26,神に愛されぬ生命
――氷の銀世界に栄える、一面の赤。
その中心には、深々と斬り裂かれたデュアリスが横たわる。おびただしい出血量が、否応なしに感じさせる。「もう助からない」と。
「……は、ぁ……すぅ……うっ、ゲホッ……ゲホッ……!」
小さく小さく呼吸をして、咳と同時に血を吐き出す。
「……デュア、リス。何故……何故なんだ……?」
自分が斬ってしまった。デュアリスの血がベットリとこびりついた、深紅の剣ヴェルデフレインを握っている。その剣は心なしか、震えている。
「――兄、さん」
もう喋る事さえ辛い体だったが、デュアリスはかろうじて言葉を出す。
「何で……お前が、そんな事を……」
「…………兄さんを、助けたかった……からです。兄さんには、死んで、ほしくなかった……」
「馬鹿なっ、こんな事をすれば……お前が死んでしまうのは……わかっていたはずなのに……」
自分自身の、あまりの不甲斐なさに、強い握り拳を作る。その手からは、血が滲み出していた。
「――良い、んですよ。……兄さんの……為なら……」
「デュアリス……」
静かに目を閉じ、少しずつその活動を止めていくデュアリス。真っ赤な血とは裏腹に、肌の色は明確に白くなっている。
「……セレナに、支配……された、意、識の中で……暖かな……光が、私を導いて……くれ、ました……」
ティーダは続けさせた。もう助からないから、悔いを残させず、全ての言葉を聞いてやろうと。それが、自ら手をかけてしまった、自分への僅かな戒めになる。「これは逃げだろうか?」と、ティーダは自問自答する。
「――暖かな、光、か」
「まるで……まるで……お母さん……みたいな……優しい……暖かさ……」
ティーダの言葉は、もう耳に入らないのか、デュアリスは淡々と自分の言葉を続けた。
「母の、暖かさ……」
「はぁ……兄さん……いますか?」
虚ろな目で、ティーダを捜す。もう既に、その目は働いていない。
「いるぞ、ここに!」
ヴェルデフレインが落ちた。もう動けないデュアリスの手を、ティーダはその存在を確かめるように握る。
「……あぁ、兄さん……。兄さんの、手も……暖かい……」
その言葉に胸が痛む自分がいた。
幾人もの人の命を奪った、この汚れた手に、暖かい、と、目の前の少女は言うのだ。
「……セレナ、を……責めないで、あげて……ください……」
「セレナを?」
実際、全く動いていなかったが、デュアリスは頷いた。
「……あの、子も、被害者……。戦わない……人を殺さない……私の……為に……生み出され、た……人格…………。セレナ……が、いな……ければ、私は……とっくの……昔……うっ、ゲホッ、ゲホッ……!」
「デュアリス、もういい……誰も、誰もセレナを責めたりはしない!」
最後の吐血だろうか。苦しみを越え、その身には安らぎが訪れる。
――そして、デュアリスの体は淡く光だし、粒子が飛び始めた。
「――これは、一体何だ!? デュアリスの、体が、消えていく……」
「………………神様に、愛されて……いない、から……。……私達……違法……から、神様……こ……大地……で、死、なせてくれない……ょう、ね」
もう言葉すら届かなくなっていた。ティーダはデュアリスの消えそうな言葉を、懸命に拾い集める。
(――神に愛されていない命)
「………………兄さん」
もう出ていない声。聞こえない声で、ティーダを呼ぶ声。
ティーダも、その声を聞き取る為に、デュアリスの口元へ耳を傾ける。
「――愛しています。――誰よりも。――生きてください」
「デュアリスッ!」
デュアリスの体は、いや命さえも、全ては光の粒子となり、天空へと還っていく。
そこには、肉体も、おびただしいまでの血痕も、完全に消え去っていた。
唯一そこに残されたのは、清蒼の槍トライディアのみである。
「……神は、俺達をこの大地に眠らせてはくれないのか……。……デュアリス」
光の粒子が昇っていった天空を見上げる。すると、何かが降ってくる。それはとても小さな物だった。
「……これは?」
その物は、真っ直ぐにティーダに向かって落ちてきた。それを受け取り、手の中にある物を見ると、とても見慣れた物がそこにあった。
「こいつは……ティオの」
それは赤いゴム紐。そうティオとデュアリスが交換したゴム紐である。
(――それを、ティオという子に返してあげてください。何年かかっても良いです。いつか、必ず――)
それは天空から聞こえたデュアリスの声だったのだろうか。
空は憎々しい程に晴れやかだった。――戦いは終わった。
自身の傷も癒えぬまま、ティーダはザードリブへと帰還する。道中にはレジスタンス、城国軍、合わせて何人いるのかもわからない程の死体と重傷者が目につく。
(――規模の大小はあるが、サンバナ攻防戦時と全く一緒だ。……デュアリスという身内の命が亡くなって、初めてわかった。なんて……馬鹿な事を!)
