25、やっと会えた
幽霊に襲われる、なんてことがあっても、日常に劇的な変化は訪れない。そのため優太は、いつも通り、学校に登校した。
保健室の出来事など夢だったかのように、学校での生活は変わらなかった。
いつも通り授業を受け、柚莉香と一緒にお弁当を食べて、放課後を迎えた。
昨日の出来事は、本当にあったことだったのだろうか。そんなことさえ思うくらい、いつもと同じだった。
ただ、柚莉香の首には包帯が巻かれていて、それが昨日のことは現実だったのだと、思い知らせてくれる。
そんなことを考えながら、優太は幽霊部の集まりで、空き教室にいた。毎回放課後になれば鍵を盗んでくる桃音の手口に、関心と同時に、優太は苦笑してしまう。
「そういえば今朝、柚莉香ちゃんが教室に来ました」
空き教室でイスに座りながら、桃音が言った。
「優太くんがわたしに騙されて、変な宗教にハマったんじゃないかって不安だったらしいです」
「まあ普通の人から見たら、そんな風に思ってしまうよな」
苦笑する桃音の横に立っている雪は、そう言って肩を竦める。
「でも柚莉香ちゃんは、本当に優太くんのこと大事に思ってるんですね。優太くんも柚莉香ちゃんのこと大切に思ってるし」
にこにこと、屈託なく桃音が笑う。心の底から純粋にそう思っているらしい。
しかし優太にしてみれば、確かに大事な幼なじみだという自覚はあるが、そうやって言葉にされてしまうと、なんだか恥ずかしくなってくる。
「だってそうじゃなきゃ、あんなに一生懸命助けに行こうとはしませんし」
「そ、そういえば」
自分の顔が熱くなるのを自覚した優太は、桃音の言葉を遮って、雪に顔を向ける。
「昨日はありがとうございました、ユッキー先輩」
「だからその呼び方はやめろ。というか私は、お前に礼をいわれるようなことはしてないと思うが」
ムッ、と眉根を寄せた雪に、優太は首を横に振る。
「柚莉香が襲われていたとき、真っ先に助けようとしてくれたじゃないですか」
「ユッキーは困ってる人を放っておけないんだよー。優しいねー」
「黙れ桃音」
のほほんと言った桃音を、眼光鋭く、雪は睨み付けた。だがそれが怒りからではなく、恥ずかしさから言っているということは、露になっている耳が赤く染まっているのを見て、よく分かった。
桃音も分かっているらしく、睨まれているにも関わらず、笑みは崩さなかった。
「それに、あの光。あれってユッキー先輩なんでしょ?」
女性の幽霊を退けた、強い光。あの光のおかげで、自分達は助かったのだ。
表情が感謝を伝えようと、無意識に笑みを浮かべる。
対して雪は――首を横に振った。
「私じゃない」
「え?」
ぽかんと、間抜けに優太の口が開く。
「え、だってあんなこと、あの場でユッキー先輩以外に誰が……」
雪以外にあんな芸当ができそうな人、保健室にはいなかった。
もしかしてお礼を言われるのが恥ずかしくて、誤魔化しているのだろうか。
しかし優太の前にいる雪は、至極真面目な、真剣な顔で、優太を見返していた。
「じゃあ一体、誰?」
桃音が首を傾げる。
「あのとき、一瞬だが少女が見えた。あのときお前とあの子を守るように」
あの子とはきっと、柚莉香のことを言っているのだろう。
思い出しているのか、雪が目を細める。
「顔は見えなかった。だがあれは多分、お前の……」
どくん、と優太の心臓が、大きな音を立てた。
まさか……。
呆然と雪を見つめる優太。そんな優太を見て、優太の予想を肯定するように、雪は頷いた。
「七不思議の案内を桃音がしてくれたときのことを、お前は覚えているか?」
「え? あ、ああ、うん」
突然話が変わり、驚きながらも優太は、首を縦に振る。
「あのとき私は、お前の前に姿を現さなかったな」
「そうだよー。わたし何度も呼んだのにー」
桃音が頬を膨らませる。
「あれはわざと姿を視せなかったんじゃない。視せることができなかったんだよ」
「どういう意味?」
訝しげに、優太は聞き返す。
一体雪は、何を言いたいのだろうか。
「お前は今まで、幽霊に遭遇したことがなかったと言ったな? だが心霊スポットに行って、初めて取り込まれかけた。私の姿も視ている。どうして突然そうなったと思う? 偶然だと思うか?」
「――……」
今までいくら幽霊に会いたいと願っても、優太は、会うことができなかった。優太が混ざればこっくりさんはおかしなことになったし、どれだけ有名な心霊スポットに行っても幽霊なんて出なかったし、心霊写真だって一度も撮れたことはない。
それなのに幽霊部に入ってから、突然、幽霊を視る機会が増えた。幽霊が視えるという桃音と一緒にいるから? じゃあ何故、七不思議の案内をしてくれたとき、どの幽霊も姿を視せなかったんだ?
