26,覚醒・前編
「くたばれっ! ……とはいかないまでも、少しは痛い目を見なさい……!」
この状況下で幸いな事は、リオが同じポジションに止まっている事だ。
カルマンがそうさせているのだろう。事実、カルマンが攻撃をすれば、それを避ける為に、リオは動き回る事になる。動きを止めさせ、意識を砲撃手に向けさせない。見事すぎる、カルマンの戦い方だった。
引き金に手をかける。一般的な拳銃などは、通常、指を引き金にかけるが、ギガンティックアームは大きすぎて、正に手をかけなければ、引けそうもない。
シンラは、一度だけカルマンがアームを撃ったのは見ているが、よくよく考えれば凄い事なのだと思い知る。規格外の武器を、その身に付けて、そこまでして復讐心を燃やすという、恩師と戦友とは、一体どんな人物だったのか。
「……妬けちゃうわね」
ぽつりと呟いたそれは、シンラにとっての本心だった。
――もう一度、歯を食いしばり、撃つべき敵を睨み付け、気持ちを一点に集中させる。持ち上げただけで、この苦痛だ。撃てばそれっきり、自分は死んでしまうかもしれない。これだけの重量の武器、その反動も並大抵のものではないだろう。
だが、それも良いのかもしれない、と。そう思えている自分に、不思議な感情を抱いてしまう。
眼前で、必死に攻撃を避けている、一人の男を見つめた。
「貴方のせいよ……? こんな考えを、私に持たせたのは」
カルマンにはよく「からかうな」と、言われていたが、シンラにはからかっているつもりは、毛頭なかったのだ。
一言で表すと、一目惚れ。あの最初に戦った時、自分を殴り飛ばした、逞しい腕に。自分の背筋を緊張させた、圧倒的な存在感に。それこそ最初は興味本意だったが、自分の心が、人間の男に惹かれているのは、わかっていた。
シンラの旅は、城国の実験により、理不尽な死を遂げた父の仇を討つ為だ。確かにその感情は、今も持ち続けている。それを証拠に、思念武装の切れ味は、いまだに鈍っていない。
だが一方で、もう、どうでもよくなってもいた。どんな立ち位置でも良いから、一人の男の人生に、寄り添っていたいと思っていた。
「馬鹿ね……何を考えてるのよ……。こんな時に……」
ほんの一秒、二秒の事だったが、意識を一瞬だけ失い、夢のようなものを見ていたようだ。
トリガーにかけられた手に、更なる力が入っていく。深呼吸をし、最後の照準合わせ。動いていない的であり、自分がそれをしなければ、仲間達が死んでしまう。自分に言い聞かせ、静かに、しかし思い切りよく、ギカンティックアームのトリガーを引いた。
鼓膜が破れんばかりの轟音と、全身の肉や皮や骨が、一瞬にして吹き飛んでしまったかのような反動。その全てが、シンラに情け容赦なく襲いかかってくる。
――これによって、シンラの意識は深い奈落の底へと、墜ちていった。
「……くっ、あいつ!?」
完全に警戒の目は、カルマンに向けられていた。いや、『致命傷をおったキメラの女』などと、甘く見ていたせいもある。
砲弾のスピードは決して速くはない、空をも飛べるリオならば、こんな攻撃など見てから反応する事だって、容易いはずなのだ。しかし、リオは何故かそれをせず、今までカルマン攻撃に向けていたパルティナを、砲弾迎撃の為に向けたのだ。
「落としてやるっ!」
結果的に避けない選択肢が、カルマン達にとって、良かったのか悪かったのかは、わからない答えだ。だが、避けない事実は、命中するという、少ない確率を残した。しかし、お世辞にも速くない弾を、一体どのようにして当てるというか。
これではどの選択肢も、勝ち目はないという事になってしまう。
――だが、一人の男が、そんな事実を、指をくわえて見ているはずもなかった。
「オラァッ!」
丸太のような太い腕から繰り出されたのは、プロレス技のラリアットのような、いや、ようなではなく、ラリアットそのものだった。左腕から放たれた技は、リオの喉元に、深々と突き刺さる。
「ぐっ……げっ……!」
「アルティロイドといえど、不意の一撃に、人体急所を狙われれば、俺のようなヒューマンの攻撃も、ちったあ効くようだな!」
普通の人間ならば、恐らくは首の骨が折れて即死に至るか、あるいは深刻な呼吸困難に陥るだろう。
アルティロイドであるリオに、どの程度の威力が伝わっているのか、それはわからないが、間違いなく小さなダメージは、与えられたはずだ。
そして、これによって、僅かながらの時間稼ぎは、完了した。いくらアームの弾速が遅いといえども、およそ三秒も経てば、標的にたどり着くのは、容易いといえるだろう。
「な、っめるな! 虫ケラッ……!」
