71.ショクラ
ネメレイを発って少し、俺は森の中にいる。……とは言っても街道沿いの森なので、いつでも通常ルートに戻れる位置だ。
今まで通りの移動速度ならカストンまでは一日の距離だけど、折角ここいらの自生植物を図鑑で確認したんだし、自分用の採集をしながら余裕を持って移動する事にした。
もちろん、道中の採集に関しては冒険者組合で『個人的な採集の範囲内で』という了解を得ているし、当然、配達依頼も通常移動の場合に掛かる日数、カストンまでなら二日をオーバーしない様にも気を付けている。
そう言う訳で、湿り気を帯びた独特の空気を感じながらも森の中を散策していると、図鑑で見た様々な植物が自生していた。
下剤などに使用されるヨウネジに、咳止め効果のあるチャタイユ。
止血に使うウチヤロドの群生も発見できた。
どれもオロント領の未開拓地では希少な物だが、ここでは当たり前の様に生えている。
ここは地図で見る限りではオロント領よりも低緯度なので、年間の平均気温とか気候とか、そう言うものが関係しているのかもしれないな。
そうこうしている内にも時間は過ぎ、日が傾いて視認性が悪くなってきたので、きりの良い所で街道へと戻る事にした。
街道から数分の距離なのに、わざわざ森の中で火を熾すのもリスクが大きいからな。
翌日も朝から森へ入り、日が落ちる前にはカストンに到着し無事に荷物を街長へと届ける事が出来た。
ストレスも少ないし、退屈な街道をひたすら歩くよりも俺にはこっちの方が合っているかも知れないな。
そんな日を数日繰り返し、カストンを発ってから三日目の日没前にはショクラの街に到着していた。
「こちらが依頼された荷物になります」
「ご苦労さまです。それにしてもいつもより遅かったですね、配達もいつもの方ではありませんし何かありましたか?」
「お待たせしてしまい、すみませんでした。僕も今回だけの代役なので詳しい事は分かりませんが、いつもの方は足を怪我した様ですよ。でも、そこまで酷い怪我ではないので、次回はいつも通りだと思います」
と、組合職員に言われていた通りに事情を説明する。
俺が悪い訳ではないが、こういった謝罪やフォローなんかも業務の一環だろう……。
ともあれ、街長から受け取りのサインを貰い、この街でのお仕事も終わったので次は宿探しだ。
この街には三軒の宿屋があり、俺がまず向かったのはいつも泊まっている様な大衆宿だが、残念ながら今日は満室で部屋は開いていない様だ。
たまにある時間帯での宿泊拒否ではなく、普通に満室のようなので時間を変えても無駄だろうと次の宿に移動した。
残りは大部屋で雑魚寝の安宿と、普段泊まる宿よりも少しグレードが上の宿だが、さすがに半袖でも大丈夫になってきた季節に金を払ってまで雑魚寝はしたくないので、多少の出費には目を瞑って少し高めの宿に部屋をとった。
部屋に着いて早々に荷を降ろし、森歩き用のブーツも脱いでベッドに横になる。
はあー、朝食付きで一泊銅貨五枚半という価格には驚いたが、それも納得の寝心地だ。
硬さと柔らかさのバランスが非常に俺好みで、このまま眠ってしまいたい……と、そんな気にもなるが、空腹感には抗えずに渋々身体を起こして外へ出た。
宿の食堂でも食事は取れるが、晩飯で銅貨二枚も掛かるのなら外で食べた方が良いよな。
そう言う訳で屋台を一通り見て回ったが、川沿いの街という事もあってか川魚の料理が多く、俺が夕食として選んだ物も川魚を開いて揚げた物をパンに挟んだ物だった。
味付けはきのこをペーストにしたソースで、これはこれで美味しいけれど、俺としては中濃ソースかマヨネーズが欲しい所だ。
この世界では未だに出会ってないけど、日本で自家製調味料が流行った時に両方とも作った経験はあるので、機会があったら手を出してみようかな。
もっとも、その時に出来上がった物は市販品の美味しさには敵わない『もどき』だったし、この世界では材料の名前も違うので試行錯誤になるだろうけど、今ならあの『もどき』でも満足できそうな気がする。
ともあれ、夕食も済ませたので宿へと帰り、水場で汗を流してからベッドで横になると、すぐに眠気が襲ってくる。
時間的に、眠るのには少し早い気もするが、たまにはこういうのも良いだろう――。
と、幸せな時間を堪能していたが、真夜中と言って良い時間帯に感じた、部屋の前の気配で目を覚ます。
誰かが俺の部屋の前に立っている様なので、音を立てない様にベッドから抜け出して鉈を手にする。
それと同時に部屋の戸が開かれ、その誰かが入ってくる。
物取りか? 部屋の鍵を掛け忘れた俺が言える事じゃないが、そこそこ良い宿なのに無用心だな。
そんな事を考えているうちにも侵入者は辺りを見渡し、俺が寝ていたベッドに近付き……もぞもぞと潜り込んで……動かなくなる。
え? 夜這い? そんなフラグを建てた記憶は無いんだが……。
とりあえずそのまま様子を見るが、数分経っても何も起こらず、とうとう寝息が聞こえてきた。
更に数分待ってみるが事態は一向に変化が無いので、周囲を警戒しながらも気配を消してベッドに近付き肌掛けを慎重に剥がすと、そこには見知らぬ女の子が寝ていた。
えーっと、……部屋を間違えたとか、そんなオチ?
