第2話 歓迎会
その日の夜、うちのリビングは珍しく賑やかだった。
テーブルの上には姉が買ってきたピザと唐揚げ、なぜかフルーツ盛り合わせまで並んでいる。
ミラはお風呂上がりで、ラベンダー色のシルクパジャマ姿だった。
胸元が深く開いた長袖シャツに緑のサテン地が覗き、艶やかな光沢が体にまとわりついている。
ゆったりした同色のパンツがヒップラインを美しく強調し、濡れた金髪が肩に張り付いて鎖骨や胸の谷間を妖しく際立たせていた。
「じゃあ、かんぱーい!」
「かんぱーい! 今日からよろしくね、カズ」
「……よろしく……って、誰だよカズ」
「カズアキ長いんだもん。カズでいい?」
「勝手に略すな」
「……ダメ?」
「……別にいいけど」
「えへへ、ありがとうカズ」
姉がコーラのグラスを掲げる。
ミラもすぐにグラスを上げて、にっこり笑った。
歓迎会といっても、実際は三人だけの地味な食事会だ。
でもミラはまるでパーティーの主役みたいに楽しそうだった。
ピザを一口食べたミラが、目を丸くして言う。
「これ、おいしい! 日本ピザ、チーズがとろとろで全然違う!」
「普通だろ」
「普通がおいしいの」
そう言って、ミラは俺の顔をじーっと見つめてくる。
距離が近い。
相変わらず近い。
「カズも食べて。ほら、あーん」
「自分で食えよ」
「えー、冷たい」
「一成、素直じゃないね~」
「うるさいよ姉貴」
ミラはくすっと笑うと、今度は自分のフォークに唐揚げを刺して、俺の口元に持ってきた。
「じゃあ、これなら? ボクが作ったわけじゃないけど」
「……ったく」
「どう? おいしい?」
「普通にうまいよ」
「よかった! 喜んでくれて嬉しい」
本当に悪気がないのか、計算なのか。
この子の笑顔はどっちも感じさせるから厄介だ。
食事が進むにつれて、ミラはどんどん距離を詰めてくる。
最初はソファの端に座っていたのに、気づけば俺のすぐ隣。
肩が触れ合いそうな距離で、金髪の甘い匂いがふわっと漂う。
「ねえカズ」
「ん?」
「日本に来てよかった」
「……そうか?」
「うん。だってカズに会えたし」
「初対面だぞ」
「でも、ボクにとっては初めてじゃないよ」
またその意味深な言い方。
さっき玄関で聞いた外国語のささやきを思い出す。
「さっきの、なんだったんだよ。あの外国語」
「…内緒」
「教えてくれよ」
「まだ早いよ。カズがちゃんとボクのこと、好きになってから」
「はい?」
「そのとき、全部教えてあげる。ボクの気持ちも……全部」
青い瞳が、まるで宝石みたいに輝いている。
冗談とも本気ともつかない、甘い響き。
食事もそこそこに、姉が急に手を叩いた。
「せっかくだから、自己紹介兼ねて好きな食べ物と趣味を言い合おうよ! 歓迎会っぽいでしょ?」
「いいね! ボクの好きな食べ物は……日本食全部! 特にラーメンとか天ぷらとか、全部おいしそう!」
「全部って……贅沢だな」
「で、趣味は料理! 特に日本食が得意なんだよ~。卵焼きなんて、ふわふわで形もきれいに作れるんだよ」
そう言って、ミラは小さく胸を張り、盛大などや顔を決めた。
完全に「どうだ、すごいでしょ?」と言いたげな上から目線の表情。
金髪がさらりと揺れるその姿に、俺は思わずイラッとしながらも、胸の奥がざわつくのを感じた。
「でもミラの料理、かなり上手よ。前に一度作ってもらったけど、普通にお店レベルだったし」
「えへへ、カズのために、毎日作ってあげるね」
「毎日って……そんなに作らなくていい。無理すんな」
その笑顔は無邪気なのに、どこか甘ったるい響きが混じっている。
俺は思わず箸を止めて、彼女の顔をまじまじと見てしまった。
「あとは観光と旅行! 日本のいろんなところを回りたいな。カズも一緒に連れてってくれる?」
「……近場ならいいけど」
「やったぁー! じゃあね、まず駅前! それからカフェも行きたいし、公園も、神社も……あっ! ふわふわのパンケーキも食べたい! 梅田の観覧車も乗りたいし、あべのハルカスも行ってみたい! 心斎橋で本場のたこ焼きも! ね、カズ、明日から順番に回ろ!」
「……おい」
「ん?」
「今のラインナップ、もう普通に大阪観光フルコースだぞ」
「近いよね?」
「近場じゃねーだろ。梅田からハルカス行って、そのあと心斎橋って、移動だけでイベント一日分だぞ」
