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紅葉-くれは-  作者: 菊池まりな


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第130話 返されない名

 森を出るまで、誰も言葉を発さなかった。


 踏みしめる落ち葉の音だけが、やけに大きく響く。

 鈴の音は、もう聞こえない。

 だがそれは安心ではなく、見送られている感覚に近かった。


 ようやく山道を抜け、神社の裏手に出たところで、春香が立ち止まった。


「……紅葉は……

 まだ……戻れるのよね……?」


 問いというより、祈りだった。


 祐真は即答できなかった。

 警察官としての理屈も、二十年前に森に置き去りにしたはずの記憶も、

 今はどちらも頼りにならない。


 答えたのは、美奈だった。


「……戻れる。

 紅葉は……

 “渡しきってない”から」


 二人が、美奈を見る。


「……名前……

 完全には、取られてない……」


 美奈は、胸元を握った。


「……あの日……

 紅葉が最後に言った言葉……

 思い出した……」


 春香の心臓が、強く跳ねた。


「……何て……?」


 美奈は、息を吸い、吐いた。


「『……もし、私がいなくなったら……

 “くれは”って呼ばないで』」


 祐真が、眉をひそめる。


「……それ、どういう……」


「……紅葉……

 自分で、気づいてたんだと思う……」


 美奈の声は、震えていたが、はっきりしていた。


「……名前を呼ばれると……

 連れていかれるって……」


 春香の喉が、詰まる。


「……じゃあ……

 私が……

 あの夜……」


「……違う!!」


 美奈は、即座に首を振った。


「……春香さんのせいじゃない……

 紅葉は……

 守ろうとしてた……

 自分で……」


 沈黙。


 そのとき、祐真が静かに口を開いた。


「……二十年前……

 美桜が消えたときも……

 同じだった」


 二人が、祐真を見る。


「……名前を呼んだ……

 俺も……

 春香さんも……

 村の大人も……」


 祐真は、拳を握りしめた。


「……だから……

 森は……

 “名前を与えられる子”を……

 待ってる……」


 美奈が、はっとする。


「……祭り……」


「……ああ」


 祐真は、神社の方を見た。


「……秋祭り……

 名前が、何度も呼ばれる夜……」


 提灯の残骸が、まだ境内に残っている。

 祭りは終わったが、森は終わっていない。


 春香が、ゆっくりと顔を上げた。


「……じゃあ……

 紅葉を取り戻すには……」


 祐真は、覚悟を決めたように言った。


「……“名前を返させる”しかない」


 美奈が、息を呑む。


「……どうやって……?」


 祐真は、懐から古い手帳を取り出した。


 二十年前、事件のあとに、

 自分が書き残していたもの。


「……村の古い噂……

 “呼ばれた子は……

 名を失い……

 代わりに……

 誰かの名を残す”……」


 春香の背筋が、凍りついた。


「……それって……」


「……ああ」


 祐真は、低く続ける。


「……誰かが……

 “名を差し出す”必要がある……」


 その瞬間──

 神社の奥から、微かな鈴の音がした。


 ──ちりん。


 三人の視線が、一斉に向く。


 鳥居の影に、

 小さな人影が、立っていた。


 高校生の制服。

 長い髪。


 だが、顔は闇に溶けて見えない。


 美奈が、声を震わせる。


「……紅葉……?」


 影は、ゆっくりと首を振った。


 そして、

 別の名前を口にした。


「……み……お……」


 春香の胸が、引き裂かれる。


 ──美桜。


 二十年前に失った、最初の娘の名。


 影は、一歩、前に出る。


「……返して……

 呼ばれた……

 から……」


 鈴の音が、再び、重なった。


 逃げ場はない。


 祐真は、低く言った。


「……選ばせる気だ……」


 美奈が、震える声で問う。


「……誰を……?」


 祐真は、闇を見据えた。


「……どの名前を……

 この森に残すか……」


 春香の視界が、滲んだ。


 だが、次の瞬間──

 彼女は、一歩、前に出た。


 その背中は、迷っていなかった。



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