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【第12章‑1】 公家の影

天文二十年 九月 京都

京の町に入ったとき、

久秀はまず、空気の“薄さ”に気づいた。

人は歩き、

荷車は軋み、

町家の軒先には商いの気配がある。

だが、堺とは違う。

声が上がらない。

ざわめきが、どこか深いところへ沈んでいく。

その静けさの中で、

路地の奥から一人の男が姿を現した。

年は五十ばかり。

着物は地味だが、

歩みに無駄がない。

目だけが、静かに光っていた。

男は久秀の前に立ち、

柔らかい京都弁で言った。

「……あなた様が、三好殿の近習にならはったお方どすな。」

久秀は姿勢を正し、

武士としての礼をもって軽く頭を下げた。

「松永久秀と申します。」

男は一歩近づき、

久秀の顔を静かに見た。

その一瞬で、

久秀は“見透かされた”と感じた。

目の奥まで、静かに。

男は言った。

「よう観てはりますな。

京の空気に、すぐ気づかはった。」

そして深く頭を下げた。

「茶屋四郎次郎どす。

今日から、あなた様の案内を務めさせてもらいまひょ。」

四郎次郎はゆっくりと歩き出した。

「まずは、公家町どす。

京は声よりも、静けさで物ごとが動きますさかい、

その静けさを見てもらいまひょ。」

久秀はその後ろに続いた。

通りのざわめきが薄れ、

町家の並びが静かな屋敷へと変わっていく。

門は高く、

塀は白く、

人の気配はあるのに、

声がまったく聞こえない。

久秀は思わず足を止めた。

「……誰も、話していないのですか。」

四郎次郎は、

静かに笑った。

「公家は声を上げはりまへん。

せやけど──」

屋敷の奥を指す。

「声を出さへん者ほど、重うおす。」

風がひとすじ、

塀の上を渡っていく。

その風の中に、

久秀は確かに“何か”を感じた。

声ではない。

姿でもない。

ただ、

沈黙の奥に沈んでいる“重み”。

四郎次郎が言う。

「京はな、言葉よりも、

言わへんことの方がよう動きます。」

久秀は息をのんだ。

その言葉が、

胸の奥に静かに落ちていく。

ここから先、

久秀は“沈黙の政治”を歩くことになる。


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