頼りになるのは、開かれたままの戸から差し込む廊下の明かりだけだが、この長い艶のある髪に華奢な体躯は確かに女の子だろう。
まあ、誰であろうと関係ないので、とりあえず起こしてみる事にしたが、肩を揺すっても一向に起きる気配が無い。
「さて、どうしたものか……」
鉈をテーブルに置き、宿の従業員でも呼びにいこうかと考えていると、急に上の階が騒がしくなる。
夜間という事もあり、気を使って移動しているのだろうが、静まり返った宿の中ではそんな雰囲気もすぐに分かる……恐らく原因は俺の目の前で寝ている少女なんだろうな。
仕方なく部屋から出て三階へ続く階段の所に行くと、上階から声を掛けられた。
「夜分遅くに騒がしくして申し訳ございませんが、小さな女の子を見掛けませんでしたでしょうか」
「たぶん僕の部屋で寝ている子が、そうなんじゃないかと」
やっぱりあの子を探しているようだな。
その言葉を聞いて、階段を急いで下りてくる使用人を「夜なので静かに」と窘めてから部屋へと案内する。
気持ちは分からなくも無いけどさ。
「……エルテリーゼ様」
少女の無事を確認した使用人は、そのまま彼女を抱きかかえて部屋を出ていく。
謝罪と感謝の言葉もあったし、大した被害は無かったから良いんだけどさ。
こうして深夜の一騒動を終えたが、朝までは時間がありそうなので、もう一度ベッドで横になる。
ベッドには少女の残り香と温もりが残っていたが、年齢的に守備範囲じゃないのでそのまま二度寝する事にした――。
◇
翌朝、顔を洗いに部屋を出ると、目の前には執事風の男性使用人が立っていた。
白髪でそれなりの年齢だとは思うが、背筋もピンと伸びているし服の上からでも鍛えているのが分かる。
しかしこの人、一時間近くここに立ってたよな……それに気付きながらも惰眠を貪っていた俺も大概だけどさ。
「えっと、何か御用ですか?」
「昨夜の一件に関しての謝罪と、それに関わるお話があるのですが、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか」
何だろう、消されるのかな?
まあ、話があると言うのだから、それを聞けばはっきりするか……。
「とりあえず顔とかを洗いたいんですけど、その後でも良いですか?」
「はい、それで構いません。こちらでお待ちしておりますので、準備が整いましたら声をお掛け下さい」
老執事は部屋の前で待っているようだ……。
逃げない様に荷物を人質にとられている気がするけど、逃げる気も無いし好きな様にさせてあげよう。
用をたして顔を洗い、濡れ手で髪を少し整えながら窓の外を見ると、今日は薄曇りか。
この街から西都までは川沿いの道を歩く事になるから、出来れば雨は降らないで欲しいな。
川と街道は離れているので水害の危険は少ないだろうけど、退屈を払拭するのに河原を歩こうと思っているから、増水するとそれが出来なくなる。
まあ、増水後もそれはそれで楽しみだけどね。




