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マーディの導き  作者: ハヌア
第三章 邪悪なる者達
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壊れかけの世界

 マーディの死。それはすぐにフロンティア全土に多大な影響を及ぼした。まずマーディルで作ることのできる障壁が失われ、多くの街や村は盗賊や魔物に占拠された。またマーディルというエネルギー源が失われ、人々の生活レベルは以前に比べて格段に下がった。薪がなければ火を熾せず、かといって木を切りに行けばそれを狙う存在に追われる。野菜や果実を育てようにもマーディルによってある程度保たれていた天気の均衡は崩れ、晴れの日や雨の日が何日も続くことはもはや当たり前となっていた。


 また、魔術師には生まれつきの魔力を利用して魔法を扱える者とそうでない者がおり、後者はマーディルを利用することによって魔法を扱うことができた。しかしそれがなくなった今、王都や人々の身を守る手段は剣や斧といった武具だけになった。

 エルンバルをはじめ、各国はこの異常事態に自然と休戦状態となり、自国と周辺の土地や人々を守ることに専念した。だがその為の徴兵と見合わない支給のせいで市民の生活は常に困窮していた。耐えかねた市民が集まって反乱を起こし、その都度制圧されるのは日常茶飯事といっていい。


 世は混沌を極めていた。マーディの加護がないフロンティアに棲んでいた魔物はより凶暴性を増し、それに伴って不幸な事故も増え続けている。魔物を媒介とする疫病が流行った地域では特にそれが顕著だ。


 そんな中、リーコンたちはどうにかマーディの里から戻り、とある街へと身を隠していた。それはリシアスの西側にある街だ。東南側には王都フィナデルと屈強な衛兵たちにより守られており、北西側は深く厳しい雪山が防壁の役割を果たしている。何とも恵まれた土地にあるこの小さな街の小さな病院で、リーコンは里での戦いの傷を癒していた。


「戻ったわよ」


 病室に入ってきたのはピュアだった。あの一件以来、落ち着いた色の木材で造られたこの病院の一室で療養生活を送るリーコンの世話をしているのは、ここの関係者と彼女だった。


「今日は羊の肉が手に入ったわ。まともにお肉が食べられるなんて何週間ぶりかしら」


 そう言い、ベッドの隣に置かれた椅子に腰かける。肉を保管し、リーコンの顔を見てため息をつく。


「寝てるか。まあ一日中ベッドの上にいても、やることなんてないわよね」


 ピュアは立ち上がって居所をリーコンのベッドの縁に移す。そっと腰かけ、眠る彼の顔に目をやる。


「貴方は今、夢を見てるのかしら。それは幸せな夢? それとも辛い夢かしら。もしそうなら、私の魔法で幸せな夢に変えてあげたい」


 しかし、それはできない。それには理由がある。


「もし夢にリリィちゃんが出ていると考えると、そんなことできない」


 リリィの死。それはマーディを失ったフロンティアのように、リーコンに多大な影響を与えていた。以前のように瞳に強い意志はなく、話しかけてもどこか上の空。時々、目を離している隙にどこかに行ってしまうのではないかと思うこともある。それで世話を焼きすぎては失敗することもよくあった。


「でも、夢にリリィちゃんが出てきたからって、それが幸せなこととは限らないのよね」


 リーコンとリリィの関係はまるで親と子のそれのように思うことがあった。そこに他人に付け入る隙はなく、それ故お互いに想い合ってもいただろう。そんな中で訪れた唐突な別れ。それは衝撃的なものだった。もしそれがそのまま夢となって再現されたなら……。

 自分なら、お世辞にも良い気分ではいられない。


 もし今の彼がそんな状態なのだとすれば、夢の内容を変えてやった方がいいのかもしれない。


「分からないわ。私はどうすればいいの?」


 額を抑えて項垂れる。その背後で、リーコンは目を覚ましていた。何かとてつもない悪夢を見た気がするが、肝心の内容は忘れてしまった。


「ピュア……」


「ああ、起きたのね。おはよう」


 笑顔でこちらを見るピュアの顔には、少し疲労の色が浮かんでいるように見える。あれほど付きっ切りで看病するのはやめろと言ったのに。幾ら魔女が特異な体質だとしても限度というものがある。


