17.晴れのち大嵐のようです
嵐の前の静けさという諺がある。
『ガッハッハッハ! 親父! おかわりだ! ジャンジャン酒を運んできやがれってんだ!』
「もう……飲み過ぎですよ。えっと、ベリアンガーさん。そろそろ引き上げてはいかがですか?」
『ああっ!? うるせぇな! せっかく自由の身になったんだ! 好きなだけ飲ませろよ!』
「はあ……。ったく、しょうがないですね……」
意はその文字が指し示す通り。
災害の嵐が来る前に天候が静かな様を示すことなのだが、それが転じて災いの前には異様な程に不気味な静寂が訪れる事を指す言葉である。
【ねぇねぇ、もっとお話ししましょうよ!】
「えぇ……まあ、もう少しだけなら……。では、次はどんなお話を聞かせてもらえるのかしら?」
【そうねぇ。じゃあ次はアタシの抱く愛について。そうね、小一時間程、話し合いましょう!】
「わ、分かったわ。た、楽しみましょう!」
なお、その前触れが静かであればある程、その後の嵐がより強烈になると言われており、
《フフフ……さてどうしようかな。冷静に考えて、外に出るのもいいけど……天気が荒れるかも。じゃあ、絵でも描こうかな……いや創作意欲が湧かなかったらそれに費やした時間が無駄になる……冷静に考えて……これからどうしたもんか》
それから総じてこの言葉の真意はこう。
静かすぎて何処か不安を感じるような、何処かそわそわして落ち着かないといった、
〔おい、それ本当かよ!?〕
「ああ、勿論だ。アンタ、面白い奴だから気にいった。そこでだ、もう一度オラに賭けてくれるって言うんなら、次は三倍の額にしてやるぜ」
〔おうおう、随分景気の良い事が良い話じゃねぇか……逆に良すぎて、ちょっと怪しくないか?〕
「ダメ……かい? オラが信用出来ない?」
〔いや、そんな事無いぜ! 俺に失敗の二文字なんてねぇのさ! だからまた賭けてやる!〕
いわゆる不穏な前触れを指す言葉なのである。
だが、それを感じるのは【彼ら】では無かった。
悪魔王ベリアルから分裂した感情人格である【喜】『怒』《哀》〔楽〕の4名では無く、
―― ―― ―― ―― ―― ――
「へっ……へっ……ぶあくしょっいっ!」
その予兆、悪寒にそこはかとなく察知したのは元々これらの苗床だったというべき存在。
多重人格ながらも、彼らを束ねていた大元である本体の【主人格】だった。
「なーんか嫌な予感がするな……」
「大丈夫ですか? ベリアル様。もしや風邪をお召しになられたのではありませんか?」
「いや、何ともないぜ、ファラス。少し悪寒というか……なんと言うか妙な寒気がしただけだ」
「それを風邪のひき始めというのですが……。ひとまず毛布をお持ち致します……暫しお待ちを」
レオナルドによる魂分割を終えてより、数日。
何かに集中している時ほど時の経過は早く、気が付けばあっという間に日を跨いでいた。
「ふう……」
ベリアルは目付役が毛布を取り入った矢先。
手に持っていた本を机に置くと、そう窓の外に広がる悪魔界の景色を見ながらふと一息つく。
「アイツら、全然城に帰ってないらしいけど……今頃、一体どこで何をしていることやら……」
そんな彼の意識にあったのはやはり【彼ら】。
解き放たれ自由を得た事で上機嫌にこの悪魔城を後にした、感情人格ら4名についてだった。
元は自分の体から放たれた連中でありつつも、悪魔王という責任からかベリアルは毎日目付役に動向を尋ねていたのである。
「まあ別に騒動とか聞かないし、アイツ等も俺様と同じで自由にのんびり生きているんだろうな」
しかし、それ以降の音沙汰は特に何も無し。
城に戻っていない様子から察するに、何処かで達者にやっているのだとベリアルはそう感じた。
そしてさらに付け加えるなら、これといった騒ぎも耳にしておらずそれぞれ自由に生きながらも節度を守って暮らしているに違いない……と、
「それに俺様としても厄介者がいなくなった分こうして何事にも集中出来て、羽を伸ばせるようになったしな。深く考えるのはやめとこ」
だからかベリアルはそんな信頼……いや。
極微小な違和感を抱きつつもこれ以上深くは考える事を一度止めて、自身も他と同じくようやく獲得した自由の為に思考を移していくのだった。
「さてと、次はクロスワードでもやるか」
よってそう前向きな思考に切り替えたベリアルは読書の合間に挟み、現在もハマっているクロスワードパズルへとその手を伸ばす。
(前までは、自分で答えを考える前に、他の人格が勝手に答えを書いたり告げ口してきてたからな)
毎度毎度あれやこれやと余計な囁きで妨害されてしまい、まともに楽しめなかったささやかな趣味に浸ろうと、その楽しみを味わおうとした……そんな瞬間の出来事だった……。
「ベッ! ベリアル様!? 大変でございます!」
バンッ! と。
ベリアルの部屋の扉が大きく開かれたかと思えば同時に、
「!? どうした、ファラス? やけに慌てて」
「ゼェゼェ……ゼェゼェ……じ、実は――」
一目でただならぬ様子と判断出来る。
毛布片手に激しく息を切らしたファラスは主人の部屋へと飛び込んでくるや否や、緊急の報告を主に告げようとその口を動かしていく。
「じ……実は私めがこっそり……ゼェゼェ」
「まあまあ落ち着け。何があったんだ」
「ゼェゼェ……も、申し訳ございません……と、とにかく早急にお耳に入れておきたい事が……」
