5.足も拳も、涙も出るウサギ令嬢
「ちょっと! もう少し離れてください、近いです!!」
「えっ? だめですか? 貴女を少しでも目に焼きつけたくて……」
け、軽薄! 軽薄だわ!! 半ば怒りに震えながらも、後ろへと下がる。するとセシルがにっこりと爽やかな微笑みを浮かべ、足を組み直した。
「つれないですね、シャーロット嬢は」
「当たり前です! アルフレッド様一筋なんですから、私は」
「それは残念。コンテストで連続優勝しているという、貴女の素晴らしい毛皮を一目でも見たかったんですが」
その言葉に、ぴくりと両耳が震えてしまった。で、でも、だめ。アルフレッド様があの舞踏会以来、「他の男にあまり触らせないでくれ」って言ってるし、ここで元の姿に戻っては……!! 葛藤する私をよそに、平然と、宝石のように光るジャムクッキーをつまみあげ、口へと放り込んだ。クッキーを頬張るその横顔を見つめていると、ふいにこちらを振り向く。つやのある黒髪に、アルフレッド様と同じ青い瞳が妙に心に残る。
「やはり、どうしてもだめですか? 元の姿に戻っていただけませんか?」
「も、申し訳ありませんが、アルフレッド様から禁止されているので……」
「殿下も殿下でなかなかに心が狭い。諦めるしかないみたいですね……ああ、残念だ。二位のルーナ嬢の毛皮と比べて、どんなものかを確かめてみたかったんですが」
ぴくりと、また耳が震えてしまった。必死に反応しないよう、前を向いてクッキーを食べる。そんな私を見つめ、セシルがくすりと笑った。
「シャーロット嬢? 貴女の体に指一本、触れないと神に誓いましょう。ですから、その美しい毛皮を一目でいいから見せて欲しい。……だめですか?」
「うっ、いや、本当に触りません? 見せるぐらいなら……今日はウェディングドレスのような、白いドレスに変わるやつですし」
「それは素晴らしい。ますます見たくなってきました」
そこで色めいた微笑みを浮かべ、ずずいと近寄ってくる。ま、まぁ、見せるぐらいならアルフレッド様も、きっと許してくださるはずで……。だけど、脳内のアルフレッド様が、渋い表情で首を横に振ってらした。で、ですよね!? アルフレッド様はそれでもきっと、お嫌ですよね……?
「も、申し訳ありません。やっぱり、アルフレッド様が嫌がりそうなので」
「そうですか……残念だ。ルーナ嬢がシャーロット嬢の毛皮はそれほどでもないと、そうおっしゃっていたので、真偽の程を確かめてみたかったんですが」
「あの女、げふげふっ、彼女がそんなことを言ってたんですか……!?」
「はい。毛皮で媚を売って優勝を射止めているのだと、そうおっしゃっていましたよ? ああ、でも、つい先ほど撫でてみましたが、吸い付くような手触りで本当に素晴らしく、彼女が二位であることに疑問を持ってしまうほどで、」
「っそんなことはありません! 私の毛皮の方がつやつやしっとりです!!」
「おっ」
ついうっかり、怒りに任せて元の姿に戻ってしまった……。先ほどまで着ていた、薔薇の花びらのようなピンクドレスが、ぽぷんと、真っ白のフリルドレスへと変わる。これはウサギ好きの仕立て屋さんいわく、「乙女の恋心と純情を表現したドレスです!」だそうで、とってもピュアな可愛さにあふれてる。ふふんと、自慢げに胸を張っていると、感動して震えたセシルがばっと飛びついてきた。
「ふぉっ!?」
「可愛い~!! 可愛い! 素晴らしい、手触りも量も申し分なしだ! 可愛い!!」
「うっ、嘘吐き! セシル様の大嘘吐きーっ!! 神に誓って触らないって、そう言ってたじゃないですか!?」
「申し訳ありません。俺、無神論者なんですよね……」
私をソファーへと押し倒して、お腹をもふもふしながら、嬉しそうな笑顔でそんなことを言ってくる。だっ、騙された!! かくなるうえは!
