このクソビッチが!
「夕月ちゃん。その男達は誰なの? 僕は知らないんだけど」
「何回言えばわかるの? サークルの友達だよ。男だけじゃないし、そもそも君には関係ないでしょ」
「僕以外の男達と、なんで、ばばばば晩御飯を? 最低……最低だよっ!」
「……」
いや、そもそもなぜお前はここにいる? また尾行してきた……くそ。いい加減にしてくれ。まさか、たった一度だけ昼食を共にした男が……ストーキング行為に走るとは思いもよらなんだ。
東京都新宿区。明治通り沿いのハンバーガーショップにてサークルの仲間たちとの晩飯中に乗り込んできたストーカーは、現れてから十分以上も私の所有権を主張している。付き合ってもいない。本当にただ、同じ講義をとっているだけの男だ。もっとも、彼氏とやらが私にいたとして、自身の所有権を開け渡す気などはさらさらないがな。
くそっ。言いたい放題言いやがって。いくらガリガリでメガネをかけたチビ女だからって、私はそんなに気の長い女じゃない。
わからせてやろうか!? などと思うより先に口が動いていた。
『お前の所有物になったつもりはないのだが、脳に何か不備があるんじゃないか? 悪いことは言わないから早いところ病院へ行ってこい。でなければ、廃品回収業者に頼んでスクラップにしてもらうといい。どちらかといえば、私は後者をおすすめするよ』
『このクソビッチが!』
——ボカッ
……。
殴られたのか? 私は。
女性経験が皆無とも言える青春を過ごしてきたであろうこの男。第二外国語で偶然隣の席に座り、食事の誘いにたった一度ついて行っただけで、私の所有権を獲得したかの如く振る舞い出した時に処分しておけばよかった。
まさか、サークルの仲間達とハンバーガーを食っているだけで発狂し、挙げ句の果てに殴りかかってくるとは…。
くそっ。二十一年も生きてきて、殴られたのは初めてだが、腹が立って仕方がない。このガリガリに膝をつかせることすらできない威力の拳を振り回してきた、チェックシャツチンパンにはわからせてやる必要がある。
「殴ったな! 私を! おい! 私にも殴らせろ!」
「え——」
「おい! 逃げるな! おい——」
——キキィィィィ、ドゴォン!
……。
クソッ。
……。
せめて……一発く……らい、殴ら……せ……ろ……。
……。
……。
……。
◆
「はっ!」
ここは……どこだ?
目視で四畳程度の狭い部屋。私は木製のベッドに横たわっているわけだが、薄い煎餅のように固い布団は寝心地が最悪だ。四つ足の丸いローテーブルの上にはリンゴとバナナ、それと水差しがあるものの、コップは用意されていない。
覗き窓に鉄格子をはめられた木製の扉を開こうと試みたが、やはり鍵がかかっている。ガチャガチャとうるさい音を立てるだけで、一向に開く気配はない。
振り返ってみて、驚愕した。この粗末な部屋で異彩を放つ全身鏡に映る、ガリガリで三白眼の目つきが悪い女。クソ男を殴り返そうと追いかけたところ、トラックに轢かれ……おそらく死んだはずの、高田大学三年、文学部文学科の小野夕月に瓜二つである。
瓜二つと表現したのは、そのまま受け取って良い。似てはいるものの、微細な違いが現れている。生まれつき薄茶色であった髪の毛は、墨汁をぶちまけたかのように黒くなっており、両腕両足にはガリガリなりに多少の筋肉がついている。そして、形状自体はさほど変わらない顔面だが、その両頬には合わせて四本の刺青のような何かが刻まれていた。
死んだはずの私がなぜ……。
なるほど。これがいわゆる異世界転生というやつか。驚くようなことではない。トラックに撥ねられて、目が覚めた時に見覚えのない場所にいたのであれば、異世界転生というのは、木から落ちたリンゴが地に落ちるが如しだ。
名門私立大学の文学部に所属し、純文学だろうがライトノベルだろうが、片っ端から食い漁り、今をときめく『サブカルクソ女』の称号を欲しいがままにしていた私にとって、異世界転生とは馴染み深いものである。
「ステータスオープン!!!」
……。
なるほど、初めての異世界転生ということで、試してはみたものの、ステータスはオープンできないようだ。なんならチート能力とやらを受け取った記憶もなければ、神に何かを依頼されたなんてこともない。
ふむ。
しかしなぁ。
転生というのは他人の体を乗っ取るのが相場だと思っていたが、もう少しなんとかならないものだったのか。私は自分の顔が別に嫌いではないが、いかんせんこのガリガリだ。
剣も魔法もあるハードな世界で生き残るには、いささか不安が残ると言わざるを得ないだろう。
まあいい。それも問題ではあるが、今は別に考えるべきことがある。
……。
前世……明治通り沿いのマクドナルドの目の前で何やらクソ男を殴ろうとしたこと以外、記憶が曖昧な前世と比較すると、こっちの方は鮮明に覚えている。
私は先ほど、でかいトカゲに引き裂かれた。それも真っ二つだ。上半身と下半身が泣き別れだ。痛みは脳で感じるというが、引き裂かれた瞬間はとにかく熱かった。肉が裂けた、骨が砕けた、なんて順番ではない。腹の奥で何かが弾けた瞬間、全身が一斉に灼けた。
竜といえば火を吐く生き物ではあるが、残念ながら受けたのはただの物理攻撃だ。奴が振り下ろした右前足が、天敵の存在を感知していないヌーの如く呆然と立っている私を引き裂いただけ。それなのに、脳と繋がっていないはずの下半身まで、確かに熱かった。
その熱さが痛みであると理解するよりも早く、体の方が考えることをやめたのか、スイッチが切れたように思考が閉じた。
リアルな死。人間には誰しも平等に受け取れるものがある。それは、一日二十四時間という時間と、一度だけ訪れる死という概念だ。
それを二回……。要は人様の二倍得られる権利を得た上に、なんなら死に関してはまだあと一回許されているというのは、喜ぶべきか悲しむべきか。
ただ一つだけわかっていることがある。
間違いなく私は死んだ。しかも二回だ。
二回も殺された上に牢屋に放り込まれるほどの悪事を働いた覚えはないのだが、何が私をこうさせているのだろうか。
……。
解せぬ。
「172番、時間だ」
外から声がする。おそらく、若い……男の声だ。
「……」
「おい、172番」
まずは状況を整理しなくち——。
——ガチャリ
「出てこい、172番」
なるほど。172番とはこのガリガリの本体のことだったらしい。
「172番とは私のことか?」
「頭でも打ったのか? 他に誰がいるんだ」
ふっ。頭を打ったどころか、身体を真っ二つにされたばかりだ。なんならトラックにも踏み潰されている。
「どこへ行くんだ?」
「闘技場だ。グラディエーターの行く場所なんか一つしかないだろう」
「グラディエーター?」
「バカのふりをしても無駄だ。もう出場は決まっているのだからな」
ふむ。貴重な情報が追加されたな。私は172番。このガリガリの体で剣闘士とは……実に勇敢だ。無謀とも言える。ならば、向かうは闘技場か……となると……。
鉄製?の鎧で身を包んだ男に背中を押され、薄暗い石造りの壁に囲まれた廊下の先にある階段を登る。
私が扉の目の前に立つと、なんらかの力が働き、分厚い扉が開いた。
「行け」
背中を押される。
——ワアアアアアアア
大歓声。
そして。
「グオオオオオ!」
竜がいた。
なるほど。
——グシャ……
気がつけば、私はまた真っ二つになっていた。
解せ……ぬ……。




