25,赤に染まる蒼
刺されていた傷口から、大量の血を流し、その場にティーダは倒れる。あまりのダメージに吐血までした。
セレナに仕掛けられた策略。その氷結爆弾の威力は、人間ならば一発で、その身を爆散させられていただろう。なまじ防御力が人間よりも高い事が、威力を流す事もできず、体の中で留まってしまった要因だろう。
「痛いでしょう、兄さん? 大丈夫、すぐに楽にしてあげますよ。……そういえば、最強のアルティロイドの兄さんを倒せば、私が最強になるのかしらね?」
既に勝ちを確信した為か、セレナは戯れている。生死の問題は無く、如何にして殺そうか、そんな事を考えていた。
「とりあえず、先に言ったように、いたぶり殺してあげようかしら。このセレナに逆らった罪は、兄さんといえども償ってもらいます」
言い終わると同時に、セレナは死に体になっているティーダに襲いかかる。
再び、失血により意識が遠のいているが、意識とは関係無く、体がなんとか反応し、セレナの攻撃を防ごうとする。
「構えだけとったって!」
そんな死に体の男が、まだ戦闘体制を維持しているのが気にくわないセレナは、力任せにトライディアを振るう。力任せといっても所詮は女の腕力だが、力の抜けている男を吹き飛ばすには、充分すぎる威力を持っている。ティーダの体が一回でも激しく動くたびに、鮮血が飛び散る。
「こうなっては最強のアルティロイドも、最弱のアルティロイドですね。……しかし、これだけ血を流しておきながら、よくやるものです」
今のティーダには、セレナの言葉の半分も聞き取れていない。失いかけている意識を、繋ぎ止めているのがやっとの状態である。皮肉にもセレナと初対峙した時と、ほとんど同じ状況になった。違うところは、あの時助けてくれた仲間は、今は絶対に来ないという事のみである。つまりは絶体絶命の状態である。
「……言葉を喋っている余裕も無いのに……なのに戦いの反応はできる、貴方はプロよ。……いいえ、貴方は戦闘における殺人鬼」
淡々と述べた。無表情に、感情を込める事無く。
「といっても、これから死ぬ男に、有り様の哲学を語ったところで、何の意味もないわ。死ねばただの肉塊だもの」
セレナは、氷の棘を人差し指に形成し、それを投げつける。氷の棘は、ティーダの右肩に命中し貫通していく。
「――ぐぅ、っ!」
右肩に突然の痛みが走った事により、失いかけていた意識が一時的ながら戻る。
(……くそ、ほとんど落ちていた。体が鉛のように重く、意識が繋いでいられない……数多くの実戦を経験してきたが、初めて経験する。……これが、絶対的な死か)
自分の体が、自分の体と感じる事ができないでいる。ただひたすらに重く、それでいて何時でも軽くなれる。拷問と呼ぶには生ぬるいが、早く楽になりたい、そう感じさせる。
だが停止しかけている命の中で、ただ一つだけわかっている事があった。それは、楽になるという事は、自身の体が死を受け入れるという事だ。ティーダには、それを受け入れる覚悟もあった。最強のアルティロイドという肩書きにも、何の未練も無い。
――しかし理性がそれを受け入れようとしても、本能がそれを拒絶していた。
(……耳鳴りか、雑音が酷い。死の間際には音が無くなるものかと思ったが……いや、誰かの声、か。さっきから俺を呼んでいる)
ティーダは、その雑音がやかましく感じている。その雑音がティーダの意識を、ギリギリのところで止めていた。その雑音の正体が知りたくて、ティーダは残された神経を集中させている。
「――死になさい」
動かないティーダだが、依然として意識を保ち続けている。そんな動かない相手でも容赦なく、セレナはトライディアをティーダの左肩口へと突き刺した。突き刺したまま持ち上げると、宙づりになり、動かないティーダを眺める事ができる。
「……何故、もう致死量のダメージを与えたはず、なのに何で兄さんは生きているのっ!?」
セレナの言葉通り、ティーダの体は既にボロボロと形容するには生ぬるい程の傷を負っている。中でも氷結爆弾による傷跡を中心として、即死に至る攻撃を受け続けている。
「こんな……喋れもしない男を殺す事もできないなんてっ……! 屈辱だわ、もういい、心臓を一突き……それでお終い。もうこの殺戯曲も飽きてきたわ」
セレナはトライディアを振るって、ティーダの体を遥か上空まで投げ飛ばす。そして、槍の刃を立てて、心臓に狙いをつける。
「さようなら、兄さん。そしてこれで、デュアリスは幸せよ……うふふ、あーはっはっは!」
――上空に放り投げられながらも、ティーダはなお雑音に意識を集中していた。
(――!)
