1・そして、侵食されていく
エリシオン王国――
どこかでは“楽園”と呼ばれるその地で。
精霊の住処であるはずのイリーニ大森林に、突如瘴気が発生し、魔物が大量に出現した。
そしてそれらは、イリーニ大森林から王都方面へと流れ出した。
大規模なスタンピードだ。
国王は、早急に騎士団と魔術師団を派遣。
精霊達のため、選りすぐりの精鋭達を送り出した。
そして、いち早い魔物の殲滅と、原因の究明をするよう命じた。
立ち昇る黒煙。
漂う異臭。
血に濡れた鎧。
初めて見る変異体の魔物。
そして、そこに精霊はいない。
――何もかも、おかしかった。
発生源を突き止め浄化しない限り、瘴気は消えない。
しかし、丸一日、時間だけが過ぎていく。
終わりのない戦いに、皆限界だった。
夕暮れ時。
魔物が一時なりを潜めたため、イリーニ大森林入口より少し離れた平原の天幕内で、騎士団員と魔術師団員の意見交換が行われていた。
「未だ発生源は解らずか⋯」
「⋯ええ。探索魔法でも、原因と思える物はまだ引っ掛かりませんね⋯」
「ノア筆頭の魔法でも無理か⋯」
「アレス騎士団長、聖女様はやはりまだ来られないのですか?⋯彼女の浄化魔法は必須です!」
無意識に言葉が強くなる。
いくつかの苦悶の声と、溜息が混じり合う。
「それがな⋯戦況報告と共に、幾度も話をしているみたいだが⋯発生源が分かり次第向かう、の一点張りだそうだ」
「相変わらずですね⋯最終手段を取るしかないのでしょうか」
「魔道具を使った結界か」
「⋯⋯ええ、イリーニ大森林と平原側を区切るように結界を張ります。魔物は結界に近寄れませんので、平原側には来られず、イリーニ大森林に留まります」
――だが、それをしてしまえば。
「⋯⋯見捨てる事になるでしょう。神に石を投げる行為だ」
「⋯⋯神に背いて国を守るなんて滑稽だな」
アレスは額に青筋を浮かべ、固く拳を握っている。
誰もが下を向いた。
外の風の音だけが、ごうごうと響いている。
ごくり、と喉を鳴らす音がした後。
「⋯精霊様は本当に居らっしゃるのでしょうか⋯」
一人の騎士団員が、静寂を破った。
「⋯本当に精霊が居るなら、その場所は聖域化し、瘴気が発生するなど有り得ないはずですよね!?⋯私は、結界を張って良いと思います」
「⋯確かに、見た物はいない⋯が⋯」
「いるだろう。俺の祖母が見たと言っていた」
「それ何年前の話だよ!」
口々に論争が始まり、一気に騒々しくなる。
「お前ら少し黙れ!」
アレスが、ドン!!と机を叩くと、水を打ったように静まり返る。
ノアが、静かに言う。
「⋯⋯少し、休憩しましょう。その後に最終決定をします。アレス騎士団長、私は外の様子を見てきます」
「ああ、わかった」
天幕の外に出ると、春の草花の香りに混ざり、何とも嫌な臭いがした。
所々に張られた天幕。
両団員達が束の間の休息をとっている。
皆、口を開かない。
荒れ果てた大地を見渡す。
自然と視線が落ちる。
割れた地面。焼けた後。
(⋯⋯ここで、終わるのか?)
重く、深く、息を吐いた。
――ノア・アルデバランの人生は、まさに魔法一色だった。
アルデバラン公爵家の次男として、膨大な魔力量で産まれた。
魔力暴走が起きないように、物心がつく前から感情の抑制と、魔力操作を教え込まれたらしい。が⋯⋯
幼少の記憶は、不思議なほど抜け落ちている。
やがて、王立学園に通い、王宮魔術師団に出仕。
弱冠二十歳で王宮筆頭魔術師になった。
幾度も最前線で魔物を屠った。
誰よりも強くあろうとした。
だが――
「結局最後は、聖女に頼らないとどうにもできないとはな⋯」
眉根を寄せ、独り言ちる。
(心残りがあるとするならば、やはり、精霊や妖精をこの目で見れなかった事だったが⋯)
建国の当時、沢山いたと言う精霊や妖精達。
現在は、滅多に会えるものではなくなっていたのだ。
いくつもの論文や伝承、物語を見ると、
『住める環境ではなくなった』
『人間が精霊の想いを無下にしたのだ』
など、様々な原因が上げられているが⋯どれも眉唾物だ。
ぐっ、と拳に力をこめ、唇を噛んだ。
(⋯あの騎士団員の言う通りなのはわかっている)
瘴気など湧かないはずだ。
“精霊がこの場所にいるならば”。
本当に、もう居ないと言うのか?
