第7話 「全部知っていたのは、姉だけだった」
朝のリビングは、妙に静かだった。
食器の触れる音だけが響く。
誰も、昨日のことを口にしない。
でも全員が考えている。
俺――高瀬 湊が、一度“消えた”こと。
その意味を。
トーストを口に入れても味がしない。
向かいには篠宮 雪乃。
横には篠宮 春乃。
右に高瀬 陽菜。
そして――
姉の高瀬 美月だけが、ずっと黙っていた。
昨日から。
不自然なくらい。
その沈黙が、逆に答えみたいだった。
俺はトーストを置く。
「……美月」
全員が顔を上げる。
美月は視線を逸らさなかった。
「なに」
「知ってたのか」
その一言。
空気が凍る。
陽菜が息を呑む。
雪乃が目を伏せる。
春乃だけが静かに見ている。
そして美月は、数秒黙ったあと――
「知ってた」
そう言った。
◇
言葉が出なかった。
でも胸の中で、何かが強く鳴る。
「……どこまで?」
声が少し震えた。
美月は静かにカップを置く。
「全部」
その瞬間、陽菜が立ち上がった。
「お姉ちゃん!?なんで!?」
驚きと怒りが混ざった声。
でも美月は動じない。
「言う必要がなかったから」
「必要あったでしょ!」
陽菜の声が裏返る。
俺も同じだった。
必要あったに決まってる。
だって、自分のことだ。
雪乃が小さく言う。
「……美月さん」
珍しく呼び方が柔らかい。
それでも美月は変わらない。
「私が言わなかったのは、湊が普通に笑っていたから」
その一言で、全員が黙った。
◇
学校へ向かう道。
また五人で歩く。
なのに、昨日までと全然違う。
誰も騒がない。
陽菜ですら静かだ。
俺の隣を歩く美月だけが、少し前を向いている。
「なんで黙ってた」
歩きながら聞く。
美月はしばらく答えなかった。
やがて、小さく言う。
「怖かったから」
「……何が」
その答えは、すぐ返ってきた。
「思い出したら、またいなくなる気がした」
風が吹く。
春の匂い。
桜が一枚、肩に落ちる。
美月はそれを払わない。
ただ前を見る。
「小さい頃、一度いなくなった」
「事故で、記憶が飛んで」
「戻ってきた時、全部忘れてた」
その声はいつもよりずっと小さい。
陽菜も、雪乃も、春乃も黙って聞いている。
「だから私は……」
そこで美月が少しだけ声を止める。
「今のままでよかった」
◇
その放課後。
部屋。
珍しく、美月が一人で来た。
ノック。
返事を待って入る。
静かだ。
ベッドの端に座る。
しばらく何も言わない。
夕日が窓から差し込む。
オレンジ色に染まる部屋。
「湊」
「ん」
「……怒ってる?」
その一言に、少しだけ驚いた。
美月がそんな聞き方をするのは珍しい。
俺はしばらく考えてから言う。
「分からない」
正直だった。
怒ってるのか。
混乱してるのか。
寂しいのか。
全部ある。
美月は俯く。
長い髪が頬に落ちる。
「ごめん」
その一言が、妙に刺さった。
「美月」
名前を呼ぶ。
すると彼女が顔を上げる。
その目が、少し赤い。
「……泣いてんの?」
「泣いてない」
即答。
でも声が震えてる。
「嘘つくな」
そう言った瞬間。
美月が急に顔を伏せた。
肩が少し震える。
そして――
「だって……」
かすれた声。
「またいなくなったら嫌だった……」
その瞬間。
胸の奥で何かがほどける。
姉としてじゃない。
家族としてでもない。
もっとずっと、むき出しの感情だった。
俺は何も言えず、ただそこにいた。
すると美月が、ゆっくり顔を上げて。
涙目のまま、小さく言った。
「……だから、ずっと隣にいたかったの」
その言葉に。
部屋の空気が、一気に変わった。