リオは裏手で、カルマンを殴り飛ばした。体術は得意そうに見えなかったが、なかなかどうして、その攻撃は手刀のように、鋭いものだった。
防御も回避も間に合わず、カルマンはなす術なく飛ばされたが、
「へっ……逃げる手間が、省けたってもんだ」
結果的には、良かったのかもしれない。
ラリアットの攻撃特徴から、大振りの一撃の為に、威力は高いが、攻撃硬直の大きさが難点だった。それ故に、カルマンが砲弾の威力圏内から、逃げる事はほとんど無理に近かった。
リオの手刀と、砲弾の威力、どっちが強いかはわからないが、結果オーライとして考えなければ、やっていられない、と考えている。
「それで貴様が死ぬはずはないと思うが、一矢は報いたつもりだ」
そして、ボウリングの球のような砲弾が、リオに直撃する。発射音よりも大きな爆音と共に、視界を一瞬で奪う砂埃、皮膚を焼かんばかりの、熱風が辺りを支配した。
ティアナは、闇の騎士の恐ろしさというものを、今正に肌身で感じていた。
先程までの優勢が、まるで嘘のように、全ての攻撃がクリッパーに通じない。小回りで攻めても、速度で攻めても、闇の騎士は全ての戦法を、その名の通り、闇に飲み込んでしまうようだった。
(――強い。この人は、今の私が戦っていいレベルの人ではなかった……)
後悔してもしょうがないのは、重々わかっている。どのみち、仕掛けてきたのは向こうであり、逃げられる戦いではなかった。それに、この時代の流れの中で、城国と戦うと決めた時点で、避けては通れぬ道だ。
ただ戦った時期が悪かったというべきか、もう少しでも、ティアナが経験を積み、戦闘力の底上げができていれば、倒せないまでも、もっと良い勝負はできただろう。
「どうした、来ないのか?」
闇の騎士――クリッパーは、まるで分厚い壁のようだ。それも相当な。
相対した瞬間から、その威圧感は感じていたが、それはクリッパーという壁の、断片的なものしか感じられていなかったようだ。そしてその壁を、惜しげもなく出してきた現在、その威圧感の壁は、ティアナを押し潰さんばかりである。
「来ないならばこちらから……、行くぞっ!」
巨体を奮わせ、襲いかかるクリッパー。速度自体は、そこまでアップしたわけでもないが、見えない何かに、ティアナは対応できず、苦戦を強いられている。
つい先ほどまでのティアナならば、自らの足を使い、相手との距離をとるという、選択肢を選んだだろう。それは肉体的にも、精神的にも、余裕があったからこそなるものだ。
しかし、今のティアナには、その余裕がない。それまであったはずの余裕は、クリッパーによって、根こそぎ削がれてしまっていた。僅か短時間の出来事だが、れっきとした事実である。それだけ、闇の騎士――クリッパーを落とすには、相応の実力と経験が、必要だという事だ。
そして、ティアナはクリッパーとの戦いにおいて、やってはいけない事をやってしまう。
「つあっ!」
「うっ……!?」
横なぎに振られた、大鎌ソウルイーター。ティアナは、それをヴェルデフレインで、攻撃を防御してしまった。
通常ならば、攻撃を防御する行為は、決して間違いではない。きっちりと防御していけば、勝機は必ずめぐってくるからだ。
だが、クリッパーの攻撃は、防御してはいけないのだ。その理由としては、クリッパー特有の怪力があり、仮に防御しても、その防御力よりも強い怪力をもって、壁を容易にこじ開けてくるからである。
持ち前の怪力。防御技量の巧さ。肉体のタフさ。これが、クリッパーの強さの根源だ。アルティロイドの中では、速度が遅いが、それを補って余りある能力を、備えているからこそ、最強のアルティロイドと呼ばれた、火の騎士と双璧を成せたのである。
そして、禁断の防御をしてしまったティアナは、何故それが禁断なのかを、身をもって体験する事になる。あまりの怪力による、攻撃の衝突により、ヴェルデフレインは、ティアナの手からすっぽりと抜ける。ティアナの握力と、クリッパーの力では、まるで大人と赤子である。
「うあっ……!」
咄嗟の判断。ヴェルデフレインが、自らの手から逃げたと見るや、ティアナは後方へ飛び、来るソウルイーターの攻撃を、回避するべく行動する。
だが、クリッパーほどの騎士ならば、武器を飛ばされた相手が、次にどういった行動をとる事など、手にとるようにわかるはずだ。後方へ飛んだティアナを、追撃するかのように、クリッパーも力強く前進する。
「……温いな、やはり火の騎士には、遠く及ばん」
その言葉と共に、その肉体で体当たりをせんばかりの勢いで、更なる前進をする。
(体ごとぶつかってくる気だ。……防御! ――う、腕が……!?)
