8・宿命の輪郭
POV:フィシス
「私は転生者で、女神アリシアから使命を授かってるの」
ノアは目を瞠り、小さく息を飲んだ。
「転生者⋯⋯」
私はゆっくりと頷いた。
目を伏せ、死んだ時の事を思い浮かべる。
――ある夏の日の夜。帰り道の交差点。
目の前に迫る車のライトとクラクション。
次に目を開ければ、自分の身体さえも見えない暗闇の世界。
そこに突然現れた輝く美しい女神。
「⋯⋯元の世界で死んだ後、気が付いたら女神アリシアが目の前にいたんだ」
出来ることならこの先の事は口にしたくない。
でももう話さない選択はない。
「そして、この国の未来の断片を見せられたの。⋯⋯沢山の人が死んでいく場面だった」
それは今でも脳裏に焼き付いて離れない映像。
泣き叫ぶ声。死体の山。
血に染まる瓦礫だらけの大地。
助けなど来ないまま、ただ崩壊していく世界。
そして――『貴女にしか救えないのです』
そう言う女神アリシアの声。
「その原因は“邪神パトスの復活”。女神アリシアを乞い願うあまりに、邪神に堕ちた精霊だよ。そのパトスによってこの国、この世界は近いうちに崩壊する。⋯⋯たぶん数年以内には」
数瞬、ノアは固まっていた。
言葉の意味がすぐには理解出来なかったのだろう。
「⋯⋯っ、待ってくれ。邪神⋯⋯!?」
目を見開くノアに、小さく首肯で答えた。
すると隣から底冷えする声音で言葉が落ちてきた。
「⋯⋯邪神パトス⋯⋯」
見上げると、ミュトスの瞳が鈍く光っていた。
部屋の空気が重苦しく変わり、刺すような声が響く。
「この国をつくる時、アリシアは人間の男と結ばれ、その男とこの国を作っただろう?」
「え、えぇ⋯⋯建国神話ですね。男は王になり、精霊アリシアは天へ帰り女神となって、人々に魔力の祝福を与えていると⋯⋯」
この国の人間なら誰でも知っている神話。
だが、パトスの事は歴史から抹消されている。
「そうだ。その話のもっと前から、パトスはずっとアリシアに懸想していたんだ。何度も想いを伝えては断られていたと聞く。そして、人間の男を選んだアリシアを見たパトスは、酷く心を病ませた」
ミュトスの声がいっそう低くなる。
「それから暫くしてパトスは消えた。何百年も姿を見せなかった。⋯⋯だが、ある日突然」
言葉は一度切れてから、言い放たれる。
「突然、精霊を殺しまわった」
「⋯⋯は⋯⋯っ!?」
殺気に呑まれそうになっているミュトスを見ていられなくなり、彼の背に優しく手を当てた。
ゆっくりと摩ると、ミュトスは静かに睫毛を下ろし、小さく息をつく。
すると殺気はゆっくりと溶けて消えた。
「⋯⋯その時、精霊皆で命懸けでパトスを封印したんだ。そこのアネシス湖に」
ミュトスは窓の向こうに見える湖に視線を移す。
「俺以外、全員死んだ」
ひゅ、とノアが息を飲む。
「っ、そんな⋯⋯!!」
アネシス湖は、諸悪の根源を深淵に沈めながらも、静寂を湛え、美しい月の道をゆらゆらと浮かべていた。
「⋯⋯ミュトス⋯⋯」
「⋯⋯大丈夫だ、昔の事だ」
彼は、諦めたような乾いた笑いを零した。
「理由なんて理解出来ないししたくもないが、嫉妬が憎しみに変わったんだろうな」
さわさわと梢を遊ぶ風の音が部屋を満たす。
ノアは目を伏せたまま、固まっていた。
だが次の瞬間、何かに気付いたように顔を上げ呟く。
「まさか⋯⋯」
声は僅かに掠れていた。
「⋯⋯私ですら“邪神パトス”の存在は知らなかった。どこにも記録はない。つまりそれを“知れる人間”が復活に関与すると言うことですね?」
その問いにミュトスは答える。
「そのはずだ。隠したのは当時の王と、幾つかの高位貴族だ。パトスは力が強すぎたからな。俺以外、皆殺しにされたなんて民らに知られたくなかったんだろ」
私は頷き続けた。
「つまり私の使命は、パトスを消滅させる事なの」
真っ直ぐにノアを見る。
「出来れば復活自体を阻止したかったんだけど、アネシス湖から瘴気が出たと言う事は、復活が近い証拠だから⋯⋯」
「なるほど。復活は止められない、と⋯⋯」
邪神パトスの復活は、“運命”ではなく“宿命”なのだろう。
どう動いても変えられない、強い事象。
ノアは俯き、一拍置いてから静かに口を開いた。
「⋯⋯私が邪神の依代になるはずだったのでは?」
どくん、と一度大きく鼓動が鳴った。
「他国の文献しか知りませんが、魔の復活には依代が必要でしょう。⋯⋯私だったのではないですか?」
ノアの両手は強く握り締められ、小さく震えている。
その姿が、子供の頃のノアに見えて胸が苦しくなる。
ああ。言いたくない。
伝えたくない。
でも、言わなければ。
「――そうだよ」
やっと絞り出した声は、僅かに震えてしまった。
ノアはぴくりと肩を揺らした後、やはりそうか⋯⋯と息だけで呟き、額に片手をあてた。
「⋯⋯知っていたのですね。だから子供の頃、私の元へ現れたのですね⋯⋯」
「⋯⋯うん。予知でわかってた。ノアが魔力暴走で闇に落ちる事も、そこを利用されて依代にされてしまう事も」
ノアは、魔力暴走で家族や使用人を殺した事で闇に落ち、そのまま大人になるはずだった。
そして魔力暴走もまた“宿命”だった。
――でも、知っているのに何もしない選択は私には無かった。起きる事が決まっているなら、起きた後に変えればいい。
ミュトスが私に補足する。
「邪神の依代の条件は、魔力が多い事と、精神が極度に不安定な事だ。闇をかかえているほど邪神に適合しやすい。お前は、この国の人間なら一番の魔力だからな」
ノアは、重く、長い溜息をついた。
「⋯⋯なんと言うか、言葉が出ませんね」
私は、ぎゅっと手を握った。
何が正解かなんてわからない。それでも――
「⋯⋯ノアを、助けたかったんだ。だから、魔力暴走が起きたあの日。もう二度と同じ事が起きないように、暴走は私に流れるようにしたの」
ノアはゆっくりとこちらを見る。
その瞳はとても苦しそうだった。
「ノア。これは私が勝手にした事だよ。辛い事を思い出させてごめんね」
「いや。俺と、家族⋯⋯公爵家の人間を救ってくれてありがとう、フィシス。感謝してる」
そう言ってノアは、泣いてるように笑った。