(……何を、何が聞こえるんだ? 何も聞こえない)
(――ダッ!)
(……雑音……いや、声、か……。駄目だ、わからない……意識も、いよいよ無くなってきた。もう……終わり、か……)
(――ティーダ!)
意識が完全に絶たれようとした瞬間、それは聞き取れた。自分の名を呼ぶ声に、今一度、ティーダは意識を繋ぎ止める事に成功する。
(誰だ……誰が、俺を呼んでいる?)
(――ティーダ! ――――駄目、死なないで! 生きて、生きて帰ってきて!)
それは、その声は確実に、ティーダの意識に干渉してくる。そしてその声の正体を理解した。
(そうか……あの、馬鹿……。こっちは、死んで楽になりたいってのに……悪魔みたいな注文を、出してくる……もんだな)
――ティーダの意識は、覚醒した。
「……俺は……まだ死ねないっ!」
「……なっ!?」
ただ落下して、完全なる死を待つだけだった肉体。その肉体は、再び活動を始め、空中で体制を整える。しかし差し出されたトライディアを避ける事は、既に不可能な位置にあった。
「また悪あがきをっ! そんなに最強の二文字が恋しいか!」
「――違う! 俺は、生きるっ、生きて、帰って……こんな俺を……待っていてくれている奴がいるんだっ! ――うおぉぉぉっ!」
トライディアを避けきれないと判断したティーダは、わずかながら体をずらし、左手でトライディアの刃を受け入れる。掌から肩まで、その長槍トライディアが突き刺さった。
「なっ、馬鹿な!? 何でそんな真似ができる!」
「……死ぬわけにはいかないからだ。その理由を思い出せた。……お前を倒せるなら……左手の一つぐらい安いものだ!」
ティーダは、トライディアを力強く握りしめた。
「くっ、な、何を!?」
「ここで……お前を斬る」
その言葉に嘘偽りは無かった。今までは気絶させる事を念頭に戦闘をしていた。悪い言い方をすると、手抜きをしていたのだ。
だが意識が覚醒したとはいえ、冷静な思考回路が欠如している今のティーダは、ただ幼い頃からしてきた事を、本能的に行っている。
――そう、人を斬り殺すという事を。
そして、深紅のヴェルデフレインを、無情にセレナに降り下ろす。
「くぅっ、このぉ!」
咄嗟にトライディアを手放し、ヴェルデフレインを防ぐ為に、両手に氷の刃を形成する。しかし、氷の刃は、ヴェルデフレインの前に硝子が砕けるように、粉砕させられてしまう。
(……ま、まさか、デュアリスの体がある限り、兄さんは殺す気で、私を攻撃してくるはずは無いはずなのに!)
セレナはティーダを見やると、そこには圧倒的なまでの存在感を示す、最強のアルティロイド、火の騎士がいる。
「――うぅっ!」
セレナは初めて恐怖した。自分とは全く違う殺意。いや殺意と呼べるのかさえもわからない。ただ一つ言える事は、ただ怖さを植え付けられるという事のみ。
「……ぐっ……!」
気力で意識を繋ぎ止めたものの、体のダメージは既に普通の人間ならば致死のダメージ。ティーダは力無くその場に座り込んでしまう。
(一瞬……だけじゃない! そうよ、相手はもう死に体、押せば勝てる、殺せる相手じゃない!)
(ここまで追い詰められるとは……もう完全に認めよう。目の前にいる騎士は、今まで出会った中でも、屈指の実力者だ。もう……デュアリスを助ける為になど、言ってはいられない。この戦いに全力を尽くす! それが、ちっぽけな俺にもできる最大の行動だ)
ティーダもセレナも、お互いにその機を伺う。
そして動き出したのは、ほんのわずか一瞬の事だった。
「先手で行かせてもらうわ! ニードルアイス!」
トライディアが、まだティーダの左手に刺さりっぱなしの為、代わりの武器として、右手に氷の刃を形成する。そして氷の刃を用いて、まるで雨のように突きを繰り出す。
ティーダも残った右手に持つヴェルデフレインと、体捌きで、攻撃による被害を最小に押さえながら防御していく。
(――やはり、もう驚きはしないわ。この男は死に体でも、しぶとく生き残る。だから、もう完全に息の根を止めるまでは、驚きはしないわ!)
