20 出発
最終日は訓練を行わず、ルートと役割分担について確認した。
「サコタとミヤギは周囲の警戒を行う。ルートと危険場所の指示は俺が行う。フルタは昆虫が近づいてきたら注意点を教えてくれ。マミヤとマカベは脊髄の採取と運搬を行ってもらう」
橋山の言葉に全員が頷いた。
「次にルートだ。地図を表示する」
大型液晶テレビに、私が盗んできた地図が映し出された。
「最初、この漁港に接岸して電気自動車を降ろす。そこから青で表示されたポイントまで自動車で移動する。ここで道路が寸断されているので、後は徒歩だ。
赤で示されているポイントが大型甲虫に襲撃を受けた地点だ。もちろん今回もそこで襲撃を受けるとは限らない。しかし、地形上の理由から、危険昆虫の出現するポイントは一定しているとの報告がある。フルタ、そうだな」
「その通り。例えばクチブトオオハチは、彼らが好んで捕食するコノハカゲロウが発生する川の合流地点に巣を作る傾向にあります。恐らく地図に書いてあるクチブトオオハチ遭遇地点近くには、今も巣があると思います。
人を襲う甲虫で、もっともポピュラーなミナミゴキブリモドキは、暗くて湿った土地を好みます。物陰や舗装されてない場所はミナミゴキブリモドキがいると思ってください。隊員が襲われたのも、立ち小便をしようと道路から出てしまったからです」
「他の三カ所がどういう奴に襲われたか説明してくれ」
「まず、道路が寸断されている地点ですね。ここはどうしても土の上を歩かなければならないので、オオアゴケラが襲ってきます。こいつは普段土の中に潜っていて、獲物が近づくと地表に飛びだして噛み付いてくるんですよ。
最大七十センチのものが確認されています。名前の通り大型の顎を持っている種類で、噛まれれば足が簡単に足が切断されます。ここで自衛隊員が一人重傷を負いました。
もう一つはアカトンビヤンマです。こいつは人間を襲わないんですが、糞が強酸性で一度に一リッター近く出ます。二人死んだうちの一人はこれを頭から浴びちゃったんですよ。こいつはポイントとか関係なく飛んでいますんで、見えたら要注意です。
最後はタイタンチャイロキリギリスです。八キロ地点に森が深い場所があり、奴らに襲われました。体長は四十センチ前後なんですけど、非常に歯が鋭いです。ここで一人死んだのは、首の動脈をやられたからです。
今回の資料に出ているのはこれだけですが、人に危害を加えてくる昆虫は全部で二十一種いると言われています。もっとも半島内すべてを調査したわけではないですから、他にも出てくる可能性があります。
全部解説する時間もありませんので、あと一つだけ要注意の昆虫を上げます。セッコウオオアリです。こいつは体長十センチ程度ですが、集団で襲いかかって来られたらひとたまりもありません。
ただ、視力は悪く、臭いで反応するので、臭いさえ出さなければ襲われることはありません」
「臭い? 香水か」
「そういう意味じゃないんです。血であるとか、糞尿の臭いですね。多少の出血でも反応しますから、怪我をしたら要注意です」
当日の夕方、私たちは再び目隠しされ、別荘を後にした。時間の感覚がなくなってどれくらい乗ったのかわからなかったが、腰が痛み出したので、二時間以上は乗っていたのではないだろうか。不意に目隠しを取り、外に出るよう指示された。
車外は油断していると、飛ばされそうなほど強くて冷たい風が吹いていた。周囲は暗く、どこなのかわからなかったが、風に潮の匂いが混じっていた。海が近いのだろう。
「私についてきてくれ」
フェンスが弱い街灯で照らされていた。橋山はドアになっている箇所へ掛けてある南京錠を取り外し、中へ入っていった。
潮の匂いが更に強くなっていく。目をこらすと、十メートルほど先に、うっすらと中型船が見えてきた。デッキにはクレーンがついているので、作業船のたぐいなのだろう。橋山は振り向きもせず、船から下りているタラップを上っていった。私たちも上っていった。
デッキの上には電気自動車がワイヤで固定されていた。バンタイプの軽自動車サイズで、六人乗るにはかなりきつそうだった。
船中へ入っていく。暖房は効いていなかったが、風がないだけましだった。油の臭いがして、足下からエンジン音が響いてくる。
橋山は私たちを狭い船室へ押し込んだ。時折ドアの向こうで人が歩いている音が聞こえたが、誰かわからない。船員とはなるべく接触させたくないのだろう。
やがてエンジン音が大きくなり、船が揺れだした。一つだけある窓は真っ暗だが、一瞬赤く点滅する小型灯台の光が見えた。船が動き出したようだ。やがて揺れが更に激しくなる。
不安を抱えながら、壁から伝わる振動を感じていた。