「調子は?」


 こちらの気持ちを知る由もなく、ピュアがそう尋ねてくる。


「折れた腕もだいぶ動かせるようになってきた。体調も良い」


「本当に?」


 自身の言葉に嘘偽りはないが、ピュアは信じていないようだった。里から戻る際のあの様子を見た以上、仕方のないことかもしれないが。


「……リーコン。リリィちゃんの事だけど」


 ピュアは静かに、真剣な面持ちで切り出す。釣られてリーコンの表情も重くなる。


「あれは俺のせいだ。俺の力不足が原因で、ああなった」


 何の感情も持たない声で言うリーコン。ピュアは、そんなことない、と否定するが、リーコンは視線を落としてこう言う。


「俺が、リマを倒せるぐらい強ければ。あの時、俺の腕が使えたなら、リリィは死なずに済んだ。それにあいつに致命傷を与えたのは、この俺の剣なんだ……」


 確かにあの時、床に転がっていたリーコンの剣には、リリィの血が付いていた。しかしそれで自責に苦しむのは話が別だ。あくまで手を下したのはリマだ。決してリーコンが悪いわけではない。


「貴方は悪くない。寧ろあの状況であそこまで耐え抜いたことを称えられるべきよ。だから、リリィちゃんの事でそう落ち込まないで」


「だが……」


 そう言いかけて、言葉を詰まらせるリーコン。


 ここ数週間、ずっとこんな調子だった。自身に絶大な信頼を寄せていたリリィの死を目の当たりにしたのだ。それを助けることができなかったことに責任を感じるのは致し方ない。だが、その死を受け入れて前に進まなければ、このフロンティアに未来はない。そしてフロンティアを救うことができるのは、自分とリーコンしかいないのだ。


「私ひとりじゃ無理。だから貴方が必要なの。死んでいったリリィちゃんもそう言うはずよ」


「しかし……俺はあいつ一人さえ守れない、軟弱な男だ。そんな俺が戦ったところで何になる?」


 ピュアはショックを受けた。今のリーコンが、初めて会った時とはまるで別人のように見えることに。それと同時に、共に旅をしてきた中で抱いてきたリーコンへのイメージが、ピュアの中で音を立てて崩れ去っていく。どんな相手にも勇猛に立ち向かうことのできるリーコンの姿はもうないのだと。


「辛いのは分かるわ。でも、いつまでもそうしていられないのは、貴方もよく分かってるはずよ」


 立ち上がり、まっすぐに彼を見つめて言う。こちらを上目遣いに見たリーコンと目が合う。


「リリィちゃんはただ無駄死にしたわけじゃない。貴方に希望を託して死んでいったの。その意味をよく考えてみることね」


 それだけ言うと返事も待たず、ピュアは部屋を出て行った。吐き捨てるような台詞になったことに心の痛みを感じるが、リーコンに立ち直ってもらうためにはこういう判断も必要なのだ。自分にそう言い聞かせ、ピュアは病院から出た。


 動けないリーコンの世話以外に、ピュアにはやることがある。無論、旅の続行に必要な物資の調達だ。またそれ以外に女神マーディが死の間際に語った事について、考える必要があった。


 あの時、リマが去った後。リリィの死に涙を流したリーコンは疲労が限界に来ていたのか、気を失って倒れてしまった。そんな彼に治癒の魔法をかけ、目を覚ますまでの間にピュアはマーディに様々な質問を投げかけていた。

 それで分かったことは幾つかある。一つは女神マーディと対を為す存在である邪神ディマの復活。太古から生きるピュアですら存在を知らなかったその邪神は、気の遠くなるぐらいの過去から長い時間をかけて力を蓄え、復活の時を待ち、遂に現世に降臨しようとしていた。それがもたらす被害は計り知れない。少なく見積もって、フロンティアはディマとその配下、そして彼らがもたらす災厄によって支配されるだろう。それはこの世の地獄であり、何としてでも阻止せねばならない。


 そしてその復活の手助けをしているのが、他ならぬリマであった。彼女はマーディの遣いを偽ってリーコンに近づき、ピュアが持つ里のカギを狙った。そして仲間のふりをしながらやすやすと里に入ることができたのだ、