「ていやっ! 乙女の体をむやみやたらと触るやつにはこうですっ!」
「うぐっ!?」
思いっきり、その顎を蹴り飛ばしてやった。そこから瞬時に体勢を立て直し、顎を押さえてうつむいているセシルの手を踏みつけ、がじがじと齧っていると、苦笑しつつ私を抱き上げる。
「ふぉっ!?」
「申し訳ありません。つい、貴女の毛皮に目がくらんでしまって……それにしても、意外と力が強いんですね? まだ頭がくらくらするんですけど」
「ウサギのキック力を舐めちゃだめですよ! もう一度、蹴り飛ばしてさしあげましょうか!?」
鼻息荒く、後ろ足をぱたぱた動かしていると、私を抱き上げていたセシルが愛おしそうに青い瞳を細め、鼻先にちゅっとキスしてきた。驚いて一瞬、動きが止まる。距離がすごく近い。
「シャーロット嬢。……殿下のために頑張っていて、虚しくはなりませんか?」
「む、虚しくなんてそんな! いいからとりあえず、一旦おろしてください!」
「どんなに貴女が頑張っても無駄ですよ。陛下は決してお許しにはならない」
「で、でも……!!」
言葉が続かなかった。不安になってたから、それで。あんなブラコン男でも一国の王。その言葉は金より重たい。動きを止めた私を見てふっと、哀れむような、バカにするような笑みを浮かべる。
「シャーロット嬢……貴女には無理ですよ。それに前例が無い。獣人が王家に名を連ねるなど、誰もが反対する」
「セシル様も、そういう差別意識がおありで……?」
「まさか! 俺にはありませんよ。ウサギの王が国を治める、なんていうのも素敵だと思います。だけど」
「ふぁっ!?」
私をぎゅっと、抱きかかえてきた。そのまま両手の指を動かし、お腹の辺りをもふり始める。ついうっかり気持ち良くなってしまって、目が細くなった。この体温が心地良い。抱えられているのも落ち着く。
「そう考えているのはごくわずかです。もう、ここで諦めて俺と結婚しませんか?」
「えっ!? いや、それは」
「どうせ今頃、殿下もルーナ嬢とよろしくやっていますよ。シャーロット嬢も無駄に頑張らず、」
「いっ、嫌です! アルフレッド様はそんな御方じゃありませんから!!」
「あっ」
ばっと、腕の中から逃げ出して振り返る。目に涙があふれ出てきた。心のどこかで「もう無理かもしれない」って、そう思っているから。結婚できなかったらどうしようって、毎晩のように不安にさいなまれているから。毛皮を震わせ、涙ぐむ私を見て、いっそう嬉しそうに笑う。
「無駄ですよ。愛だけではどうにもならない。陛下は絶対にお許しにはならない……それに、聞くところによると、かなり繊細な御方だとか」
「で、でも、そんなところが好きなんです! 私!」
「疲れませんか? 不安を必死に押し隠して、明るく励ますことに」
「それは……」
また、じんわりと涙が出てきた。確かに安心しているのか、以前よりも弱音を吐く回数が増えてきたような気がする。私だって、愚痴りたい時はある。でも、アルフレッド様のことが好きだから。この不安を伝染させたくないって、そう思って耐えてきた。何も言えずに泣いていると、そっと優しく、私の頭を撫でてくる。
「ほら、苦しいでしょう? 諦めた方がいい、もうこのあたりで」
「いいえ、でも、あの優しい手が大好きなんです。あの優しさが欲しいんです、私」
アルフレッド様は驚くほど優しくて、一緒にいると、春の草むらで日向ぼっこしているような気持ちになる。────だから!
「私が不安でも何でも、今すべきことは貴方の排除ですっ! 出て行ってください!!」
「おわっ!?」
飛びついて指先を噛んでやると、「まいったな」と呟きながら、私の体をつかみ、ソファーへ無理矢理押し倒してきた。こ、こうなったら人の姿で殴るしかない! 苛立ちながら元の姿に戻る。
「いっ、いいですか!? 確かに不安だけど、でも!」
「ああ、でも、こっちの姿も好きですよ。俺」
「へっ!?」
もう紳士的に迫る気は無いのか、両手首をがっと掴んできた。そのまま後ろへと押し倒し、驚いて硬直する私を見下ろしたあと、くちびるを歪めて笑う。その歪んだ笑みを見た瞬間、苛立ちが限界に達した。この男! 拳で殴るだけじゃ物足りない、股間を蹴り飛ばしてやる!! 淑女らしからぬ決意を固めたその時、どたどたと、廊下から足音が響いてきた。私を押し倒していたセシルがそちらを向き、「あっ」と呟く。ちゃ、チャンス!!