防御による衝撃に、痛みを感じる間もなく、麻痺により感覚のない両腕。自分の腕ではないように、だらりと垂れ下がる。
「その柔な骨ごと、粉砕してくれる!」
その屈強な肩口から、ティアナの胸元目掛けての、ショルダータックルにより、肉と肉、骨と骨がぶつかり合った、鈍く気持ちの悪い音が、一瞬聞こえてくる。
これは間違いなく、ティアナの胸部の骨を砕き、内臓を最悪、破裂させているだろう。
大きく飛ばされた肉体は、まるで交通事故の演習に使われる、哀れな人形のように、無造作に大地に放られた。そのままぴくりとも動かず、致命傷を受けたのだと、素人でも容易に想像できてしまう。
「……立たぬか。呆気ない最後だったな」
クリッパーは、何の感慨も見せず、ティアナを見下していた。勝って当然であり、相手はそこそこの善戦をした。
――だが、その程度だ。
クリッパーの経験という名の、データベースには、善戦したからといって、少しは気持ちを動かしてやる、というものはない。ただ冷静に冷徹に、機械のように相手を倒すまでだ。
ただ一人の騎士を除いては――。
(あれ……私、どうしちゃったんだろう……?)
あまりの出来事に、ティアナの意識は完全に、ぶっ飛んでしまっていた。
予想を遥かに越えた、クリッパーの怪力。黒騎士の電光石火の速度。ラティオの息を飲む弾幕。この世界には、自分の常識を越えた戦士達が、あまりにも多すぎた。
自惚れていたわけではないが、ティアナ自身も、幼い頃から師匠と尊敬する、カルマンの言い付けをしっかり守り、来る日も来る日も、修行に明け暮れ、少なからず自信という名の、実力は身に付けていたつもりだった。
「うっ……うぅ……」
誰にも聞こえない、呻き声のような嗚咽を漏らしていた。両方の目から、溢れ出てきているのは、隠しようのない涙だ。
攻撃され、肉体に刻まれた痛みによる涙ではない、自信をもってやってきた事が、まるで通用しない無力感に、涙を流しているのだ。
物心つく前より、師匠――カルマンに聞かされていた、城国の傍若無人な行い。カルマンも、城国との戦いにより、多くの戦友を亡くしたと聞いていた。それどころか、今という時でさえ、城国に地上の人々は弾圧されているという。
幼いながらにティアナは、自分も力をつけて、弱い人達を守らなければいけないと思っていた。その為には、その力が必要だ。だから、ティアナはカルマンの言い付けを守り、戦える力をつける事を、純粋に願い努力し続けた。
そして時は流れ、旅立ちの日。シンラとの出会い、黒騎士やラティオとの戦い、現在――。世界を見る度に強くなる想いとは裏腹に、戦いには負け続け、付いてこない結果。人よりは強いといっても、更なる強さを持った戦士への、その無力感だ。
(勝ちたい……勝たなきゃ……っ!)
頭の中では、そんな言葉をひたすら呟いている。誰の耳にも届かない、ティアナだけにしか聞こえない。
だからこそ止まらなかった。ラティオの時と同じ、純粋に勝ちたいと望んでいるが、その一方で何か黒いものが、ティアナの胸中を支配し始めていた。
まだ誰にも気付かれない程度だが、ティアナの身体を、桃色の幕が覆い始めている。ティアナの意識が途切れていき、肉体の痛みは消えていく。
(勝つ、勝つ、勝つ、勝つんだ……!)
これは、本当にティアナ本人の、意思なのだろうか? ただ勝ちたいという、強さも弱さもわからない、そんな意思しか感じられない。
ラティオの時と、同じものだ。いや、ラティオの時よりも、それは強く、纏われる桃色のオーラも、力強く輝いていく。
「な、何だ……!?」
ティアナの身体が、桃色のオーラで輝いていく。ついに視認できる程になり、その異変にクリッパーが気づく。
「このオーラ色は……まさか……!」
桃色のオーラを纏う少女。これにはクリッパーの中で、警告が鳴らされる。
十五年前、自分とリオ、そして火の騎士ティーダをもってしても、止められなかった悪魔の存在だ。
肉体のダメージが、回復したティアナは、ゆっくりと起き上がり、目の前の男を睨み付けた。
「くっ……!?」
睨み付けてくる少女に、クリッパーは恐怖を感じた。とてもさっきまで戦っていた少女ではない、まるで別人で、感情を見れない。
(勝つ……勝つ……勝て……いや、殺せ……!)
そこに優しいティアナという、人格はない。今あるものは、全く違うティアナだという事だ。
完全に立ち上がり、クリッパーを正面に見る。大きなクリッパーよりも、小さくか弱いティアナなのに、何故か大きく見えてしまう。
その存在感もそうだが、纏うオーラの量も、大きさも、時間の経過に比例して増えていく。そして黒い思念も――。
いつ爆発しても、おかしくない爆弾。それがクリッパーの目の前にある、突如出てきた現実である。
(――駄目だよ)
これはティアナに聞こえた声だ。その二つの耳で、聞こえたわけではない。これはナチュラルに、クリアに心に響く声だ。
まるで自分が自分に、言葉を放つように……。