「ふふ、いいじゃない。あんたが色々回ってあげたら? デート代くらい、お姉様が出してあげるわ」
「えっ、ほんと!? じゃあパンケーキも観覧車もたこ焼きも全部行ける!? カズ、デートだって!」
「ちがう!」
「違うの!?」
「違う。これはただの近場案内だ。デートじゃない」
「でも二人で出かけるんだよね?」
「……それはそうだが」
「じゃあデートみたいなものだよね!」
「だから違うって言ってるだろ!」
さらにミラは嬉しそうに体を揺らしながら、ダブルピースのまま小さくくるっと回る。
その場でぴょこぴょこ跳ねる、子どもみたいな喜びの舞。
完全にからかっている。
俺はそれ以上は乗らず、黙ってコーラを一口飲んだ。
これ以上反応すれば、ミラが余計に喜ぶだけだと分かっている。
わざと話を切り替えるように、グラスをテーブルに戻す。
「……俺は、好きな食べ物は寿司と焼肉とウナギかな」
「え? 寿司と焼肉とウナギ……全部高いものばっかりじゃない?」
「高いって、回転寿司とか安い店で十分だろ」
すると姉が、にやにやしながら口を挟んできた。
「一成の趣味はね~、ゲームと映画が大好きなんだよ。特に夜中に一人でこっそり観てるの…」
「姉貴! そこで止めろ!」
俺が慌てて止めようとしたが、時すでに遅し。
姉は悪魔のような笑顔で続けた。
「特に……大人向けのやつとかね」
「はぁ!? 違うって! ただの映画だって言ってるだろ!!」
「大人向けのやつ……? ボクもそういう映画、興味あるよ? 日本のって、すごくエッチだって聞いたし……それ好きかも!」
「好きになるな!」
「だって、日本ってそういうのもいっぱいあるんでしょ?」
「ミラは守備範囲を広げなくていい!」
「ほら、相性いいじゃない。ジャンルも合いそうだし」
「合ってねーよ! 今、無理やり一致させただけだろ!」
「カズが好きなら、一緒に見たいな……楽しそう」
「楽しくならねーよ! あとその無邪気な顔で言うな!」
ミラが唇を少し尖らせて上目遣いになる。
柔らかい胸が腕に軽く当たって、心臓がバカみたいに鳴り始めた。
視線を逸らしたくなるのに、なぜか逸らせない。
「まあ要するに、一成が好きなのはアダルト系ってことね。しかも洋物」
「付け足すな!!」
「金髪の美少女が出てくるやつとかね~」
「ボク、ぴったりじゃん!」
「…………」
「もしかして……恋人同士がイチャイチャするやつ?」
「ミラ、チャンスよ。金髪だし」
「おい姉貴!!」
「ほんと? じゃあボク、好みだったりする?」
「聞くな!!」
「ふふ、顔真っ赤」
「うるせー!」
「じゃ、あたしお風呂入ってくるね。二人は仲良く、エッチな話でも続けてて」
「続けんな!!」
と軽く手を振って、リビングを出て行った。
部屋に残されたのは俺とミラだけになった。
急に、会話がぴたりと止まった。
先ほどまで姉の声や笑い声で満ちていたリビングが、まるでスイッチを切ったように静かになる。
テレビの小さな音だけが遠くで聞こえる中、ミラが少しだけ体を寄せてくる。
ソファのクッションが沈む小さな音が、妙に大きく響いた。
「カズ」
「……なんだよ」
「今日は本当に、ありがとう」
柔らかい声。
そして、さっきと同じように、そっと俺の胸に頭を預けてくる。
「え、ちょっ……」
「ちょっとだけ、このままでいい?」
金髪が俺の顎の下に触れる。
柔らかい感触と、甘い匂いがふわっと漂ってきて、余計に心臓が落ち着かなくなる。
心臓の音が、ばかみたいにうるさい。
「……勝手にしろ」
「カズ、あったかい」
「これから毎日、こうやって一緒にいられるんだね」
「……お前、ほんとに距離感バグってるぞ」
「うん、よく言われる……でも、カズは嫌じゃないでしょ?」
「……」
答えられなかった。
嫌じゃない、と言い切れない自分が、なんだか悔しかった。
窓の外では、夜の大阪の街灯が静かに灯っている。
新しく始まった、この奇妙で甘い同居生活。
ミラという名の、明るくて柔らかくて、ちょっと危ない金髪の嵐が、俺の平穏な日常を、優しく、でも確実に塗り替え始めていた。
「よろしくね、カズ」
ミラが、もう一度小さな声で囁いた。
その夜、俺は自分の部屋のベッドで、隣の部屋から聞こえてくるミラの小さな鼻歌を聞きながら、妙に落ち着かない気持ちで天井を見つめていた。
妙に落ち着かない夜を過ごすことになった。