 そしてマーディを殺し、その身に宿る莫大なマーディルを手にする事に成功。そのせいで今のフロンティアは窮地に陥っているのだ。


 ここまで思い起こしてみるだけでもため息が出る。状況はどんどん悪い方向に進んでいっていることを嫌でも思い知らされるからだ。


 そう。最近怪しい活動を行っている謎の集団の目撃情報が各地で相次いでいるのだ。ディマの復活が果たされようとしていることを知らない人々は魔物ほどの脅威ではないと思っているらしいが、ピュアにはそれがディマの配下だという事は分かっていた。

 それがこの街の近くでも目撃された。ピュアはこれからその地域に向かい、可能であればディマの配下を捕らえようと考えていた。


「よろしくね」


 病院の裏手で待たせていたリーコンの馬にそう声をかけ、背中に乗る。本来は魔法を使った方が到着は早いのだが、一部の声の大きい魔法反対派が混乱に乗じてその勢力を強め、今では魔法禁止令なんてものが施行されている。生まれつき才能がある者はマーディルに頼らずとも魔法を扱えるのだが、それはかなりの少数派であるが故にそんな無茶な法律が取り決められたのだろう。


「自分で自分の首を絞めるような真似をするなんて、つくづく人間というのはバカな生き物よね」


 持て余す力を存分に発揮する場を得られない鬱憤を誰にぶつけるわけでもなく、ピュアはそう独り言ちる。

 そうしている間に目的地が近付いてきた。ピュアは少し手前で馬を止め、手頃な物陰に身を潜める。


「やれやれ、衛兵は既に到着してるみたいね」


 ピュアが目指している場所には、数人の衛兵がそれぞれの死角を互いに見張り合うような形で立っていた。彼らもまた、ディマの配下の情報を受けてここにやってきたのだ。

 最も、ああやって突っ立っているだけでは見つかるものも見つからない。逆に警戒して、恐らく目当ての人物は既にこの場を後にしていることだろう。


 元来た道を戻り、再度馬に乗る。リーコン同様に超人的な感覚を得ているピュアにとって、追跡は容易なことだった。衛兵に見つからないよう遠回りをして足跡を追う。それは更に街から離れた、ある農場へと続いていた。広大な土地のど真ん中に納屋がある。足跡はそこへと延びていた。


「行ってみるしかないか……」


 馬を下り、周りを警戒しながら進む。遠くに家畜の羊が放されて囲いの中を自由に歩き回る姿が見えるが、それ以外には特に何もなさそうだ。

 改めて周囲を確認して、誰もいないことを確認すると、ピュアは魔法でドアを吹き飛ばした。禁止令が出たとて、誰が律儀に守ってやるものか。


「誰かいるんでしょ? 出てきなさい」


 声を張り上げる。しかし返事はない。しかしピュアは警戒を怠らない。すぐ近くに生き物の気配を感じるからだ。


 ゆっくり、慎重に前に進む。いつでも武器を召喚できるように、辺りに気を配る。それが幸いしたのか、ピュアは背後から迫る脅威にいち早く気づくことができた。

 宙返りのように跳び、木の梁に立つ。見下ろすと、そこには二足で立つ狼の姿があった。


「人狼……? こいつが足跡の正体?」


 足跡は人間のものだった。ということは、この納屋に入ってから変身したという事だろうか。しかしそれだと妙だ。気分が悪くなる内容だったので詳しくは知らないが、人狼に成るためには月が必要だという事は知っている。今は昼間時で、月など出ていない。なのになぜ、目の前の、かつて人だった何者かは人狼へと変身できたのだろうか。

 月の膨大な力は、魔法をもってしても再現することは不可能である。マーディのような上位の存在であれば可能かもしれないが――


「そうか。こいつがディマの――」


 なぜそんなことに気が付かなかったのだろう。この人狼こそが、ディマの配下の一人なのだ。そうに違いない。それならディマにマーディルを分け与えられたとかの理由で、人狼への変身にも説明が付く。


 人狼は、数時間が経過すると人に戻る。こいつをどうにかして捕らえれば、ディマについてもっと情報が得られるだろう。


「いいじゃない、早速大物見つけちゃったわ」


 自身を誇る様に言い、梁から飛び降りる。そして右手に長剣、左手に盾をそれぞれ持ち、構える。彼を弱らせ、魔法で束縛するのだ。

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