106 とある夏休みの終わりに
午後から愛優ちゃんお気に入りのカフェで待ち合わせをしている。
いつもの4人で、ただ久しぶりにお茶でもしながら話すか、とか。特別な用事はない。
誰が言い出したのか。
約束の時間より少し早めに着き、店のドアを開けようとノブに手をかけると、妙にふんわりと温かい感触がした。
あれ?
オレはドアノブを見つめて、一瞬違う世界に飛んでいきそうなぐらい驚いた。そして焦った。
なんとオレの手とドアノブの間に、ふんわりとした女子の手が挟まっているではないか。
いや、挟まっているというより、彼女の手の上にオレの手がある状態。
驚いたオレは顔から火が出そうなぐらいドキドキして、咄嗟に手を離す。
そういうことには慣れていないから。
「あ、すいません」
オレがそう言うと、「いえ」と短い返事がした。
そこではじめてその女子の顔を見たわけだが、そこで遂に頭から湯気が出た。
いや、実際に湯気が出たわけではないが、そのぐらいこころが沸騰したのだ。
「あ」
オレの声に彼女も顔を上げる。
耳まで紅くなっている彼女。可愛すぎる。
「あ、空くん、早いね」
「そういう愛優ちゃんだって」
あははと笑いながらも、恥ずかしさのあまり会話が弾まない。
だって、ほら。
オレ、シャイだから。
それに奥手なんだ。
硬派なんだ。
まさか愛優ちゃんとこんなところで……いや、待ち合わせてるんだから不思議じゃない。
こんな風に手と手が触れて……ダメだ。ニヤける。
「く、倉井と悟、遅いな」
オレは努めて冷静を装った。
しかし心なしか声がうわずっていたのは言うまでもない。
「でも、まだ時間まで15分もあるよ?」
あ、そうだった。
「そうだな。じゃ、中で待ってようか」
「そうね」
オレがドアを開けて、「どうぞ」と愛優ちゃんを促す。
いつもの席が空いていたので、オレ達は奥の4人掛けのテーブルについた。
それからしばらくして倉井と悟がやって来て、またいつものように下らない冗談を言い合って、楽しいひとときを過ごすことができた。
倉井は時折、超真面目に小難しい話をし出して、要所要所で眼鏡の端を左手でクイッと上げる。
悟は最近、気になる女子がいるみたいで、愛優ちゃんにやたらとその女子のことを聞いている。
愛優ちゃんも少々の困惑を滲ませながらも、楽しそうだ。
やはりみんなでこうやって笑い合えるって、幸せなことなんだなって思う。
何気ない日常は、普段は気づかないけれど、とても素晴らしい時間なんだ。
失ってからその大切さに気づくのだろう。
しばらく経って、倉井と悟が帰ると言い出した。
「え、さっき来たばっかじゃん」
オレが言うと、倉井はニヤリと笑みを浮かべる。
「ちょっと野暮用で」
倉井は眼鏡の端を左手でクイックイッと二度上げる。
「高校生だろっ!」
っと一応ツッコミは入れておく。
高校生の野暮用ってなんだ?
愛優ちゃんとふたりきりになってしまった。
まあ、それは望んでいたことではあるが、いざふたりになると……というか、ドアノブ事件もあることだし、妙にはしゃぎたい自分と、心臓が破裂しそうなぐらいドキドキしている自分がいる。
こんな時、どうしたらいいんだ?
オレがひとりでああだこうだと考えていると、愛優ちゃんが口を開いた。
「ねえ、夕陽が見たい」
愛優ちゃんの女神のような微笑みに、オレの心臓がドキンと大きく脈打った。
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