「これは私をみくびった罰です!!」
「ぐっ!?」
拳でその顔を殴り飛ばしたあと、足音がぴたりと止んだ。し、しまった! アルフレッド様かもしれない。急いで、呆然と頬を押さえているセシルの手を引っ張ってポーズを取る。その瞬間、音を立てて扉が開いた。
「ロッティ! 無事か!? って……」
「あっ、アルフレッド様! 良かった、来てくれたんですね!? この人が無理矢理、私に迫ってきたんです!!」
「いや、今、俺のことを思いっきり殴り飛ばして、」
「怖かったんです!! 来て下さって本当に、本当に……!!」
余計なことをいうセシルの手をつねったあと、両手で顔を覆ってさめざめと泣いてみる。その途端、アルフレッド様が殺気をみなぎらせ、部屋に入ってきた。
「あの、殿下!? 誤解です! 彼女は嘘を吐いていて、」
「もういい。この期に及んでまだそんなことを言うのか? 恥を知れ!!」
「ぐっ!?」
(なっ、殴ったーっ……!! あのっ、あのアルフレッド様が人を殴った!!)
綺麗に拳が入って、ぼたたっと、鼻血が滴り落ちた。ついさっき、私も殴ったのに……。でも、せいせいした! すっきりした! 思わずにやけてしまった口元を押さえ、震えていると、慌ててアルフレッド様が駆け寄ってきてくれた。うつむく私の背中に手を添え、顔を覗き込んでくる。
「ロッティ! ごめん! 大丈夫か? つい、君の目の前で殴ってしまって……」
「い、いえ、大丈夫です……」
「悪かった。遅くなって」
ぐすんと、鼻を鳴らしてみると手を強張らせ、「そんなに酷いことをされたのか?」と呟く。セシル様なんてもう一度、アルフレッド様に殴られてしまえ!!
「セシル様は、セシル様はっ、私の頑張りなんて無駄だとおっしゃって……獣人ごときがいくら頑張っても、王家に名を連ねることは出来ないし、ここで諦めた方が懸命だと、そう言って、無理矢理押し倒してきて……!!」
「しれっと、ナチュラルに話を盛るのやめてください。シャーロット嬢……」
「それに!! アルフレッド様のこともバカにして! あんな繊細な男の相手、疲れるでしょう? ってそう言ってきて!」
「……」
「で、殿下……」
顔を見なくても分かった。ものすごく、いまだかつてないほど怒ってらっしゃる……。流石に話を盛りすぎたかもしれないと、一瞬だけ後悔した。一瞬だけだけど。そのまま何も言わずに、私の頭を撫でてから、すっくと立ち上がる。セシルが迫力に気圧され、たじろいであとずさった。アルフレッド様の後ろ姿しか見えないけど、怒りに歯を食い縛っている表情が目に浮かぶ。でも、こんな状況だから聞けないけど、シャツ一枚なのが気になった。
「なるほど。……確かに私は頼りないし、繊細だ」
「で、殿下! 違います、シャーロット嬢はいささか話を盛っていて、」
「下がれ。今すぐこの部屋から出て行け」
「あの! 彼女は震えて怖がっているように見えますが、ついさきほど俺は、」
「聞こえなかったのか? 私はお願いをしているんじゃない、命令をしているんだ。今すぐに下がれ!」
そこまで大きな声は出していないのに、よく響いた。セシルがびくりと体を揺らして青ざめ、臣下の礼をとる。
「……申し訳ありませんでした。どうぞ、非礼をお許しください」
それに答えず、ただ静かにセシルを見つめていた。ようやくセシルが出て行き、扉が静かに閉まる。その閉まった扉を見つめながら、「ロッティ」とささやいた。
「は、はい。アルフレッド殿下……」
「私がバカだった。愚かだった」
「えっ? あの」
「兄上に理解して貰おうと、そう思って待つべきではなかったというのに……」
こちらを振り返ったアルフレッド様は真剣な顔をしていて、でも、私を見た瞬間、優しい微笑みを浮かべる。さっきまでの肌がひりつくような怒りはもう、どこにも無かった。そのまま私に歩み寄り、ソファーの近くでひざまずく。