――精霊は人間を見捨てた⋯?
息が苦しくなる。
耳鳴りだけが五月蝿い。まるで警報だ。
それを払拭するように、頭を振る。
その時、ふと魔力の揺れを感じ、顔を上げた。
「⋯⋯⋯?」
目を凝らすと、平原の先、イリーニ大森林入口の更に奥で何かが蠢いていた。
その影は徐々に大きくなり、バキバキと木の割れる音が響く。
「なんだ!何事だ!」
「あれは⋯大型の魔物だ!!」
音より遅れて、地面から振動が伝わる。
悲鳴と喧騒が上がる中、踵を返す。天幕へ戻り、団員達にいくつか指示を飛ばし、対象へと急ぎ向かう。
ノアは全力で走った。
対象に近づくにつれ、重苦しい魔力を感じる。
耳を劈く咆哮。無意識に怯む身体。
――そこには、建物五階分はあるだろう超大型のオーク五体が、禍々しい目でこちらを見下ろしていた。
「私が拘束魔法で縛る!限界まで維持する!攻撃を頼む!」
ノアが仲間の先頭に出る。
「そんな、魔力枯渇で死にますよ!!」
「簡単には死なない、頼むぞ!!」
皆を安心させる為、笑顔で伝えた。
対象付近で止まり、集中する。
対象五体を捕捉。足元に魔術陣が発現する。
「《拘束》」
魔術陣からジャラジャラと鎖が飛び出し、五体の体に巻き付き縛り上げる。
それを合図に、魔術師団員が同時に攻撃魔法を放つ。続けて、騎士団員はオークの脚を切り落とす。
一体、二体と倒れていき、残り三体になった時、ノアは鎖を伝うように攻撃魔法を放った。
オークは悲鳴を上げ、鎖を解こうと身を捩る。
引き摺られる。足が地面に線を刻む。
「もう少しだ⋯!踏ん張れ!!!」
「おおおお!!!」
(あと少し、もう少しだ)
霞みはじめる視界。
心音があがり、汗が滲む。
――その時、上空で影が動いた。
羽音が聞こえ見上げると、そこには飛行型の魔物がいた。
「魔鳥だ!!!避けろ!!!」
鋭い爪と嘴を持った魔鳥は、標的を定め、目にも止まらぬ速さで地上に降って来る。
その先は、一人の魔術師団員。
迫り来る魔鳥に攻撃を放とうとするが、魔法の展開が間に合わない。
魔鳥の突きをまともに喰らえば、確実に死ぬ。
(クソ⋯!!間に合え⋯!)
ノアは拘束魔法を保ちつつ、防御魔法を放つ。
氷の壁が、団員を覆う。
間に合った、そう安堵したのは一瞬。
魔鳥が空中で止まった。
有り得ない軌道で、こちらへ来る。
――ああ、死ぬ。
思うと同時に、ドン、と重い振動と音が体に響いた。
「筆頭!!」
「ノア様!!いやあああ!!!」
揺れる視界。右肩から腹部へ走る激痛。
視線の端で自身の右腕が宙を舞った。
口からは大量の血が漏れ、意識が遠のいて行く。
(⋯⋯こんな所で死ぬものか⋯!)
そう思った瞬間、眩い光が視界を埋めた。
そこにいたものは皆、眩しさに目を開けていられない。
「な、なんだ!!」
「筆頭はどこだ!!」
周辺にいたであろう両団員達が口々に声を上げ、次に魔物の断末魔が重なり聞こえた。
ノアは、ふいに誰かの手に体を支えられた。
薄く目を開け、その相手を見る。
――音が消え、息が止まった。
真珠のような髪が、光を弾く。
⋯⋯その奥で、黄金が光った。
「⋯⋯っ!」
「味方です。大丈夫」
彼女は、ノアの右肩へ手を翳し、何かを呟く。
体内に暖かい魔力が流れてくる。その心地良さに、思わず目を瞑りそうになった。
キラキラと光の粒が舞い、痛みが消えていく。
はっ、と見ると体中の傷が塞がり、失ったはずの右腕が戻っていた。思わず手を動かしたが、問題なく力も入る。
「治りました。安心してください」
彼女はそう言い、にこりと微笑むと、立ち上がり光の中へと消えていった。
ノアはそれを、ただ呆然と見送った。
――人、ではない。