戦いにおける勝敗、怪我人死人の有無、その戦いにおける総被害、全てはティーダにとって無関心な、関係の無い事だった。
しかし今、初めてこんな戦いにおける虚しさのようなものを、その身に体験している。いるのが当たり前で、いなくなってわかる寂しさ。
(デュアリス……俺を生かしてくれた、お前は……俺にどうすれば良いと思う?)
心の中での問いかけ。だが当然、その問いに答えてくれる人物はいない。
「そんなに……甘いものではない」
自分でそれを実感させる為に、自分に向けて言葉を放つ。
――程なくすると、ザードリブへ辿り着く。内部から、その周辺にかけての混乱は依然として続いている。兵士の家族の者だろうか、女と子供は泣き叫び、散り逝く命へ願いもしない別れの言葉をかける。ザードリブの近くにも、大きな穴が掘られ、そこには敵も味方も関係無く、大地に、神に、肉体を還すべく別れの儀式が営まれている。
(――俺達は、どんな死に方をしても……神に許されず、大地に眠らず、光となり散る存在。……その先に待っているのは、天国か地獄か……あるいは完全なる無か)
今まで考えた事も無かった、死への哲学。初めて見た同じアルティロイドの死は、ティーダの心を激しく揺さぶっている。
「――ティーダッ!?」
突然、見当違いの方向から、あまりの驚愕を隠せない声で自分を呼ぶものがあった。
振り返ると、見慣れた桃色の髪がそこにある。見慣れた服装がそこにある。見慣れた、少女がそこにいる。
「……そうか、案外と、お前だった……のかもな」
「えっ……!?」
その顔を見ると、ティーダは突然の安堵感と戦いによる激痛により、意識が急速に離れていった。
「ちょっとティーダ!? しっかりしてよ、誰か、誰か来てください!」
急に倒れたティーダに、ティオは慌てて駆け寄り、出来る限りの応急手当てをする。しかし素人目で見ても凄惨な怪我の数々は、応急手当て程度では、焼け石に水なのは一目瞭然であった。
ザードリブの人々に運ばれ、第一級救急患者として、ティーダはリコオの手術を受ける事になる。ソリディアは軽傷も無く帰還。カルマンも後日意識を取り戻した。
この戦いによる被害数は、ザードリブ近隣のレジスタンスグループ「ルコード」の壊滅。その他、三つのレジスタンスベース半壊。死者、敵味方を合わせて現在確認できるだけでも、四百人以上を記録している。氷結世界によって氷に覆われたシュネリ湖も、術者が消えた事により、少しずつだが元の姿に戻りつつあった。
――そして、戦いから五日が過ぎた。
「凄いな……もう何年も医者をやっているが、こうも治りが早い奴を、俺は見た事が無い。いや、お前の怪我は治る治らないのレベルではなかったわけだが」
わずか五日で、ティーダの怪我はほぼ完治していた。この時点では既に、右胸を刺されたカルマンの方が、よっぽど重傷患者である。
「ティーダ……とかいったな。お前、人間ではないだろう? 隠しても無駄だ。隠せるわけがないだろう、普通の人間ならとっくに死んでる怪我だったんだから」
リコオの問いには、ひたすら無言を貫いている。そんなティーダの態度に、軽い溜め息をつきながらカルテに目を通す。
「――右腹部に貫通重傷、プラスその腹部内による爆発。左手から左肩にかけて槍が刺さった事による、腕の酷い裂傷。同じく左肩口に槍による刺し傷。次いで右肩に貫通傷。その他、切り傷などがチラホラ、と……普通なら死んでるって、仮に生きてても、まだ意識不明で床についてるのが当たり前だよ!」
半ば呆れ口調、若干の苛立ちを込めて、雑に書かれたカルテの内容を読み上げる。
「……そうだな、人間ではない……と、だけ言っておく」
「人間では、ない? その言葉を待っていた割に、実際に聞いてみると、嘘臭く物事を見てしまうものだな」
「そうだろうな。それが人間として正しい行動だ。……世話になった、おかげで良く治った」
「こちらこそ、良い仕事をさせてもらった。今度、ここへ来た時には、特別待遇で診てやるよ」
軽い握手をした後、ティーダはリコオのテントから出る。外は眩しい程の快晴。セレナが構築した氷結世界も、ようやく半分以上が溶けていた。あとは時間の問題だろう。
辺りを見回すと、初めて来た際の、殺伐とした雰囲気は消え去っていた。最も、後の祭りというべきか、悲しみだけは滲み出ていた。しかし活気を取り戻しているところを見ると、レジスタンスというのは何処も、逞しいもののようだ。
「――ティーダ! もう大丈夫なの?」
ティオは相変わらず心配そうに、ティーダの容体を聞いてくる。
「あぁ、この通りだ。それで……わざわざどうした?」
「予想よりも長くパーシオンを空けすぎたから、酷な話かもしれないけど、そろそろ帰還するって。ソリディア兵士長が」
「……そうか。もう少し此処を見て回ったら合流する」
ティオは、そう告げられると、客人用に用意されたテントへ駆けていく。
「あ、おい!」
駆けていくティオ。いや、そんなティオの桃色の髪を見て、ふと思い出す。ズボンの右ポケットに手を入れてみると、確かにそれはあった。一気に引き抜くと、デュアリスに託された、赤いゴム紐が現れる。
(良いんだな、デュアリス? これを返さずに、お前の墓前に飾る事だってできるんだぞ?)
