20 フィリアとグレン
仲間達にパーティを解散することを伝えたグレンは、フィリアを探した。
さんざん方々を探し回った後、噴水のある中庭から見えるいつもの回廊を歩いている彼女の後姿を見つけて声をかける。
グレンはフィリアにも謝罪しようとしたが、謝らないで欲しいと言われた。
「グレン、謝らないで。それより貴方の話を聞かせて欲しいの」
「面白い話じゃないよ」
グレンの二年間は、人に話して聞かせるような、耳に心地よいものではない。
怯えと後悔ばかりで、血反吐を吐くような思いでくぐり抜けた二年間だ。
「それでも聞きたい。貴方がどんな風に生きてきたのか」
グレンは少し考えた。
口を開くと愚痴ばかりこぼれ落ちそうでカッコ悪い。
自分のカッコ悪い姿など好きな女に見せたいものではなかったが、真剣なフィリアの顔を見て、思い直す。
カッコ悪いところを全部隠して虚勢を張ったらフィリアは遠くなっていった。
「分かった。上手く話せないかもしれないけど、聞いてくれるか」
「勿論よ。私に、グレンを教えて」
「うん」
グレンは照れ臭そうに笑った。
年相応の幼い笑みだった。
身体から、徐々に五感が消えていく。
頭が沸騰したお湯のようになって、いつもぼんやり世界を眺めるようになる。
軽く虫を払うだけで、側にあった大岩が消滅した時、ぞっとした。
虫や岩ならいい。だがこれが人間だったなら、どうなる。
呆気ないほど簡単に生命が失われてしまう。
グレンは、自分の身体に恐怖した。
グレンの話は、壮絶の一言につきた。
グレンの主観によるものなので、段々と身体の制御が利かなくなっていく様が恐ろしくリアルで怖気をふるった。
グレンの話を聞いたフィリアは蒼白になった。
面白い話じゃないどころではない。壮絶な二年間だった。
またフィリアの予想していた内容とも違っていたのだが、だからこそその内容は衝撃的だった。
普通の男なら、女性を怖がらせないよう柔らかく話を変えるものだが、その点でもグレンは融通が聞かなかった。
「ごめんなさい、グレン。最初に貴方の話を聞かなかった事。謝らせて」
「怒ってたんだろ」
「怒ってたっていうより、幻滅した。
あんまりだらしなくて、恥ずかしかった」
「ごめん…」
思い出してつい力の籠ってしまったフィリアの言葉に、そんな風に見られていたのか、とグレンは落ち込んだ。
「ごめんなさい、グレン。違うのよ。あれには、事情があったのよね」
いまさらグレンを追い詰めるつもりはなかったフィリアは慌てた。
「俺なりの事情はあったけど。どうかな。いま思い出すと、色々恥ずかしい」
「何が恥ずかしいの?」
「色々。視野が、すごく狭かった」
言葉に出して改めて自覚して、グレンは顔が赤くなった。恥ずかしい。
真っ赤になった顔を、手のひらで覆いながら、グレンはフィリアを窺い見た。
「俺、勇者の力が上手く制御出来てなかったんだ。彼女達に、制御を手伝って貰ってた」
「そ、そう」
その為にキスしたり抱き合っていたのか、と思い出すと、顔が赤くなってしまう。
淑女の仮面を被っている時ならともかく、素のフィリアには刺激が強かった。
「いまは、いいの?」
「フィリアが側にいると、上手く制御できるみたいだ」
「あのね。私はダメよ。
抱き合ったり、キ、キスしたりはダメだからね」
照れて真っ赤になっているフィリアが可愛くて、グレンは笑ってしまった。
「側にいてくれるだけでいいよ。安心する」
「そう? それなら良かった」
ほっとした様子のフィリアに、グレンはずっと聞きたかった事を尋ねた。
「フィリア。なんで俺を許したんだ」
「貴方が…」
少しだけ、フィリアの声が震えた。
グレンが薬を飲むことを選んだ夜。フィリアは死ぬほど後悔した。
あの夜のことを、思い出す。
「フィリアはさ、俺が悪い時、許さないよね」
「当たり前でしょう。グレン、暴走すると止まらないんだもの」
「そっか」
グレンは右の薬瓶を手に取り一気に呷った。
フィリアは呆気にとられた。重大な選択だ。
本当にそれでいいのかと逆に心配になった。
「あのさ、フィリアは、俺が女の子と仲良くしてたから怒ったのか」
心が無防備になっていたせいで、フィリアから本音が零れ出た。
「それもあるけど、心配だったのよ。王宮で、グレンは女にだらしない、さすが勇者は一味違う、なんて噂されていたから」
嘲笑われていた、とはさすがに言えない。
グレンを馬鹿にされて、フィリアは悔しかった。
淑女としての仮面を取り繕いながらでは上手く伝えられなくて、怒ることしか出来なかったが。
「その薬、寝て起きたら効いてくるの」
内心動揺しながらも、薬について伝える。
「そっか。じゃあ、女の子のフィリアを見るのはこれが最後なんだな」
グレンは眩しそうにフィリアを見た。
もう二度とこの姿が見られないのが、すごく惜しかった。
「グレン、あのね、」
「フィリア。俺、おかしいんだ。勇者になってから。
力が強くなるにつれて、色んな感覚がなくなっていくんだ。
このまま、バケモノになるかも知れない」
これが最後なら、誰にも言えなかった不安を、フィリアに聞いて欲しいと、グレンは思った。
グレンの告白を聞いて、フィリアはショックで言葉を失った。
胸の奥から、様々な感情が次々に溢れ出して、消化出来ない。
涙が、溢れそうになった。
嗚咽しそうになる喉をなだめて、テーブルに置かれていたグレンの両手を、薬瓶ごと握り締めた。
「グレンは、バケモノになんかならないわ」
信じていない顔で、うん、と力なく笑うグレンを励ますように、フィリアは握り締めた手に力を込めた。
「絶対、絶対、大丈夫だから」
「うん。ありがとう。フィリア」
最後に眩しそうにフィリアを眺めて、もう帰るね、と言ってグレンは出ていった。
一人になった部屋で、フィリアは溢れる涙を止められなかった。
神様は、どこまでグレンに意地悪なんだろう。
グレンが勇者なんかになってしまったのは、フィリアのせいだ。
あの時の弱かった自分を殴ってやりたい。
グレン、ごめんなさい。
どうやったらグレンに償えるだろう。
失った過去は取り返しがつかないけれど、もし何かあったら、今度はグレンを守る。
フィリアは強く、自分に誓った。
あの夜、グレンの告白を聞いた時から、フィリアの中で怒りは消えていた。
それより強い自責の思いに押しつぶされた。
でもそこまでグレンに言うつもりはない。
「グレンが薬を飲む事を選んだからよ。
飲まなくても良かったのに」
「ほかに許して貰う方法が分からなかった」
グレンもまた、あの夜の事を思い出していたらしい。
困ったように笑ったが、フィリアの気持ちに気づく様子はなかった。
「やっぱり俺、馬鹿だな」
「私たち、よ」
「殿下の拳骨、痛かったな」
「うん」
二人は頭の痛みを思い出しながら顔を見合わせ、そこに同じ感情があることを認めて笑い合った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
追加したいエピソードがあるので、一度更新を止めます。