年相応というべきか。
先代の悪魔王より仕えていた悪魔ファラスは、そう肩で息をしつつ残りの報告をこう告げた。
……すると。
「ゼェゼェ……監視役からの連絡が先程届きまして……実は貴方様の分身達があちこちで――」
「なっ!?」
その報告に思わずベリアルは驚愕した。
何故なら彼から飛び出たのは不穏な言葉だった為であり、それと同時に無情にもベリアルの抱いていた淡い望みの崩壊が確定してしまったのだ。
「嘘、だろ?」
「いいえ、全て真実にございます」
「おいおい……マジかよ……くそぅ」
平穏な時間を望んでいたその期待などあっさりと即座に崩れ去り、誰にも酌まれる事も無かった。
いや、むしろ。
それどころか……。
―― ―― ―― ―― ―― ――
『おい、テメェ! 今なんつった!?』
「ああ!? やんのかゴラァ! ベリアル様みたいなややこしい風貌しやがって、失せろっ!」
『ぐっ!? この牛悪魔がっ! くたばれ!』
「おいおい、アンタ。喧嘩なら表で――」
『うるせぇ! 俺に指図すんな!』
大惨事。
【ねぇ、今日もアタシと――】
「………………………………」
【ねぇねぇ、お話しましょうよ?】
「………………………………」
【ね……ねぇ………………】
それはまるで狙いを定めたかの如く。
先の彼が抱いた悪い予感が次々と見事に的中。
《ヒヒヒ……お腹空いた……でも冷静に考えて、動いた所で食事にありつけるとは限らない。もう少し待とう……ヒヒヒ……あと10分だけ……もうずーっとこうしてるけど……次は動こう……》
本体にとっての嵐が次々に悪魔界に起こる。
〔おい、毛むくじゃらの悪魔のオッサン……昨日俺とここで会話してた、あのヤギ頭をした悪魔知らないかい? 今日は昨日の稼いだ分の分配があるって、俺達が話をしていたの聞いてただろ?〕
「ああ……アイツなら金持って逃げたよ」
〔へっ? 逃げたって?〕
「アンタも人を見る目が無いね……そんな旨い話がある訳ないだろ? 非常に前向きで人柄が良いのは結構だが、あんな詐欺の常習犯でも疑わずに信頼していたら、また酷い目にあっちまうよ……」
〔あれま……俺、【また】裏切られたか〕
そう……分裂し袂を分かっていた筈の彼ら。
偶然なのか、一斉に感情人格達が悪魔界のあちこちで喧嘩であったり被害だったりと平穏とは程遠い騒動へと発展していくのであった……。
―― ―― ―― ―― ―― ――
「よし……先に【言い訳】を聞こうじゃないか」
結果から言えば状況は最悪となった。
城で日常を過ごしていた本体はともかくとして見えない所で好き勝手に過ごしていた、彼ら【喜】『怒』《哀》〔楽〕の行動についてはどれも決して褒められる様な結末に至る事など無く、
『違うんだよ! あの牛悪魔! 俺の色が気にいらねぇって抜かしやがったんだ! 絶対に許せねぇ……病院から出て来たら容赦なく殺してやる!』
『怒』はその暴力性と行動の素早さ故に大喧嘩。
冗談交じりで小馬鹿にされただけで頭に血が上った末に殴りかかったらしく、素が悪魔王の肉体だけあり周囲を巻き込む程の大騒動に発展。
そしてそんなある意味一番の戦犯とも言える『怒』は現在狂犬とまで揶揄されており、もう近寄る者も関わる者もいなくなり孤独になり果てた。
【アタシはただ色んな人と話して、共に愛を分かち合いたかっただけだったのに……グスン】
【喜】は他者と同じ喜びや愛を共感すべく動いていたが、その度が過ぎる【かまってちゃん振り】に周囲から愛想を尽かされてしまい孤独化。
《ヘヘ……結局……何もしなかった……だって冷静に……冷静に考えてたら何をするにも代償を背負うんだもん……仕方ない……よね……ヘヘヘ》
《哀》は被害こそ大きくは無かったが、餓死寸前。
悲観的で冷静沈着の影響か、何か行動を起こそうにも時間・体力の浪費といったデメリットばかりに目が行き、誰にも求める事が出来ない孤独。
〔ギャッハッハ! まいったぜ! そいつよ、俺の金を全部持ち逃げしたらしくて、また騙されちまったみたいなんだ! まあ他にもいろんな奴らから騙されたんだが、こんな事もあるよな!〕
〔楽〕は表面上の人柄が良かったせいか見知らぬ人間を勝手に信頼し、詐欺被害の連続だった。
しかも、その異常なポジティブさの影響なのか失敗を失敗と捉えずに同じ轍を踏みまった挙句。
結局は信頼できる友人など出来ず、孤独となった。
「こんの……馬鹿連中が……」
……思わず血管から血が噴き出るかと思えた。
たった数日でここまでの様々な問題に発展させ、情けない姿で帰還して来た4名に本体は行き場の無い憤りを禁じ得なかった。
しかし、だからこそなのか……そんな被害を与えたり被ったりと、これ以上悪魔界での騒ぎを大きくしまいとベリアルは4名からその情けない報告を全て受け終えると、
「お前ら! 全員ついて来い! 今、後処理に奮闘してくれているファラスの手をこれ以上煩わせる訳にはいかないからな。レオナルドの所で一回相談するぞ……拒否権は無いからな!」
『【《〔は……はい。分かりました〕》】』
そんな強い物言いで他の感情を承諾させたベリアルは、打開策を講じるべく【レオナルドのよろず屋】へ通じる時空の穴を即座に開き、他の感情達と共にその道を進んでいくのであった。
15,16話のタイトル変更しました。
次話は明日更新です。
正午以降にて【直接投稿】致します。




