オリエンテーション(6)
レイスが他の生徒を連れてセフィナの所に戻ってきたときには、すでにセフィナは配膳を済ませていた。セフィナが作り出したテーブルと5つの椅子を見たレイス以外の生徒たちは皆言葉を失った。彼らの目の前にあるのは薄く緑色に輝く椅子とテーブル。木材で作り出したとは到底思えない色で、余りにも現実離れしていた物だったからである。
「ほら、食事の準備はできてるから、皆座って」
セフィナがそう言ったことで現実に引き戻された生徒たち。レイスは他の生徒を呼びに行く前に目の前で先生が魔法でテーブルや椅子を作り出すところを見ていたのだが、それでも未だに目の前の光景が信じられないと言った様子であった。
「もう、今度は君たちがこれと同じことをするんだからそんなに驚かない……と言っても、さすがに無理だよね。こんな物を実際に見てしまったら」
セフィナが言った「こんな物」とは、もちろんテーブルと椅子である。彼女が魔法で作り出したそれは実在する椅子やテーブルとは似ても似つかないような薄い緑一色だったからである。
「……これ、座っても大丈夫ですか?」
恐る恐るといった感じでセフィナに質問をしたのは茶髪の生徒である。だが、他の三人の生徒も内心は同じだろう。こんな現実感のない物を用意されて、座ってみろと言われても躊躇うのはある意味当然である。
「もちろん大丈夫だよ。何なら、今から私が実際に座ろうか?」
そう言うなり普通に緑色の椅子に座るセフィナ。椅子は壊れることも無く、セフィナは普通に椅子に座っている。
「もちろん他の椅子も大丈夫だけど……心配なら一度すべての椅子に私が座って安全だと証明するよ?」
「い、いえ……そこまでしなくても……大丈夫です」
生徒たちを安心させるために他に用意した椅子にも自分が座って安全を確かめても構わないと言い出した先生だが、茶髪の生徒はそこまでする必要はないと返す。生徒たちは恐る恐るではあるが、目の前の緑色の椅子に座ることになった。
「さて、じゃあ皆座ったことだし、夕食にしようか。でもその前に、これを飲んでくれるかな?」
生徒たちが席に着いたことを確認したセフィナは、本格的に食事を始める前にある物を生徒たちに配る。それはコップに入った白い乳白色の液体で、見た目は牛乳などと大して変わらない物だった。
「あの……先生、これは何ですか?」
配られた物を見てレイスがセフィナに尋ねる。
「それはね……魔力を感じられるようにする秘薬、マジックペインター。それを飲まないと、水晶に触っていない皆は魔力を感じることができないから、魔法自体が使えないよ」
生徒たちに配られた乳白色の液体が「マジックペインター」という秘薬であるとセフィナは告げる。セフィナの話からすると、これを飲まないと水晶に触っていない皆……レイ以外は魔力を感じることができず、魔法自体が使えないのだと言う。
「あの、先生。じゃあ、水晶に触った僕はこれを飲まなくても良いんですか?」
水晶に触っていない皆は魔力を感じられないとセフィナは言った。つまり、水晶に触ったレイはこれを飲まなくても良いと言う事になる。実際、彼は水晶に触った時に体内の魔力を水晶に着色され、それを違和感として感じているため、別にこれを飲まなくても魔法の行使には全く問題は無いだろう。
「まあ、君はすでに水晶に触ったからね。飲んでも飲まなくても魔法が使えるようになっているから、別にどっちを選んでも構わない、とだけ言っておくよ。個人的には飲む方をお勧めするけどね。この秘薬は水晶に触った後でもちゃんと効果が出るから」
「……? はい……じゃあ、飲んでみます」
セフィナの返答を聞いたレイもとりあえず飲んでみることにして、目の前に置かれた秘薬入りのコップに手を伸ばした。
「じゃあ、それを飲み干してね。それを飲み干したら、すぐに魔力を感じられるようになるから」
セフィナのその一言がきっかけで、生徒たちはコップの中のマジックペインターを一気に飲み干した。その直後、レイ以外の三人の様子が変わった。
「え? ……何これ? 身体の奥に……何か出てきて……」
「それがこの薬の効果。魔力を内側から着色することによって違和感を感じさせるの」
レイスが呟くように言った違和感こそ、この秘薬、マジックペインターの効果なのである。無色透明の魔力を身体の内側から着色していき、違和感を生じさせるのだ。
「……先生? 何も変わりませんけど……?」