どうして……。
そこまで考えて優太は、あることに気が付いた。
幽霊を視るようになる前とあとで、一つ違うことといえば。七不思議の案内をしてくれた日と、心霊スポットへ行った日の間で、変わったことといえば。
「これ……?」
まさか、と思いながら優太がポケットから取り出したのは、手のひらより幾分も小さな、巾着。アクセサリー一つしか入らないだろう大きさのそれから取り出したのは、壊れたネックレス。
雪が大きく、頷いた。
「推測でしかないがな」
呟くように言う雪。
だがそう考えれば辻褄が合うような気がした。優太はこのネックレスをずっと、肌身離さず身に着けていた。その間幽霊に会ったことも、怪奇現象に遭遇したこともない。
逆に、壊れたネックレスを柚莉香に渡してから、優太は初めて、幽霊を視た。襲われかけた。
「え、でも昨日襲われたときはまだ持ってなかったし、それに今も持ってるのに、ユッキー先輩視えてるよ?」
「……もしかしてそれ、柚莉香ちゃんが持ってなかった? 抱きしめたとき服越しにでも触れてたんじゃないかな?」
「今私が視えているのは……もうそのネックレスに、力がないからじゃないか?」
口々に自分の予想を口にする桃音と雪。二人の言い分はどちらも正しいような気がして、優太は呆然とネックレスを見る。
十字架の部分が壊れて、もうチェーンしか残っていないネックレス。
「さらにこれも推測なんだが……昨日見えた少女のことを考えるに、そのネックレスは」
「姉貴の、形見です」
雪の言葉に重ねるように、優太は口にした。
そのネックレスは、優香が大事にしていたものだった。優香が死んだ際、優太は形見としてそれを受け取った。以降優太は、ずっとこれを身に着けてきた。
「だからチェーン短いんだね。男物にしては短いと思ってたんだ」
桃音は納得したような声を漏らす。そんな桃音に優太は頷きを返した。
「前見たときより、ボロボロになっちゃったんだね」
「はい。柚莉香がポケットに入れてたんですけど、昨日の騒ぎで壊れたんじゃないかって……」
「騒ぎというか、力を使い果たしたから壊れたんじゃないか?」
十字架が真っ二つになったのは事故だったけれど、それ以上にボロボロになったのは、優太と柚莉香を守ったから? そして今も雪を視ることができるのは、もう力が残っていないから?
