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犠牲と対価(4)

 その後ろ姿を見送りつつ、シュエは口元に手を当てる。


「おおげさね。屋敷の敷地内にいるのに、送るもなにもないわ」


「その油断が、前回の襲撃を許したと後悔なさっているのでしょう。前回は湖畔にある別荘の庭園で、警備もこことは段違いに薄いものだったでしょうが──」


「そうね」


 一応、事件のあらましはパナに聞いている。


 軟禁を解かれたシュエルバ姫のために、ゼグが提案した小旅行だったのだ。


 パナの話も合わせれば、体調は快方に向かっていたのに塞ぎがちだった、シュエルバ姫の気分転換になればと思ったのだろう。結果は、その気遣いを後悔に変えるものになってしまったが。


「今回は私が任されましたので、大丈夫ですよ!」


「ええ」


 緊張しつつも自信に満ちた笑顔で告げられて、思わず微笑む。


 王族に対してなんて馴れ馴れしい口利きだとシュエは思ったが、自信なさげに添われるよりはいいだろうと思い直した。そもそも、中身はシュエなので、咎めるのも気恥ずかしい。


「では、警護をしっかりお願いするわ。五分ほどね」


 シュエの言葉に、エンデが背筋を伸ばした。


 あの細月の夜、ゼグはなぜ、シュエルバ姫の傍を離れたのか。


 別荘付きの侍女の話では、勅使を名乗る男がゼグに至急の連絡があると、呼びつけにきたらしい。勅使であるならば、すぐに確認しないわけにもいかない。


 そうして庭園に一人で残ったシュエルバ姫は、襲撃を受けた。


「なぜ、私を狙ったのかしら。魔導研究をよく思わない一派かしらね」


 端から見れば、屋敷に引きこもっている病がちな姫で、政治的な価値など微塵もないのだ。ゆえに、狙われる理由は魔導研究絡みしか、シュエには考えつかなかった。


 シュエの時代ですら、反魔導を訴える組織が、一定数あるのだ。


 三百年前ともなれば魔導師も少なく、日常に魔導具が普及していないこともあり、魔導を扱う者はより畏怖される傾向にあっただろう。


 それを排除しようと凶行に及ぶ者達も、多かったのではないだろうか。


「貴方はどう思う?」


 なんとなく、外側にいる者の意見を聞きたくて問うと、エンデの顔が不意に歪んだ。


 予想外の反応に、思わず足を止める。


「こうして実際に言葉を交わしてみると、貴方は思ったよりも普通の女性で、少し驚きました」


「エンデ?」


 名を呼びながら、体が無意識に半歩下がった。強い警戒を、本能が促している。


 それが間違いではないと、最悪の形で証明されようとしていた。


 エンデの手が、腰に佩いていた剣の柄にかかる。


「けれど、そうか。何も知らないのですね?」


「エンデ、どうして」


「私がこの二年間、どんな気持ちでこの城の警備をしていたかなんて、想像もできないのでしょうね。なにも、知らないで、今まで──」


 怒りなのか、悲しみなのか。震える声で、エンデが告げる。


 返す言葉を持たないシュエは、感情の高ぶりを堪えるように強く瞼を閉じたエンデの顔を、見返すことしかできなかった。


 ゆっくりと開かれた瞼の奥に、燃えるような瞳が現れる。


「ならば、知らないことが貴方の罪だ」


 告げながら、エンデが抜剣する。シュエはとっさに左右に視線を滑らせたが、ちょうど正門も屋敷の扉も見えない地点におり、どちらに逃げるべきか迷ってしまった。


「あの世で妹に詫びてこい!」


 低い呻くような声で告げ、殺意のこもった踏み込みがシュエに迫る。


 大ぶりの一撃が肉薄したが、半身を下げていたので、寸前で躱すことができた。


 動きに膨らんでいた脇腹の布だけが大きく裂け、嫌な音を立てる。


 すれ違いざまにシュエはエンデの背中を突き飛ばそうとしたが、エンデは素早く自ら前進し、反転した。


 その勢いを殺さずに、再び踏み込んで横凪ぎの一閃が振るわれる。


 後ろに飛ぶことでシュエが間合いから逃れると、まるでそれを見越していたかのように更に踏み込んで、突きを繰り出してきた。


 さすがと言うべきか、手本のように美しい動きに、思わず感心する。


 その余裕があることに、シュエは安堵していた。


(きつめの鍛錬をしておいてよかった)


