第1話 ほら、こっちにおいで
……。
「愛しています……師匠」
「……あ、ああ。まったく……困った弟子だ」
「師匠」
「死ぬ前に……、俺の知らない喜びを……またひとつ教えてくれてしまったな」
「……」
「どうしてくれるんだ……未練ができてしまった」
——マクレインの目から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「……はは。続きは、次の俺に任せるしかないな」
「師匠……」
「だいぶ長く持ったとは思うんだがな……いよいよ……年貢の納め時みたいだ……」
「……」
「……夕月」
「……はい」
「……もう一回。いいか?」
「はい。師匠……愛しています」
何回だって。何百回だって。師匠が望むなら——。
◇
ん〜っ! 今日の朝ごはんも……上出来ですっ! 二日酔いにはやっぱり、貝の味噌汁ですよね。ご飯よしっ。味噌汁よしっ。納豆よしっ。お魚は……綺麗に焼けてます♪
さてさて、師匠を起こさなきゃ。お酒が弱いのに飲みすぎちゃうのは、師匠の唯一の弱点ですね。まったく困った師匠です。
朝ですよー。起きてください師匠ー。
「——師匠……師匠っ!」
「ん……あぁ。おはよう。オノチャン」
「朝ごはん。できてますよ」
「んあぁ。ありがと……うぅ……頭が……」
納豆に貝の味噌汁。釜で炊いた白飯に焼き魚。私が持ち込んだ前前前前世の記憶により、作り出した味噌。稲を見つけて育てると、粘り気のある日本米に似た種類のお米が収穫できた時は驚きました。
人間族の師匠は質素な朝食を好むので、基本的には毎朝米を炊き、魚を焼いて、味噌汁を作る。それが、早朝の自主トレーニング後の私の日課です。
「ん〜。おぉ。今日の味噌汁には貝が入っているのか〜。んまいっ! 二日酔いに効くね〜」
「昨日もいっぱい飲みましたね。師匠っ」
「な〜。蛮族の飲みに付き合うと、いつもこれだよ」
「ドゥラウスのヤツは今度またシメておきますよ」
「ははっ! オノチャンはドゥラウスと仲良しだもんな」
「何を気持ちの悪いことを」
誰があんな蛮族と仲良しですか。まったく。師匠はいつもヘラヘラしているから、ドゥラウス如きに舐められるのですよ。
師匠はヴェルガンド領の次期領主であり、経済の中心を担う『グラディウス大闘技場』の主人。お偉い方のはずなのに、誰にでも「俺のことは気軽にボスと呼んでくれ〜」なんていうから……。もうっ。
……。
舐められるというのは、少し表現が誤っていました。親しまれるというのが正しい表現でしょう。
「オノチャン。今日も朝飯おいしいよ。ありがと〜」
「それは何よりです。師匠から頂いた任務から帰ったら、例の肉料理を作るので、期待していてくださいね」
「おお〜っ! それは楽しみだな。稽古にも精が出るもんだ〜」
「最高の状態で持ち帰りますね!」
「ああ。楽しみにしているよ。焦らず、ゆっくりで良いからな。安全第一だ〜」
「あいかわらず師匠は心配性ですね。私だって、強くなったんですよ?」
「わかってるよ。オノチャンはチビでガリガリの頃から強かったけどな。狂気に満ちた目で、ドゥラウスを睨みつけてたな〜」
「あの頃の話は忘れてくださいっ!」
「よーし。オノチャンに負けないように、俺も稽古するか〜」
「今日は事務仕事だっておっしゃっていたではありませんか。サボって稽古してちゃダメですよ?」
「そうだったか。しかし、オノチャン……おっきくなったな。ほら、こっちにおいで」
——なでなで
「んんっ。師匠……私はもう三十になるのですよ」
師匠は私が幾つになっても子供扱いします。流石にもうすぐ三十になろうとしている女性の頭を撫でるのは、いかがなものかと。ただ、師匠の温かい手に撫でられるのが嫌いでは無い私もいるので、困ったものです。
「いくつになっても俺からすれば、可愛い弟子だよ」
「しょーがない師匠ですね」
「嫌いか?」
「別にそんなんじゃないですけど」
「だったらいい」
「もう」
嘘です。本当は大好きです。この世界に来て右も左もわからなかった私に、住む場所や衣服を与え、闘気の扱いまで教えて育ててくれた恩人を嫌いになる……そんなことは絶対にあり得ません。
◇
師匠は事務仕事があるとのことで、今日の稽古は蛮族のドゥラウスと、獣人族のレオニクス、それと私の三人です。
ヴェルガンド領の将軍はこの二人ともう一人、エルセフィア……ハイエルフがいるのですが、彼女も今日は別件があるとのこと。蛮族と獣人が同僚ともなると、お忙しいのでしょう。頭が上がりませんね。
——カキィンッ!
「ドゥラウス。二日酔い? こんなひ弱な蛮族……勇敢な戦士とは言えないんじゃない?」
「ウルセェぞオノチャン! しこたま飲ませヤガッテ! なんでお前はケロッとしてるンダヨ!」
「ドワーフのウイスキーがあったわけでもないというのに、お可愛いこと」
「ウルセエエエエ! クソガアアアア! 咆哮!」
——メキメキ……バキッ!