「ごめん。今まで沢山不安にさせて、守り切れなくて」
「アルフレッド様。でも、助けてくれたでしょう? 大丈夫ですよ、私」
「大丈夫だなんて嘘、もう吐かなくていい。……ごめん。今まで沢山不安にさせて。甘えすぎていた、ごめん」
「アルフレッド様……」
その言葉を聞いて、一気に涙があふれ出てきた。そんな私を優しく抱き締め、背中を擦ってくれた。アルフレッド様も、このままではいけないと思っていたらしく、二人で沢山のことを話し合った。お互いの不安や不満、変えていった方がいい部分を話し合って、かなりすっきりしたあと、アルフレッド様が涙ぐみながら笑う。
「今日は送って行くよ、ロッティ。君のご両親にもお会いしたいし」
「で、でも、予定は……?」
「大丈夫だ。奇跡的に無い。それに、もう少しだけ君の傍にいたい」
頬に手を添え、流れ落ちる涙をくちびるで拭ってくれた。その時、この人を選んで良かったと、心からそう思った。今まで強張っていた肩から力が抜け、どっと安堵感が押し寄せてくる。それからオーウェン子爵家に先触れを出し、少し経ってから二人で馬車に乗り込んで、屋敷を目指す。隣で腕を組み、流れてゆく夜景を見ていたアルフレッド様が、おもむろに口を開いた。
「こんな私でも一応、支持者はいる……彼らに頼んでみるよ、何かと動いてくれるだろう」
「アルフレッド様、あの、それは」
「大丈夫。血なまぐさいことにならないよう、調整するから。別に兄上の治世に不満がある訳じゃないし、王位に興味は無いし」
でも、彼らはたぶん、アルフレッド様に王位を継いで欲しいと思ってる。ひそかに宮中では「王妃様も若くはないし、お世継ぎは絶望的だろう」とささやかれていた。まだ、王妃様のご懐妊は発表されていない。黙り込んでいると、こちらを振り返り、苦笑しながら手に手を重ねる。
「ロッティ? 大丈夫、何も考えなくていい。私が全部やるから」
「アルフレッド様……本当に本当に、大丈夫ですか?」
「大丈夫。やれることは全部やるから、気にしなくていいよ」
腕を伸ばして、優しく肩を抱き寄せてきた。甘えてしがみつくと、セシルとは比べものにならないぐらい、素敵な笑みを浮かべてキスしてくれた。久しぶりにこうやって、まったりといちゃいちゃ出来たような気がする。
「まぁ! 一体どうしたの? シャーロットちゃん……目をこんなに赤くさせて!」
「お義母様……」
「も、申し訳ありません。その、私が至らないせいで……」
お父様もお義母様も、アルフレッド様が来ることは知っていたけど、いざ目の前にすると動揺していた。でも、せっかくだから晩餐にお招きして、事情を話しながら食べることに。義妹のオリヴィアは具合でも悪いのか、「食べない」と言って部屋に閉じこもってしまった。
「なるほど。陛下が二人に嫌がらせをしてくると。なるほど……」
「か、カミラ、ちょっとは落ち着いて」
「あら、私はいつだって落ち着きのある女性よ? あなた。でも、そうね?」
アルフレッド様が隣で鴨肉のコンフィを切り分けながら、震える。確かに真っ赤なドレスを着て、ナイフを光らせたお義母様は怖い。お父様も青ざめ、垂れた両耳を震わせている。
「私の可愛い娘を泣かせたんだもの。責任を取って貰わなくては」
「せき……にん?」
「ごめんなさいも出来ない男がこの国の王じゃ、お先真っ暗でしょう? それにほら、以前言ったわよね? いざとなったら私が全部、どうにかしてみせるからって」
呆気に取られていると、お義母様がぱちんとお茶目にウインクしてみせた。ここがお義母様の不思議なところで、この人なら何でも解決してくれるに違いないって、そんなことを考えてしまう。
「明日にでも会いに行きましょ、国王陛下に。……私の大事な娘を傷付けたんだもの、きちんと謝って貰わなくてはね」




