80 とある日の午後に
愛優ちゃんに引っ張られるカタチとはいえ、手首を掴まれていた状態から、いつの間にか手を繋いだ状態に変化していて。
正直、もう昼ご飯なんてどうでもいい。この、今の状態を1分でも、いや1秒でも長く保っていたい。
爽やかな春の風に吹かれて、とは言えない生温かい真夏の風にまとわりつかれてはいるものの、心には清らかな涼風が吹き込んでいる。
愛優ちゃんがオレを一体どこに連れて行こうとしているのかは知らないが、この時間を楽しみたいと思う。
「あれ? 愛優ちゃん、電車に乗るの?」
改札の前で立ち止まる愛優ちゃんに尋ねると、「うん。隣の駅なの」と。
愛優ちゃんと電車に乗ってお出かけなんて、なんだかデートみたいじゃないか?
鼓動が一気に階段を駆け上がった。
落ち着け、空。
そして頑張れ、オレ。
改札を入る前に、残念ながら繋いだ手はほどいたが、それでも楽しく喋りながら彼女と歩くホームは別世界のようだ。
心なしか全てにパステルの魔法がかかっているかのよう。
って、まるで乙女だな。なんて考える自分にひとり笑みを溢していた。
「ん? 空くん、どしたの?」
どしたの? ってなんでそんな可愛い聞き方するの?
覗き込む彼女の瞳に吸い寄せられる。
「お蕎麦食べに行くのがそんなに嬉しいの?」
「え?」
なんで?
「だって、ものすごく嬉しそうな顔してるから。おなかペコペコだったんだね」
え、オレそんなにニヤけていたのか。
わあ、なんか恥ずかしいぞ。
しかもお腹が空きすぎて食べ物のことで頭がいっぱいみたいな感じになってるぞ。
だけど、愛優ちゃんと手を繋いだことが嬉しくて、とは言えるはずもない。
「まあ、蕎麦は好きだけど。てか、食事は何を食べるかじゃなくて、誰と食べるかってのが重要なんだと思うよ」
って、あれ? オレなんかヘンなこと言ったっけ?
愛優ちゃんの顔がみるみる紅くなっていく。
「ん? どした?」
「い、いえ。別に」
なんだなんだ、このビミョーな空気感は。
「暑いから仕方ないけど。しんどかったらムリしないでね」
愛優ちゃんは優しいから、暑くてしんどくてもオレにお蕎麦を食べさせようと、我慢して付き合ってくれているのかもしれないから。
「だ、大丈夫よ」
彼女は顔を赤らめて俯いて返してきた。
「大丈夫? 顔紅いよ」
「え、だって……」
「ん? なに?」
「だって空くんが恥ずかしいこと……」
えー! オレが恥ずかしいこと?
なんだよ、何したっていうんだ?
「なんだよ」
「なんでもない」
「言えよ」
「言えない」
「気になるじゃん」
「だって」
「気を悪くしたなら謝るよ。でも、なんについて謝ればいいのか教えてくれる?」
「いえ、空くんは謝ることじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「……った」
「ん?」
「だって言ったでしょ。『食事は何を食べるかじゃなくて、誰と食べるかってのが重要なんだと思う』って」
「ああ、言ったけど。それがどうかした?」
「嬉しかった」
彼女はそう言うと後を向いてしまった。
オレの心臓は一瞬止まって、そして急激に坂道を駆け上がった。
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