第4話 「昔の記憶が、少しだけ顔を出す」
放課後の校舎は、妙に静かだった。
窓から差し込む夕日が長く伸びて、廊下の影を濃くしている。
その中を、俺――高瀬 湊は、春乃に手を引かれながら歩いていた。
篠宮 春乃は、いつも通り明るい。
でも今日は、その明るさの奥に少しだけ違う温度が混ざっている気がした。
「どこ行くんだよ」
「いい場所」
「それ答えになってない」
後ろから足音。
振り返らなくても分かる。
姉の高瀬 美月だ。
「春乃、離しなさい」
低い声。
さらに、少し遅れて。
「……湊」
篠宮 雪乃の声は静かだった。
その後ろから、勢いよく。
「待ってよー!」
妹の高瀬 陽菜。
気づけば、また“全員集合”している。
◇
屋上前の廊下。
春乃が足を止めた。
「ここ」
「ここって……立ち入り禁止じゃ」
「バレなきゃいい」
「よくない」
春乃はくすっと笑って、ドアを押す。
ギィ、と重い音。
鍵は、なぜか開いていた。
「おかしいだろ」
「昔も開いてたよ」
その言葉に、少しだけ違和感が走る。
「昔?」
春乃は答えず、先に階段を上がる。
他の三人も黙ってついてくる。
美月は警戒した目。
雪乃は無表情。
陽菜は少しだけ不安そう。
そして俺は、ただ置いていかれないように歩く。
◇
屋上。
風が強い。
夕焼けが街全体を染めていた。
春乃は柵の近くに立つ。
「ここ、覚えてる?」
「いや全然」
即答。
春乃は少しだけ笑う。
「そっか」
その横で、雪乃が静かに言う。
「湊は覚えてない」
「何を?」
その瞬間。
空気が一瞬止まる。
美月が視線を細める。
「……春乃」
「なに?」
「何の話?」
春乃は柵にもたれながら、軽く言う。
「昔の話だよ」
「だから何の」
陽菜が不安そうに俺の服を掴む。
「お兄ちゃん……?」
そのときだった。
春乃が俺を見た。
真っ直ぐに。
「湊くんさ」
「なに」
「昔ここで、約束したよね」
――頭の奥が、少しだけ揺れる。
何かが引っかかる。
でも思い出せない。
雪乃が小さく息を吐く。
「やっぱり忘れてる」
美月が一歩前に出る。
「……その約束、内容は?」
春乃はすぐには答えない。
ただ、風の音だけが響く。
そして――
「“また会おうね”」
その一言。
それだけなのに、妙に重い。
一瞬、誰も動かなかった。
陽菜が小さく言う。
「それだけ?」
春乃は振り返る。
「それだけ、だと思う?」
雪乃の目がわずかに細くなる。
「……春乃、それ以上は」
「だってさ」
春乃は笑う。
でも、その笑顔は少しだけ寂しい。
「湊くん、本当に覚えてないんだもん」
俺は言葉を失う。
覚えていない。
その事実だけが、妙に引っかかる。
美月が静かに言う。
「湊、帰るわよ」
陽菜も頷く。
「うん……帰ろ」
雪乃も背を向ける。
「ここ、長くいる場所じゃない」
春乃だけが残る。
風の中に立ったまま。
◇
帰り道。
誰もあまり喋らなかった。
ただ、隣にいる。
それだけは変わらない。
陽菜は少しだけ俺の袖を握ったまま歩く。
美月は前を見ている。
雪乃は一歩後ろ。
そして春乃は、何も言わない。
だが、確かに“何か”が動き始めていた。
家に着く前、春乃がぽつりと呟く。
「ねえ湊くん」
「なに」
「思い出すの、時間かかりそう?」
俺は答えられない。
春乃はそれを見て、少しだけ笑った。
「まあいいや」
その笑顔の奥に、確かな意志があった。
そして俺はまだ知らない。
この“昔の約束”が――
ただの思い出じゃ済まないことを。