(――それをデュアリスが望んだのかしら?)
突然、自分の頭の中に響いてくる声に気がつく。この声は知っている声、氷水の騎士セレナだ。
(一瞬……デュアリスが来たのかと思った)
(根本的な声は一緒ですからね。……何にしても、そのゴム紐は、必ずあの子に渡してくださいね? 私はその監視役に来たのですから)
(お前はデュアリスと共に消えなかったのか?)
(こんな憎まれ役の私は、とっとと消えてほしいと? うふふ、残念ですね。私は元々はデュアリスの人格の一つではないです。植え付けられた別物の人格。……最も、私はデュアリスに寄生し続けて長い、私の人格もまたデュアリスにある。恐らくは長くは、この世界に魂を縛れないでしょうね)
(……そう、か。お前に殺されかけたが、いなくなってしまうのは寂しいものだ。――確かにこれは渡す)
ふと視界が現実に戻ると、心配そうに覗き込むティオの顔が見える。
「ティーダ、本当に大丈夫なの? やっぱりお願いして、もう何日か休ませてもらえるように、頼んでみようか?」
「いや、本当に大丈夫だ。それよりも、お前に渡すものがある」
「渡す、もの? 何かな」
手に握ったものを、ティオの目の前に広げる。それを見てティオは「えっ?」と、驚きと困惑の入り交じった表情をする。
「これを、どうしても持ち主に返してほしいと頼まれた」
差し出された赤いゴム紐を、ティオは受け取るが、無言でそれを見つめている。
「それを……それを渡してくれたのは、女の子だった。とても優しい、誰よりも優しい女の子だった。俺も……戦場で彼女に救われた」
「そう……その子はね、デュアリスちゃんっていうの。……私の、一生の友達」
「一生の友達……か。そいつも喜ぶだろうな。……戦いの無い、本当の故郷に帰るから、もう多分会えなくなるからって、それを渡してくれるように頼まれたんだ」
「……ありがとう。――私、先に戻ってるから、ちゃんと帰ってきてね!」
ティオの言葉に、適当な返事をして、今度こそ後ろ姿を見送る。その後ろ姿には、悲しさが入り交じった。少なくともティーダには、そう感じられたのだ。
(嘘は、お上手になりましたね、兄さん)
(自分の為の嘘は……誰だって饒舌になれる)
(ほぅ、自分の為と言うのは?)
(デュアリスが、死んだ、と、自分以外の他人に打ち明けてしまうと……本当に死んでしまったと、嫌でも実感してしまうから)
(……なるほど。でも、いつかはその悲しみと向き合わなくてはいけませんよ?)
(わかって、いるよ)
セレナの方を向くと、デュアリスと同じように光輝き、その体が粒子化していく。
(元々、肉体を持たない存在でしたけど、いざ消えるとなれば怖いものですね)
(セレナ……お前は)
(この光の先に待っているのは、天国か地獄か、はたまた無か。待っている未来がどんな姿でも、デュアリスは私が守ります。貴方は安心して、今を生きなさい。あっちで……デュアリスと共に待ってるわ)
言 い終わるのと同時に、セレナの存在も、光となり天空へと登っていった。
(デュアリスを、頼んだぞ。セレナ……お前なら安心して任せられる)
そして、ティーダもまた、パーシオンという今の日常へと帰還していくのだった。
――そして、そんな悲しみとは関係無く、最大の戦闘が、刻一刻と近づいていたのだった。