「グランドニードル!」
「――っ!?」
右手の氷刃の突撃と、左手による飛び道具による攻め。
ティーダの足元からは、無数の氷の棘が形成され、襲いかかる。――が、全ての棘は、当たる前に消滅する。ティーダは、火の聖獣エンドラの力を使い、自身の周りにオーラを纏っていた。
(この程度の揺さぶりでは、崩せないって事ね。――なら、これはどうかしら?)
セレナは、ティーダの左手に刺さったままの、トライディアに手をかけ、それを無造作に、そして乱暴に引き抜いた。
「――ぐっ、ああぁっ!」
もう残っていないと思われたが、左手からはおびただしい量の血が流れ、耐えがたき激痛が襲う。
「まだよっ、まだこんな程度じゃ、貴方は死なないんでしょ!?」
セレナの指先に、白い光の球体が見える。
「バスタードアイス。外部からでも、そのダメージは相当なもののはずよ!」
光の球体の正体は、ティーダの刺し傷の中で爆発した氷結爆弾。今度は目の前で炸裂し、ティーダの胸部に無数の小さな氷針が刺さっていく。そしてその威力と、その威力を耐えるだけの力が残っていない為、大きく後方へと吹き飛ばされる。
「あーはッはッは! どうです、氷結爆弾の味は!? 内部ならその名の通り爆弾に、外部ならば散弾のようになり、相手にダメージを与えるのです!」
そんなセレナの高笑いも、耳に入らなくなってきていた。
(……凄い奴だ。……素直に、そう思う……。もう、俺に小細工を、する、余裕は……無い)
剣を支えにして、何とか立ち上がってみせる。しかし立ち上がったものの、もう感覚という感覚が、全く機能していなかった。
(セレナ、は……どこだ)
見えなくなった視界で、セレナを捜す。
(――セレナは、こっちです)
「……だ、れ……だ?」
突然の呼び掛け。声にならない声で、問いただした。
(私です、兄さん)
「その声――デュアリス、か……?」
(そうです、兄さん。デュアリスです)
「そう、か……最後の最後で……お前の声を聞けるとは、な。……それで、セレナの位置が……わかるんだな?」
(――はい。私が、兄さんを導きます)
ティーダは、まるで何かに包まれるように、体を支えられると、不思議な力に体の向きを変えられる。
「……こっちに……セレナが、いる……ん、だな?」
(はい、このまま真っ直ぐ。セレナはそこにいます)
「……だか、見ての、通り……今の、俺には……ただ力任せに、剣を、振る……事しか、できない、ぞ?」
(大丈夫です。それでも、兄さんは勝ちます。……私も頑張りますから)
励ますように、言葉をかけるデュアリス。ティーダも不思議と、雀の涙ほどだが、気力が回復した気がしていた。
(――今です! 兄さん、走って、力の限り!)
「――うおおぉぉぉぉ!!」
残った体力と気力を、気合いの掛け声と、その斬撃に回す。
「最後の行動が、無様に走ってくる事だけだなんて……拍子抜けだわ、兄さん! なら私は兄さんを最大に苦しめた氷結爆弾で、今度こそ終わりにしてさしあげます! 最大出力です、死になさいっ、ティーダ!」
(――そうは、させないわ、セレナ!)
「何っ!?」
氷結爆弾を投げつけようとしたセレナの体は、投げる前に謎の硬直が起きる。
「デュアリス!? そんな馬鹿な、私が表にいる間に、デュアリスの人格が覚醒するなんてっ!」
(もう、終わりにしよう……セレナ。貴方に、兄さんを殺らせはしない!)
「……ふ、ふざけるな、デュアリス! 離せぇっ!」
セレナの体は強制的に動かなくなり、その体に人格交代が起きる。髪の色は銀髪から、青髪に変わる。
「ごめんね、セレナ。貴方は悪くない、これは私の意志……そして、貴方もまた被害者なのだから……」
(デュアリス、よしてぇ!)
――次の瞬間、ティーダの剣が、デュアリスの体を斬り裂いた。
「――デュ、アリス? そんな、馬鹿な……」
ティーダの目の前には、自らの手で斬ったデュアリスと、美しいと感じさせる、真っ赤な鮮血が見えていた。