憶測でしかない。けれど、正しいような気がする。
優香の形見。そして雪は昨日の光の中、少女を――優香らしき少女を、見たと言う。
それはつまり。
「このネックレスを通じて、お姉さんは優太くんを守ってくれてたんだね」
優香はずっと、傍にいてくれたということ。ずっと優太の傍にいるという約束を、守り続けてくれていたということ。
泣いている自分を慰めるための、ずっと傍にいてほしいという自分のワガママの、ために。
優しげな微笑を浮かべた桃音の呟きに、優太は俯く。
嬉しいと思った。自分が気付いていないだけで傍にいてくれたのだということを。
しかし同時に、別に思うこともあって、優太は唇を噛む。
「……モモ先輩」
「なーに?」
「幽霊って、未練があって成仏できない魂って、言ってましたよね?」
「うん、そうだけど……」
暗い優太の口調に、桃音は眉尻を下げた。
「それがどうかした?」
「それってつまり……姉貴は俺のワガママが原因で、それが未練になってずっと、成仏できななかったって、ことですよね?」
例えば雪とか。昨日の女性の幽霊とか。彼女達はそれぞれ、生きていた頃叶えられなかったであろう未練が残っているから、この世界にいる。彷徨っている。
もしかして優香は、優太のせいで成仏できずにいるのだろうか。この世界を彷徨っているのだろうか。
そう思ったら胸が痛くなった。
「それって俺、最低じゃないですか……」
自分の一言が、姉の成仏を妨げた。気持ちが落ち込み、優太は顔を上げることができない。泣きそうな、情けない顔をしているであろう自分を、桃音や雪に見られたくなかった。
「うーん……」
桃音が考えるような声が、優太の耳に届く。きっと桃音もそう思っているに違いない。どう言えばいいのか言葉を探しているのだ。
「わたしは違うと思うな」
否定的な思いを抱えていた優太は、だからこそ、桃音の言葉に、驚いた。
「わたしどの幽霊さんも視えるよ。でもわたし、優太くんのお姉さん視たことないもん」
緩慢とした動作で優太が顔を上げれば、桃音は微笑んでいた。優しそうな、慈愛とかそんな感情が込められているような、微笑で。
「だったら何かって言われると分かんないんだけど。でも未練とかは違うと思う。敢えて言うなら……想い? 魂じゃなくて、優太くんの傍にいたいっていう、お姉さんの想いが、そのネックレスには込められていたんじゃないかな?」
不意に桃音がイスから立ち上がった。優太の前でしゃがみ込んで、まるで顔を覗き込むように、優太を見上げる。
「ただ大好きな弟を、守りたかっただけだよ。未練なんかじゃない。大好きって気持ち。もうネックレスに力がないのは……優太君が一人前になったからじゃないかな? 柚莉香ちゃんを守ろうとした姿を見て、もう大丈夫だって思ったんじゃないかな。だからもう、ネックレスは壊れたんじゃないかな」
桃音の言葉は憶測で。推測で。真実ではなくて。
……けれど、信じていいだろうか。信じたいと思っていいだろうか。
優太の目の前が、じわりと滲んだ。目頭が熱くなる。あっ、と思ったときにはもう遅い。
優太の目から、涙が落ちる。
姉はもういない。優太の中で姉はもう一度、死んだのだ。
だがそれは悪い意味ではない。姉が傍にいなくても、守ってくれなくても大丈夫だという、前向きな気持ちだ。
……ただそれでも、やっぱりどこか、悲しくて。色々な感情がごちゃ混ぜになって、それが涙という形で、溢れ出してきていた。
「っ……」
泣いているところなんか見られたくない。
変な意地で、優太は涙を止めようと努力する。同時に桃音から顔を背けようとした。
その瞬間。
伸びてきた桃音の両腕が、優しく優太の首に回った。優太の顔が桃音の小さな肩に押し付けられる。柔らかな体。体温。――安心、する。
「モモ、先輩……?」
「お姉さんに会いたかった?」
優太の耳元で、囁くように桃音が聞く。
少し心配そうな声音に、優太は緩く首を横に振った。
「もう、会えましたから」
あの眩しくて、強くて、でも優しい光。あれは――姉だから。
「……そっか」
肩に顔を埋める形になっているためちゃんとは見えないが、桃音が笑った気がした。
ふと優太が視線を上げると、教室に雪の姿はなかった。この場からいなくなったのか、それとも優太に姿を視せないようにしているのか。どちらにせよ、きっと優太に気を遣っているのだろう。
涙を必死に止めようとしながらも優太は、桃音を振り払うことはしなかった。なんとなくまだ、桃音の温かさに触れていたくて、優太はしばらくの間、桃音に抱き締められていた。
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