——ドゥラウスは蛮族の固有スキル咆哮を解き放った。一般的に咆哮といえば、敵のヘイトを己に向けたり、爆音と威圧により、一時的に相手を動けなくする。その程度のものだが、蛮族の王とも呼ばれるドゥラウスの放つ咆哮は、修練場全体を震わし、破壊するほどの威力だった。
「うるさい。修練場を壊すな」
「ウガッ!」
手合わせの最中に大きな口を開けて『咆哮』なんぞを使うバカの口を下からアッパーカットで閉じてやりました。
「……」
ふふふ。師匠。二日酔いの仇を打っておきましたよ。ドゥラウスは修練場のど真ん中で目を回しておりますわ。
「やるな。オノチャン。しかし、やりすぎるなよ。午後の遠征に支障が出ては困る」
「もちろん。脳を揺らしただけだよ」
「そうか。しかし、よくあのバカみたいに太い首を持つ蛮族の脳を揺らせたものだな」
「バカがデカい口を開けていたからね。閉じてやったんだ」
「まぁ、修練場を壊されても面倒だしな」
「そういうこと」
「やるか」
「うん」
——カキィン!
——レオニクスの剣と闘気を纏ったオノチャンの拳がぶつかる。人間族の中でも特に体の小さいオノチャンだが、彼女ほどの闘気使いともなると、そもそもの体格や身体能力の差などは意味を成さない。
——彼女はこの世界に来た時から常に拳で戦う拳闘士として生きている。それは、マクレイン……彼女の師匠に師事してからも変わることがなかった。
——握れば拳は鈍器となり、開けば手刀は刃と化し、時には敵の武器を掴んで奪い取ることもできる……。リーチの差を補ってなお余りある最強の武器。それが己の拳であると、信じていたからだ。
——現に今も、交差したと思いきや、レオニクスの持つ巨大な剣の刃を左手で掴み、自由な右拳を……。
——ボガッ!!
「グフゥッ!」
「レオニクス大将軍様ぁ。脇腹がガラ空きだよ? 実戦だったら死んじゃうよ? 大丈夫?」
「実戦で……俺の剣を掴むやつなど……見たことがない……」
「じゃあ、私と師匠とは戦場で合わないようにしないとね」
「当たり前だ。仲間に剣を向ける必要などないからな」
「なら、安心だね」
出会った時からそうです。このライオンの師匠に対する忠誠心……いいえ。仲間に対する想いには、目を見張るものがあります。別に直接褒めてあげたりはしませんが、そうですね。前前前前世で猫を虜にしていたおやつの開発を急いであげても良さそうです。
もっとも、私に残った前前前前世の記憶など……死んだ瞬間の事と、おバカな友人たちとの思い出。それと、本から得た知識くらいなので、猫のおやつの作り方は……頑張って考える必要がありそうですね。
「いい汗かいたね。バカを起こしてお昼にしよ」
「うむ。起きろ。ドゥラウス」
「ンゴっ! ぐぬぬ。またやられちまッタカ。クソッ。初めて会った時は俺の威圧で頭も上げられなかったガキがここまで強くナルトハ……」
「ドゥラウス。それ、前回も言ってたよ」
「ぐ。そうだったカ!? グハハハ! 強い仲間が増えるのはいいコトダ! 行くゾ! 勇敢な小娘ヨ!」
「もう小娘って歳でもないんだけどね」
出会ったその日にこのバカは、闘技場の貴賓席から私に威圧をぶつけてきやがったのを今でも覚えています。
あの時は私も若かったのでね。「強くなったら絶対にぶち殺してやる」なんて誓ったのを覚えていますが……まぁ、時々ボコボコにしてやるくらいで勘弁してあげてます。優しいですね。私。
◇
パンにスープ。それからりんごと焼いた肉。特に美味しくもなければ不味くもない身体を作るためだけの昼食。将軍やら闘技場主の一番弟子やら、偉そうな肩書きがあろうと、質素倹約と言わぬまでも、無駄な贅沢は不要というのが、師匠の考え方です。
師匠の経営するグラディウス闘技場の利益が莫大なものとはいえ、この領自体が豊かなわけではありません。私の転生した体の主……『172番』のように、飢えた子供がまだまだ少なくはない社会で、大人だけが贅沢をするわけにはいかない。
師匠の財をもってしても、この領土に住む者……八万人すべてに満足のいく食事を分け与えることは不可能です。貧困にも関わらず、避妊の文化がないのか、増え続ける子供を口減らし……うまくいけば一攫千金を狙って闘技場に放り込む親。
『172番』の体に乗り移った私が最初に放り込まれたのも、そんな興行でした。
あれはもう、混乱に狂乱でしたね。
わけもわからず巨大な扉の前に連れて行かれて、それが開けば、「行け」なんて背中を押されて……目の前には竜がいたわけですから。ふふ。よくあのガリガリの身体で竜を倒せたものです。
今となっては、魔力を封じられた通常種のドラゴンなど、小指で「ピンッ!」ですが、あの時の私からしたら……あはは。思い出すだけで笑ってしまいますね。
……懐かしいことを思い出したせいで、話がそれてしまいましたわ。師匠の悪い癖がうつってしまったようですね。
昼食後、私とドゥラウスとレオニクスの三人は師匠に託された極秘指令……を実行するため、ヴァルグレン山へ向かいます。
まったく。質素倹約などと言いながら、「ヴァリアントドラゴンの肉って食ったことないんだよなあ」なんて言って将軍クラス三人に狩りに行かせるなんて……人件費の無駄遣いですよね。
まったく。困った師匠のために、急いでぶち殺しに行きましょう。私は竜が嫌いなんですからっ!