レイが不思議そうにセフィナに質問する。他の生徒たちが先ほど飲んだ秘薬によって自らの身体に起きた違和感に驚いている中、同じ物を飲んだはずのレイには全く変化が無かったからだ。
「まあ、君はすでに水晶に触って魔力を着色したからね。すでに色がついていたら、魔力を着色する方の効果は発揮されないよ。もう一つの効果はちゃんと出るけどね」
「もう一つの効果? ……どういう事ですか?」
「マジックペインターには二つの効果があるの。一つ目は、今他の三人に起きている魔力の着色効果。もう一つの効果の方はオリエンテーションの最後に説明してあげるね。今は魔力を着色するために飲んだだけだから、二つ目の効果の方は気にしなくていいよ」
「え、はい……」
セフィナが言うとおり、レイはすでに水晶に触って魔力を着色したため、マジックペインターをここで飲んでも魔力着色の違和感を味わう事は無い。マジックペインターにはもう一つ効果があるようなのだが、セフィナはその効果を得るためにこれを飲ませたのではないらしく、レイにそちらの効果の説明をしてはくれなかった。
「三人は今飲んだ薬の効果でさっそく胸の奥のあたりに何かがあるような違和感を感じていると思うけど、それが魔力の感覚だからね。最初の方は魔力がそこにあることに違和感を感じるけど、すぐに慣れてくるから」
レイとの話を終えたセフィナはマジックペインターを飲んだレイ以外の生徒たちが感じている違和感の正体が魔力であると説明した。胸の奥のあたりに今までなかった異物感がある、それがマジックペインターで着色された魔力を最初に感じる時の感覚である。
「……先生。今薬を飲んだ直後ですけど、このまま食事を食べても大丈夫……なんですか?」
茶髪の生徒がセフィナに対し「今自分は薬を飲んだが、この状態でそのまま食事をとって本当に大丈夫なのか」と質問する。
「もちろん大丈夫だよ。……その違和感が吐き気になってるんだったら言ってね? ほとんどないけど、違和感を感じたまま食事を食べて気分が悪くなる人もいるから」
「いえ。それは大丈夫です。……でも、それってどういう事ですか?」
「マジックペインターは安全な薬なんだけど、魔力を着色したら今みたいに胸の奥のあたりに違和感ができるでしょ? その状態で食事をとると、胸の奥の異物感と胃の満腹感が合わさってしまって気持ち悪くなっちゃう人がたまにいるの。……お腹は空いてるかもしれないけど、こうならないように食べ過ぎには気を付けてね」
茶髪の生徒の質問に対するセフィナの答えはもちろん問題ないであった。が、いくらマジックペインターが安全な薬であると言っても胸の奥に違和感を生じさせる薬であるため、その効果の出た直後に食事を食べすぎると胸の奥に生じた違和感と胃の違和感が合わさってしまうことがあるのだ。
「……じゃあ、皆の入学後初めての食事の時間かな。今から食事を始めるけど、さっきも言った通り食べ過ぎないようにね。それだけ気を付けてくれたら大丈夫だからね」
セフィナのその言葉を合図に夕食の時間が始まった。彼らの夕食は野菜サラダ、海鮮のスープ、切り分けられたハーブ炒めの鶏肉、ライス、水であった。入学初日の夕食だからか、かなり豪勢なメニューである。
「……」
「……」
「……」
「……」
「食事が始まったら見事に皆黙っちゃったね。こういう時の食事は普通、楽しく雑談しながら食べると思うんだけど……まあ、入学初日から打ち解けあって楽しく話しながら食べるって言うのは無理かな?」
セフィナが呟いた通り、夕食を食べ始めたとたん、生徒たちは一言も発さずに用意された食事を食べるようになったため、完全に静かになってしまった。セフィナが生徒たちの様子を見ても、誰一人周囲に目を向けていないのだ。
「まあ……お腹が空いていたっていうのが一番の理由かな? 本当なら食事の時に皆で自己紹介をしようと思ってたんだけど……これじゃ無理だよね。皆の自己紹介は夕食の後でしようか。さて、私も続きを食べようかな」
生徒たちが完全に自分の食事にしか集中していない以上、この場での自己紹介は無理と考えたセフィナも自分の食事を再開することにした。そのため、この後夕食が終わるまで誰も声を発することがなかった。
ーーーー
「ごちそうさまでした」
「これで皆食べ終わったかな? どう、美味しかった?」
夕食を食べていた生徒たちが順次食事を終え、夕食の時間は終了した。生徒たちの皿もセフィナの皿も見事に全て空になっている。
