【第2章‑5】 身体で覚える
湯気が静かに立ち、香が細い線を描く。
手の動きが部屋の温度を落ち着かせ、
何も置かれていない畳の濃い部分が中央に残ったころ、
部屋の中の動きがひとつの方向へ流れた。
久秀は、その中に立っていた。
立つだけで、胸の奥の温度がゆっくり整っていく。
祖母は茶碗をひとつ、久秀の前に置いた。
その動きは湯気よりゆっくりで、香の線より細く、
茶碗の下の暗い部分が深く広がった。
「久秀。ここに手を出してごらん。」
声は低く、やわらかかった。
久秀は茶碗の下の暗い部分を見る。
暗さは深く、ほとんど動かない。
その落ち着いた色が、部屋の温度と合っていた。
祖母は湯をすくい、茶碗に注いだ。
白い湯気がふっと立ちのぼる。
香の線と重なり、茶碗の下の暗い部分へ吸い込まれていく。
その瞬間、胸の奥で温度がひとつ動いた。
湯気の流れが呼吸と合う。
香の線が胸の奥へ入っていく。
茶碗の下の暗い部分が広がり、
手の動きが一定になり、
畳の濃い部分がゆっくり受け止める。
それらが、ひとつにまとまった。
祖母は久秀の手に茶碗を渡した。
「考えなくていいよ。
そのまま持ってごらん。」
久秀は茶碗を両手で包む。
温度が手のひらから腕へ、胸の奥へ広がっていく。
湯気が左右に流れる。
香が細く伸びる。
茶碗の下の暗い部分が深くなる。
畳の濃い部分がゆっくり息をするように広がる。
そのすべてが、久秀の身体の中で一本の線になった。
久秀は茶碗をそっと置いた。
茶碗の下の暗い部分が広がり、すぐに元の大きさに戻る。
その変化が、胸の奥の温度と同じ動きをした。
祖母は久秀の顔を見た。
「うん。今のでいいよ。」
久秀はゆっくりうなずく。
言葉はいらなかった。
身体が、すでに動きを覚えていた。
湯気、香、茶碗の下の暗い部分、手の速さ、畳の濃い部分。
そのすべてが久秀の“見る力”と結びつき、
身体の奥に静かに入っていく。
形でも言葉でもなく、
部屋の中の小さな変化が流れていた。
その変化を読む身体が、
久秀の中で確かに育っていた。
これが、
静かに始まった“身体の動き”だった。




