表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰とスープと人喰い擬態生物《ミミック》 ~虚ろな灰は嘘をつく~  作者: 彼岸茸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/26

20 破られる誓い

 この前、シュタインに飲まされた薬――毒のせいで、体のひび割れの進行が速い。

 痛みがあるわけではない。


 ただ、ガレスを食べて消えていた飢餓感が再び襲ってくるくらいだ。

 だが、もう人間を食べるつもりはない。

 食べたくない。


 今度こそ――


 アルヴィスにスープを「美味しい」と言わせたかった。

 でも、ヴェラとアルヴィスの関係を見せつけられてからは、私にはできないのだと思い知らされた。


 彼が笑顔になるのなら、別に私でなくてもいい。

 所詮、擬態生物の「人間ごっこ」なのだから。


 ひどく落ち込む私に、アルヴィスは心配そうに話しかける。


「元気がないが、何かあったのか? また皮膚病が悪くなってるんじゃないのか?」


 彼の優しさが、今は辛い。

 胸の奥から何かがこみ上げてくる。

 ……私の胸の奥は空洞だ。だから、そんなのは気のせいだ。


 私はアルヴィスに心配かけまいと、笑顔を作った。

 人間の模倣は得意だ。きっとうまく笑えている。


「皮膚病は痛くも痒くもないから大丈夫」

「……無理してないか? 今日はシュタイン先生のところに行く日だろ?」


 私の気が沈む理由のもう一つがそれだ。

 また、変な毒を飲まされるのではないか。前回行った時、毒の成分を強めたい、みたいなことを言っていた。


 あの時は本当に痛くて、辛くて、苦しかった。

 毒が強くなったら、もっと苦しくなるに決まっている。


 それが分かっていながら、「アルヴィスへの恋心」を人質にされると、言うことを聞かざるを得ない。


「……うん。そろそろ、行ってくるよ」

「一緒に行かなくて平気か?」

「うん、ありがとう。でも平気だよ」


 私は微笑んでから家を出た。

 (アッシュベルク)の外れにある診療所に向かって、とぼとぼと歩く。


 街を行き交う、人間の男女を何組も見かけた。

 彼らは互いに手を繋いでいる。

 そういえば、以前、横道でキスをしている男女もいた。


 キス……どんな感じなのだろうか。

 あの時はアルヴィスにはぐらかされたが、死ぬまでに一度くらいは経験してみたい。


 ……無理だな。

 アルヴィスにはヴェラがお似合いだ。そこに私が入る余地などない。


「はぁ……」

「どうしたのですか。ノアさんともあろうお方が溜め息など」


 声をかけてきたのは、燃えるような赤目の美丈夫――クーラだ。

 私の行く手を阻むように、目の前に立っている。

 まったく接近に気づかなかった。それくらい、今の私は気もそぞろということか。


「君には関係ないよ」

「ところで『人間ごっこ』は順調ですか?」

「……そうだね」


 順調すぎた。人間の感情……愛情を理解したがために、私の体は崩壊しているのだから。


「いい加減、やめてはどうです? ノアさんが崩れていくのを見るのは僕も辛いのです」

「辛い? 君にはそんな感情、分からないだろう」

「ええ、分かりません。優秀な繁殖相手がいなくなるのはもったいないとは思いますが」


 絶対にお断りだ。


「ノアさんができないのであれば、僕が邪魔者を排除してあげますよ?」


 クーラは私の顎を手でクイッと上げた。赤い瞳が私を覗き込む。

 人間の女を捕食する時も、同じようにしているのかもしれない。


 まったくもって反吐が出る。


「やめてくれ」


 私はクーラの手を払い除けようとしたが、反対の手で受け止められた。


「嘆かわしいです。ノアさんがこんなにも弱体化するなんて……」

「く、離せ」

「いいですよ」


 クーラはあっさりと私を解放した。


「僕のノアさんをこんなにした人間はやはり排除した方がいいかもしれませんね」

「私は君のものじゃない。だから放っておいてくれ」


 私はクーラの横を通り抜ける。


「僕が貴女を助け出しますよ」


 背後から聞こえる声を無視し、振り返ることなく歩を進めた。


     ◆


「やあ、待っていたよ」


 シュタインは興奮気味に私を出迎えた。

 私が苦しむ様を見るのがよほど楽しいらしい。


 いや、この人間はそんなことを思っていないかもしれない。

 純粋に、私の体を使って実験できることが嬉しいのだろう。


「君には悪いが、まだ薬の改良は済んでいないんだ」


 シュタインは残念そうだが、その言葉にほっとした。あの苦しみを味わわなくて済むなら、それに越したことはない。


「そこで、今日は別の実験をしたいのだよ。君に訊きたいのだが、いいかね?」

「……何かな?」

