来ていた。

 深夜の暗い、見知らぬ道に居たにも関わらず、その日の僕は不思議と怖いとは感じなかった。

 この街の星空は初対面にも関わらず親密で、僕の胸を柔らかに覆ってくれたのだ。

 もうこれ以上は進めないという所まで来たとき、天の川さえもうっすらと見えたおかげで、僕はずいぶんと満ち足りた気分になり、長い間そこに立ち尽くしていたのを覚えている。

 そう、僕だってあの頃には・・・。

 バシャッ。

  不意に音がして冷たさが顔に触れた。

 「ああ!すみません!」

  何事かと顔を上げると、そこには一人の外国人が立っていた。栗色の髪に青い瞳の白人で、あごに髪と同じ色のひげを 蓄えてる。手には何も乗っていないカフェのトレイを持っ ている。僕の顔にかかった何かはきっとそこに乗っていた何かであった事はすぐに分かった。

 彼はあわてた様子で近づいてきて、

「すみません。ちょっと、つまづいてしまって・・・その、コーヒーがかかってしまいましたね。クリーニング代を払わせて下さい」

 と、流暢な日本語で話しかけて来た。

 視線を下に下げると、床にはプラスチック製のカップと、飛散した氷とクリームの入った褐色の液体が水溜りを作っていた。

 運良く、と言って良いのだろうか、被害にあったのは僕だけだったようだ。

 しかも、その僕にしたってキャンプ用の撥水性のある服を着ていたし、持っていたカバンもそうだ。

 第一、濡れたといっても、大部分は床にぶちまけられていたので、大した事は無い

 ツイていない事には変わりが無いが、それにしてもなんて事は無い。 僕は、手元にあった紙ナプキンでコーヒーを拭きながら、トレイを持ったままのその人に、大丈夫、たいしたことは無いのでクリーニング代も要らない、と伝えた。

「申し訳ないです。少し考え事をしていたもので」と、バツの悪そうな顔で彼はそう言った。「考え事をしながら歩いていると、大概ドジを踏む」

 ひげのせいで幾分、老けて見えるが、よく見るとまだ若い。三十代の前半だろう。

「私はこの街の宣教師でして。明日の説教について考えようと出て来たんです。家には妻と子供が居て、ゆっくり考え事もできないので」

 彼は、一気にここまで言った後、一息おいて気を落ち着かせてから、

「とにかく、すみませんでした」

 と、丁寧に頭を下げた。その動作に僕は少しだけ好感を持った。

 あまり謝れると返って心苦しくなるから、と僕は笑って、残っていたアイスティーを一気に飲み干してしまうと、席を立ち、店員さんが床を拭くためのモップを持ってくる様子を横目にトレイを返却してカフェを出た。

 日本語の流暢な宣教師は、最後まで申し訳なさそうにこちらを見ていた。

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