 目に、体がなんとかついてきてくれている。


 毒を盛られていたと知って、何も用意しないほどシュエは愚かではない。太ももに手布で巻き付けていた短剣を、破れた服の隙間から引き抜いた。


 枕の下に魔除けとして置かれていたものを、失敬したのだ。


 レザレス国に古くからある習わしで、若い娘、もしくは未婚女性の寝台には、必ずといっていいほどある。それは三百年の昔だろうが同じで、きちんと用意されていた。


 胸を貫こうとした切っ先を、手にした短剣で打ち下ろす。


 軌道を逸らされたそれは短剣を軸に綺麗に滑り、エンデの体をシュエの前まで連れてきた。突進の勢いをそのまま利用し、肘を喉に突き込む。


「ぐうっ」


 濁った声で呻き、エンデがその場に頽れた。剣を握る手が緩んだ隙を逃さずに踏みつけ、蹴り飛ばす。


 エンデの視線が石畳を滑る剣を追ったが、すぐに激しく咳き込んで背を丸めた。


「相応の覚悟を持っての愚行なのでしょう。最後に語る言葉があるなら、聞きます」


 シュエの言葉に、血走ったエンデの目が向けられる。


 無様に地面に蹲りながらも、シュエを睨む瞳には力があった。


「──っ、なる、ほど。全財産を(なげう)って雇った暗殺者が、なぜあの夜失敗したのか、納得しました。貴方はどうやら、ご自身が生き残ることに関しては、とても貪欲なようだ」


 言葉に混じる侮蔑にシュエが眉を顰めると、ああそうだったというようにエンデが唇を笑みに歪めた。


「ご存じないのでしたね。その命が、他の者の犠牲によって長らえていることを」


「……どういう意味」


「そのままの意味ですよ。この国の王は、自分の娘かわいさに、他の者を魔獣の餌にしてきたんだ!」


「魔獣?」


 魔獣とは、シュエルバ姫を攫った魔獣のことだろうかと、シュエは瞠目した。


「どういうこと? 魔獣がすでにこの(レザレス)にいるというの!?」


「ふざけたことを! あれはもう、何年も前からこの国を(おびや)かしている! そんなことすら知らないというのか!? 恐ろしい物から自分だけが隠され、護られ、のうのうと生きてきたと? お前のかわりに、妹は魔獣に喰われて死んだ! 妹は、まだ十歳だったんだぞ!?」


 突きつけられた言葉が理解の範疇を超えていて、シュエの頭は鈍器で殴られたような衝撃をうけていた。


(何年も前から国に? 魔獣は突如現れて、シュエルバ姫を攫ったのではないの?)


 シュエが愛した物語は創作だが、史実を元にしているのだ。


 そして、シュエは元となった歴史書も読んでいる。


 それには、魔獣が国を何年にもわたって脅かしていた事など一切記述されていなかった。


 だがそれが嘘ではないと、エンデの覚悟と殺意が示している。


「妹だけじゃない、きっと他に何人もいるぞ。魔獣は二年に一度、魔力量の多い人間の生贄を要求してるらしいからな! 俺は本当に偶然、事実を知ることができただけだ。魔獣に生贄を差し出す役目を担っていた騎士が、城内の兵士に身内がいることを知って、わざわざ罪を告白しにきたのさ。十の娘を差し出したのは、さすがに堪えたらしくてな! 殺してくれと言われたが、自分で死ねと言ってやった。奴の告白がなければ、妹は森で獣に襲われて死んだと思わされるところだった! わざわざぼろぼろにした服だけ届けられて──。それを信じて、絶望するところだった。なのに、お前は──っ」


 呆然としていたシュエは、エンデにたやすく足を掴まれ、引き倒されてしまう。


「あっ」


「死ね!」


 身をよじる間もなく馬乗りになられ、細い首に両手が絡む。そこに骨をへし折る力が加えられようとした瞬間、どこからともなく女の悲鳴が響き渡った。


 思わず、互いに動きを止める。


 それはすぐに複数の声になり、瞬く間に騒動の気配を帯びた。


「なんだ──」


「影だ! 魔獣の影だ!」


 誰かの声が、エンデの疑問に被さる。その単語を聞いた瞬間、エンデが腰を浮かせて剣の柄に手を伸ばす仕草をしたのを、シュエは見逃さなかった。


 剣はシュエが遠くに蹴り飛ばしたので、当然、それは空ぶる。


 そこでようやく、エンデは我に返ったようだった。


 はっと息を呑んだ隙を逃さず、シュエはエンデの下から逃れた。


「待てっ」


「騒ぎを確認するのが先よ!」


 立ち上がって怒鳴りつけると、エンデは面食らったように押し黙った。


 シュエは素早くエンデの剣を拾い、騒ぎが大きくなっている方へ駆けだす。


「俺の剣だぞ!」


「腕は私の方が上だわ!」


 代わりのように、短剣を投げ渡す。


「──なっ」


 絶句し、声もなく唇をわななかせはしたが、エンデもシュエに続いて駆けだした。貴族や城仕えの者たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 それに逆らって進むと、少し開けた場所に出た。おそらく、荷車が通るために広く作られている通路だ。美しい色合いの石畳が、綺麗に敷かれている。


 グルルル、という低い唸り声にシュエが視線を向けると、ゼグが体長二メートルほどの獣と対峙していた。




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