「ふう。それじゃ、まずは夕食の片づけかな。使った食器を全て台車に乗せてね」
夕食が終わったのでまずは片づけを始める。使い終わった食器を生徒たちが部屋の入り口に置いてある緑色の台車に乗せていき、最後にセフィナが自分の食器を台車に乗せる。全て乗せ終えた直後、台車はひとりでに動きだし、そのまま通路の奥の方へと動いていった。
「……え? 今、台車が勝手に動いたような……」
レイスの呟きが他の生徒たちの心情も代弁する。目の前で誰にも触れられていない台車が勝手に動き出すとはさすがに考えないだろう。またもや「ありえない」出来事を目にすることになった。
「うん。あの台車は確かに勝手に動いたよ。行き先はもちろん食堂の中。使い終わった食器を返却するために走らせたんだよ」
セフィナがレイスの呟きに答える。ただ、内容がまたもや生徒たちの常識の範囲を超えているのだが。食器を乗せた台車が突然自走して食堂に食器を返却しに向かうとは誰も思わないだろう。
「って、また刺激が強すぎたかな? これも、皆がいずれ出来るようになる物なんだけどな……」
またもや固まってしまった生徒たちに、セフィナは刺激が強すぎたかと苦笑するだけであった。先ほどの椅子や机の件ですら凄いと感じている彼らには、人の手も借りずに自走する台車はもう理解不可能な世界の物であった。
「……まあ、いつまでもここで固まってるのもアレだし、部屋の中に戻ろうか」
セフィナのその一言で、部屋の中に戻っていく生徒たち。ただ、先ほどの光景がよっぽど衝撃的だったのか、一言も喋らなかった。
「さっきの物含め、今日見た光景はあまりに常識外れだったしね。仕方ないのかな?」
セフィナの呟き通り、生徒たちが今日見た光景はあまりに衝撃的だっただろう。緑色に薄く輝く椅子、机、台車という自然に作られたとはとても思えない物体を目の当たりにしたうえ、その台車は誰も押していないのに勝手に動き出したのだ。どちらも普通ではありえない光景だろう。
「……ま、普通ではありえない物を目にして固まっちゃうのは、新入生が必ず通る恒例行事かな? だって、どの新入生も必ず固まっちゃうしね。魔法を事前に使いこなせる生徒は別だけど」
魔法を事前に使いこなせる生徒たちは別だが、魔法を使いこなすことができない生徒たちは先ほどの台車や魔力で作られた家具のような物を見たら驚きのあまり固まってしまうのだ。自分の常識が一切通用しない物を目の当たりにしたのだから、ある意味当然かもしれない。
「さて、と。それじゃそろそろ自己紹介でもしてもらおうかな。これで今日の予定は終了するし」
そう呟くと、セフィナは生徒たちが座っている椅子の方に戻って行った。
ーーーー
「……」
「……」
「……」
「……」
「やっぱり皆一言も喋ってないね。まあ、仕方ないかもしれないけど」
戻ってきたセフィナが生徒の様子を見るが、やはり先ほどの食事のときと同じく、誰一人喋ろうとしている生徒は居なかった。皆考え事をしているようなしぐさをしているため、先ほどの台車かこれ、もしくは魔法の事を考えているのだろう。
「考え事があるのは別に構わないけど、少しこっちに意識を向けてくれるかな?まだやっておいてほしいことが残ってるんだ」
セフィナがそう言うとひとまず考え事を止めた生徒たち。ただ、やっぱり心ここにあらずと言った感じである。
「うーん、やっぱりさっきの台車やこの椅子と机は刺激が強すぎたかな……まあそれはともかく、今から皆には一人ずつ簡単な自己紹介をしてもらおうと思うんだけど」
「……自己紹介、ですか?」
自己紹介をしてもらうと言うセフィナの発言に対し、レイが反応した。
「うん。私は一応名簿を持ってるから皆の名前だけは把握しているとはいえ、皆はお互いの事を知らないだろうし、私の事も知らないでしょ? だから、皆に互いの事を知っておいてもらおうかなって思ったの」
セフィナは自己紹介によって生徒たちに互いの事を知っておいてもらおうと考えたようだ。
「じゃあ、誰から言ってもらおうかな? 私から自己紹介しても良いけど」
「……」
「……」
「……」
「……」
「はあ、黙りっぱなしか。ずっと黙ってても進まないから、私から自己紹介を始めるね」
セフィナが最初に自己紹介すると言う発言に対し、生徒たちは頷きで返した。
