第121話 掘り起こされる記憶
夜明け前の森は、異様なほど静まり返っていた。
鑑識班が到着し、神社裏の窪地には黄色い規制テープが張られ、無数のライトが闇を切り裂いている。その光景は、二十年前には存在しなかった“現実の証明”だった。
春香は少し離れた場所で、毛布を肩に掛けられたまま、発掘の様子を見つめていた。
スコップが土に入るたび、胸の奥を直接掘り返されるような錯覚に襲われる。
「……やめて……もう……」
口をついて出た言葉は、祈りにも呪いにもならず、ただ震えとして空に溶けた。
美奈は春香のそばに立ち、同じ方向を見つめていたが、視線は土ではなく、森の奥の暗闇に向けられていた。
あの影が消えた場所。
鈴の音がした、あの方向。
──紅葉、あそこから、私を見てたの?
「氷川さん」
低い声に呼ばれ、美奈ははっと振り返る。
祐真が、鑑識責任者と短く言葉を交わしたあと、こちらへ戻ってきていた。
「いくつか……骨の一部と、繊維片がまとまって出ています」
「……やっぱり……」
春香の声が、ほとんど聞き取れないほどに小さくなる。
「まだ断定はできません。年齢も、性別も……これからです」
そう言いながらも、祐真の視線は曇っていた。
誰のものであれ、あれが“子どものもの”である可能性が高いことは、誰の目にも明らかだった。
そのとき、別の鑑識が声を上げた。
「係長、こちら……」
ランタンの明かりが一斉に集まる。
掘り下げられた土の中から、今度は布に包まれた小さな塊が現れていた。
春香の喉が、ひくりと鳴る。
「……それ……」
祐真は一歩踏み出し、慎重にその様子を見つめた。
丁寧に布を解いていくと、中から現れたのは──
小さな靴の片方だった。
泥に覆われ、形は崩れかけていたが、踵の内側に残った小さな刺繍が、はっきりと見えた。
「あ……」
春香の視界が、急速に滲む。
「……それ……美桜が……履いていった……」
二十年前の、最後の朝。
秋祭りに行くからと、少し大きめの靴を選んで、照れながら玄関を出ていった、あの後ろ姿。
春香の膝が、がくりと折れた。
「……やっぱり……美桜……」
嗚咽が、堰を切ったように溢れ出す。
美奈は慌てて春香を支え、必死に抱き寄せた。
「春香さん……!」
祐真は歯を食いしばり、視線を逸らした。
警察官としてではなく、あの森で同じ空気を吸っていた“元・村の子ども”として、この現実を突きつけられている。
そのとき、鑑識のひとりが、次の言葉を告げた。
「……ただ……ここだけじゃ、ありません」
「……え?」
祐真が鋭く問い返す。
「この靴が出た場所とは、少し離れた位置にも……同じような埋設痕があります。
しかも……ひとつ、ふたつじゃない」
その言葉の意味が、ゆっくりと、しかし確実に三人の胸に沈んでいった。
──この森には、美桜だけではない。
春香は、涙に濡れた顔のまま、小さく首を振った。
「……そんな……他にも……?」
答えは、誰にも出せなかった。
その少し後──
発掘現場から少し離れた木立の陰で、美奈はひとり、立ち尽くしていた。
胸の奥に押し込めていた記憶が、勝手に浮かび上がってくる。
──紅葉が消える三日前。
放課後、二人で帰る途中、神社の横を通ったとき。
『ねぇ……美奈』
『なに?』
『この森……昔、子どもが消えたって……本当?』
そのときは、ただの噂話だと思って、笑って受け流してしまった。
『気にしすぎだって。そんなの都市伝説でしょ』
すると紅葉は、少しだけ──
泣きそうな顔で笑った。
『……そっか……なら、いい』
──あれは……本当に、それで“よかった”のだろうか。
美奈は、拳をぎゅっと握りしめた。
(紅葉……あのとき、何に怯えてたの……?)
その背後で、不意に木の葉が擦れる音がした。
振り向いても、誰もいない。
だが、確かに“気配”だけが、そこに残っていた。
──まだ、終わっていない。
そう、森が囁いているかのように。