「君たち擬態生物は傷の治りが早いのは私も知っているよ。そこで気になることがあるんだ。やはり食事の直後が一番、回復しやすいのだろう?」


 私は頷いた。

 実際に、ガレスの血をほんの数滴飲んだだけで、それまであった体のひび割れがすっと引いたのだ。

 あれは一時的なものだが、たくさん食べればちゃんと治る。


 それは私自身が経験したことだから、よく分かる。


「そこで私は気になったのだよ。あの薬と食事による回復力のどちらが優れるのか……回復が上回るのであれば、薬の改良を急いだ方がいいだろう?」


 私はいいとは思わないが、それを試すとしても問題がある。


「私は人間を食べないし、そもそも食べる人間がいないじゃないか。君を食べるわけじゃないんだろ?」

「もちろんだとも。私は痛いのが嫌いだからね」


 私のことを散々痛めつけておいて、よく言えたものだ。


「そこで、こんなものを用意してみた」


 部屋の隅に置いてある箱から取り出したのは、人間の指だった。


「なんでそんなものが……? まさか、君、人間を殺したんじゃ……」

「人殺しなんてしないさ。君と一緒にしないでくれたまえ。これはたまたま事故があって、そこで手に入れたんだよ。新鮮さには欠けるかもしれないが、氷で冷やしておいたから、腐ってはいない。さあ、これを食べたまえ」


 シュタインは指を私に差し出す。

 普段考えないようにしている飢餓感が刺激される。

 だが、ここで食べてしまえば、ガレスの時の二の舞だ。


「い、嫌だ……私は、食べない!」

「それでは実験にならないではないか。どうせ捨てるものだ。これも役に立ち、私の研究は進み、君の腹は膨れる。いいことづくめだと思わないかね?」


 シュタインが指を近づけるにつれ、捕食本能は『食え』と囁いてくる。

 それでも、私はもう二度と人間を食べないと決めた。

 私が死んだとしても、たとえアルヴィスが私を振り向いてくれないとしても、もう食べたくない。


「それではアルヴィスに真実を伝えないといけないな。私はそれでも構わないよ。研究が滞るが、君達に有効な毒は分かったからね」


 アルヴィスに私の正体が知られる。

 ……もう、それでも構わない。

 時間の問題でしかないのだ。彼の側にいるべきなのは、私ではなく、ヴェラだ。


「好きにしたらいいよ。私は人間を食べないって決めたんだ。もう、これ以上アルヴィスを裏切りたくない!」

「……ふむ、頑なだね」


 楽しげだったシュタインがすっと真顔になる。


「アルヴィスには真実を伝えよう。ただし、実験は続けさせてもらうよ」


 何を言っているんだ、こいつは?


「約束と違うじゃないか!」

「約束? 君が実験に協力するなら、アルヴィスに伝えないと約束しただけだよ。アルヴィスに伝えたからといって、実験をやめるなんて一言も言っていない。分かるかな?」

「なん、で……そんな……」


 悪魔だ。

 こいつは悪魔だ。


「さて、御託はいいから、早く食べたまえ。無理やりは好きではないのだよ」


 逃げないと……シュタインを殺してでも逃げないと、また私が私でなくなるかもしれない。

 だが、いざシュタインに爪を向けようとして、アルヴィスの顔がちらついた。


 駄目だ……私には、もう人間を殺すこともできない。

 怖くて、絶望して、体が動かない。


「はい、あーん」


 シュタインが私の口を無理やり開く。

 涙を流して抵抗を試みるが、体が言うことを聞かない。


 シュタインは私の口に指を放り込み、押さえていた手も離した。


 今すぐにでも吐き出したい。

 これを飲みこんだら、人間を食べないという誓いに反することになる。

 だから吐き出そうとした。


 それなのに、私の口は意に反して勝手に飲み込んでしまった。

 ゴクン、と。


「ああ、ああぁぁぁ……うああぁぁぁぁ!」


 絶望する心とは裏腹に体は歓喜に溢れる。

 ひび割れは修復され、体に力が湧いてくる。

 どれだけ人間の振りをしたところで、私は「おぞましい擬態生物」でしかない。


「さて、実験に入ろう」


 シュタインが何か呟き、毒を塗ったナイフで私を切り始めた。

 痛い。


 でもそれ以上に、心が痛い。


「回復が薬を上回るか……やはり、改良が必要だ」


 どれだけ切られたか分からない。

 最初のうちは即座に修復されていた傷も、指の栄養を使い切ったのか、だんだんと治りが遅くなってくる。


「指一本でこれだけの効果か。いい記録が取れた」

「もう……終わり?」

「実験は始まったばかりだよ。ああ、心配は要らないよ。指ならほら、まだたくさんあるからね」


 そう言って、シュタインは何本もの冷やされた指を箱から取り出した。

 それは私を絶望の底に叩き落とすには十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