勿忘草
「俺、親の都合で遠くに引っ越すことになったから」
三月、春休みに入る前、伶佳(れいか)はずっと好きだった幼なじみの裕司(ゆうじ)に言われた。
学校でお別れ会をしても、終業式を迎えても、伶佳は実感が持てずにいた。
今だって、休みの日はいつも一緒に遊んでいたのに裕司は引っ越しの準備で忙しいからと伶佳一人でなんとなく街をうろついていた。
うつむき加減で歩いていると、突然、目の前に青い小さな花が出てきた。
驚いて顔をあげると、外国人であろう少年とも青年ともつかない人物がバスケットいっぱいに青い花を持っていた。金髪のくせ毛が太陽に反射されてキラキラと輝いている。
「お花をどうぞ。お代はいりませんから」
ああ、花屋の宣伝か何かかと伶佳は思った。エプロンもしているし。伶佳は「ありがとうございます」と言い、花を受け取った。
しかし、この花はなんと言う花なのだろう。それほど花に詳しくない伶佳は花売りに聞いた。
「この花ってなんのお花なんですか?」
花売りは笑って答える。
「勿忘草(わすれなぐさ)です。花言葉は『私を忘れないで』っていうんですよ」
『私を忘れないで』……。その言葉が伶佳の胸に突き刺さる。
家に帰った伶佳は一輪挿しの花瓶に水を入れ、貰った花を生けた。自室の机の上に置いて、じっと勿忘草を見る。
「(私だって忘れないでほしい……。でも、遠くに行く裕司にそんなこと言ったって負担になるだけじゃん……)」
伶佳は机に突っ伏して裕司との思い出を振り返る。
家が近くて幼稚園が一緒だった。いつも帰り道が同じだったから話すようになった。家族ぐるみで仲良くなって、共に出かけたりもした。
小学校も一緒だった。勝ち気な伶佳は男子にちょっかいをかけられることが多かったが裕司がいつも守ってくれた。
中学に上がっても、一緒にバカをやった。たまにやり過ぎて先生に怒られたが、二人して笑った。
絶対に同じ高校に行こう! と誓い合って二人とも受かった時ははしゃぎあった。
いつの間にか、伶佳は裕司のことが好きになっていた。
これからもずっと一緒にいるものだと思っていた。告白なんてしなくても、自然に一緒になるものだと思っていた。
でも、そんなことはないなんて知った現実だった。
「(嫌だよ……裕司……)」
伶佳は人知れず静かに泣いた。
裕司の引っ越しが明後日に迫っても、伶佳は何一つ行動を起こせずにいた。
そうやって今日も街をふらふらと歩く。
「お嬢さん」
『お嬢さん』とは自分のことかと声のした方向を向くと、そこにはこの前の花売りがいた。同じように勿忘草が敷き詰められているバスケットを持って。
「あ……こんにちは……」
「浮かない顔をしていますね」
「いやまあ……ちょっと……」
他人に言えるようなことではない。まして、一度会っただけの者になど。
「お嬢さん、勿忘草のもう一つの花言葉を知っていますか?」
「?」
突然何を言い出すかと思えば。知っている訳がない。
花売りはにこやかに微笑んでバスケットを差し出した。
「『真実の愛』です。お代はいりません。どうか後悔のない選択を」
伶佳はそっとバスケットを受け取った。
家に帰り、自室でバスケットに入った勿忘草を見る。
何故、花売りがあんなことを言ったのか。わからないことはあるが、今は自分のことだ。
「(私を忘れないで……真実の愛……後悔のない選択……)」
なんだか、勿忘草が語りかけてくる気がした。
『僕達は君達のことを応援してるよ』
応援されるなら、それに応えなくては。
次の日、伶佳は勿忘草の入ったバスケットを持って裕司の家のインターホンを鳴らした。裕司が対応して玄関を開ける。
「伶佳、どした?」
たった数日だというのに久しぶりに裕司を見た気がする。
「裕司……あのね……」
心臓がバクバクする。はち切れそうだ。でも言わなければいけない。後悔、しない為にも。
「私っ、裕司のことが好きっ! 向こうに行っても忘れないでっ!」
そう言って伶佳はバスケットを差し出した。
「……」
裕司の沈黙が怖かった。
しかし、裕司は照れくさそうに言った。
「っあ~……遠距離恋愛なんてお前の負担になるだけだから言わなかったのに……。俺のことなんて忘れちまえばいいじゃん……」
伶佳は目を見開いた後、首を振った。
「裕司は! 裕司しかいない! 絶対忘れない!!」
裕司は頭を掻く。
「ホントにいいんだな?」
伶佳は力強くうなずく。裕司は『参った』と体を弛緩させ、バスケットを受け取って伶佳を抱き締めた。
「裕……」
伶佳の心臓が跳ねる。
「メッセは毎日できるし、電話だってする。バイトして小遣い貯めて会いに来る。そんで……」
裕司は伶佳の唇に口づけた。
「大人になったら迎えに来る。待っとけよ」
「う、うん……」
伶佳は勿忘草とは反対に、顔を真っ赤にした。
「あなたは真実の愛を手に入れたのではないです。元から、そこにありました。私と花は少し背を押しただけ。見つけられてよかった」
花売りは歩き出す。また次の花を差し出す相手のところへと。