「私はセフィナ。この学校……デルテミア魔法学院で風学科の先生をしています。私が担当している授業は風魔法と薬学……なんだけど、風魔法の方は図書館で言った通り、皆が自発的に勉強してもらう方針を取ってるから、実質的に薬学だけを教えることになるかな。薬学を担当している先生は私の他にもう一人いるんだけど、彼女の方はどちらかと言うと歴史や細かい原理を学ぶのに対し、私の方は実験をメインに行うよ」
セフィナが自己紹介と自身の担当科目についての説明を行う。彼女の担当科目は風魔法と薬学のようである。
「私の担当する授業について説明しておくと、風魔法の方は何度も言ったけど自習形式。薬学の方は、強制はしないけど、来た方が得をする……とだけ言っておくね。ただ、私の薬学は参加したい人は学科問わず受け入れる方針だから、他の学科の生徒が混ざるかもしれないけど」
風魔法の方は自習形式。ただ、自由参加の薬学に来た方が得をする……そう説明するセフィナ。薬学に他の学科の生徒が混ざるかもしれないと言う話を聞いてレイスとクリスはやや表情を曇らせたが。
「まあ、私の授業に関する説明はこんな所かな……。それじゃ、次は皆にも自己紹介してもらおうかな。誰から自己紹介する?」
「……じゃあ、僕が次に自己紹介しても良いですか?」
セフィナが自己紹介を終えた後、手を挙げたのはレイだった。
「うん。誰から始めても構わないよ。名前と……何かしらの一言言ってくれたら良いからね」
「一言? ……何を言えばいいんですか?」
セフィナが言った「何かしらの一言」で何を言えばいいのか分からず、レイがセフィナに質問する。
「そうだね……自分の夢でも目標でも、何でも構わないよ。別に難しく考えなくていいからね」
「え、はい……」
セフィナの返答を聞いて、考えるようなそぶりを見せるレイ。何かしらの一言を言えと突然言われても、急には出ないだろう。
「……」
「うーん……後回しにした方がよかった?」
「えっと、大丈夫です。一言の方も決めました」
黙ってしまったレイを見て、自己紹介を後回しにした方がよかったかと尋ねるセフィナだったが、当のレイは何を言うのか決めたようである。
「……レイスは元々知ってるし、二人とはさっき話してたけど、改めて自己紹介します。僕はレイ、風学科には専願で受験しました。現在の目標は、移動用の魔法をたくさん作り出して覚える事です」
レイが自己紹介を始める。レイが言った「一言」は現在の目標。彼の目標は、移動用の魔法をたくさん作り出して覚える事である。
「……うん、なるほど。じゃあ、次は誰が自己紹介するのかな?」
「……じゃあ僕にさせてもらえますか?」
「えっと、君はレイスだね。もちろん構わないよ」
レイの自己紹介を聞き終えたセフィナは次に誰が自己紹介をするのか尋ねる。次にすることを決めたのはレイスだった。
「……僕はレイス。レイとは兄弟です。現在の目標は、魔法を種類問わず使いこなせるようになることです」
淡々と自己紹介をするレイス。
「レイと君は兄弟なんだね……でも、本当にそっくり。声も顔も体格も。言われないとこの二人は全く区別ができないね」
セフィナが呟いた通り、レイとレイスは外見的な特徴が完璧に一致していた。顔も髪の色も全く同じ、体格にも差が無いため、どっちがレイでどっちがレイスかは言われないと分からないだろう。
「じゃあ、次は二人のどっちが自己紹介する?」
「……次は僕にさせてもらって良いですか?」
「うん。構わないよ」
レイスの次に自己紹介をするのは茶髪の生徒だった。
「えっと、僕はルーベルです。ここでは、薬学を学ぼうと思っています」
茶髪の生徒――ルーベルが自己紹介をする。彼が学ぼうとしているのは薬学である。
「へえ……薬学を学びたいんだね。珍しい」
さすがのセフィナもこれには驚いたようである。魔法を学びたいと言う生徒が来ることはあっても、薬学を学びたいと言う生徒は今まで来なかったからである。
「それじゃ、最後は君だよ」
「……僕はクリス。現在の目標は、少しでも早く魔法を自在に使えるようになることです」
最後に残った生徒、クリスが自己紹介をする。彼がこの目標を述べたのは、魔法大会までに少しでも腕を上げたり術式を改良したりしたいからだろう。
「……うん。これで全員自己紹介が終わったね。長かった今日の予定もこれで終わり。それじゃみんな、これから一年間よろしくね」
「はい!」
最後にセフィナがそう締めくくり、初日の日程が終了した。




