第9話 世界の異変
「要するに勇者……様達は、師匠を仲間にする為にここへ来たんですね?」
「はい。ですがその役目は愛弟子に譲ることにしましたー」
玄関に入ってすぐのリビングで、5人はテーブルを囲んでいた。フェリの隣にラキア、向かいに勇者一行が座っている。
その内の約2名が射殺さんばかりの視線をフェリに向けているが、同じ方向を向いている勇者は気付いていない。
ラキアは当然気付いているだろうが、彼が注意してくれる事などフェリは端から期待していないので、甘んじてその殺気を受けるしかなかった。
「そんな役目譲ってくれなくて良いです。いってらっしゃい師匠」
「フェリ……いくらこんな辺境に住んでいるとは言え、貴女にはそれなりに世間の情勢は教えて来たはずですよ。ヴェルヘルム帝国が最近不穏な動きをしている事は、貴女も知っているでしょう」
「……魔王、ですか」
イグスロード大陸の現在の魔王――それは、大国ヴェルヘルムの皇帝ユベルギアスだ。
というのが世間の常識になりつつある事は、フェリもラキアから教えられて知っている。
そして大国が不穏な動きをしていると聞けば、まず真っ先に『侵略』の文字を浮かべるのは自然な流れだろう。
「そうです。今、世界はギルド組織の発展で国同士の交流も盛んで、概ね平和と言えます。それは他国を侵略出来ない『理由』があるからですが……もちろんそれは知っていますね?」
「はい。不可侵結界のことですよね」
200年ほど昔、あらゆる種族を巻き込んだ大戦争が起こった。
統一戦争と呼ばれたそれは多くの小国を飲み込み、やがてヴェルヘルムとローグセリアのほぼ一騎打ちとなる。
その時、何処かより現れた勇者によって各国境線に結界が張られ、ある制約により他国を1ミリも侵せなくなってしまった。その結界というのが、不可侵結界と呼ばれている。
それらを淀みなく答えるフェリに、ラキアは満足そうに頷いた。
「流石は私の弟子です。大国のヴェルヘルムやローグセリアと隣接していながら、3つの小国が生き残っているのはそれが理由とも言えます。ですがどうも、その結界が弱まっているようなのです」
「そりゃまぁ、200年も経てば当然な気もしますけど……」
大陸全土に行き渡るほどの結界――それは、勇者という膨大な力の源があったからこそ成し得たものだ。
200年も維持出来るというだけでも、当時の勇者が神にも近い力を持っていたのは間違いない。
なぜ彼がそんな力を持っていたのかは、誰にもわからなかったが。
「もっと保たれても良いくらい、すごい結界なんですよ? だからこそ、弱まっているのは何らかの意図が働いているのではと各国の要人は考えています。そして、その原因がヴェルヘルムにあるとも」
「それはわかりました。で、なんで私が行かなきゃならないんですか」
「勇者殿に、魔術を教えて差し上げなさい」
「え……私がですか!?」
ラキアの言葉は、フェリにとって予想外だった。
せいぜいお付きとして身の回りの世話をしてやれという話だと思っていたからだ。
確かにラキアからは大賢者の知識を存分に伝授されているが、自分の魔力制御もままならないのに他人に教えるなど考えられない。
「勇者殿はこちらの世界へ来て日が浅いですから、教える人間が必要なのですよ」
「人に教えるなんて出来ません! 自分の制御も出来ないのに……それこそ師匠がやれば良いじゃないですか!」
「私はどうしても外せない依頼があるんですよ。貴女には充分な知識を授けてありますし、私より高い魔力も持っています。貴女も大賢者の弟子として、そろそろ人に教える事を覚えても良い頃です」
「珍しく賢者っぽいこと言ってますけど、単にめんどくさいだけですよね。嫌なら断ればいいじゃないですか!」
「フェリ。私だって本当は世界平和の役に立ちたいと思っているんですよ? ですが寄る年波には勝てなくて……私も弟子の成長の為、涙を呑んで譲っているんですー」
「なに年寄りぶってんですか! 大賢者は若いまま人生3回分は生きてるって、世間じゃもっぱらの噂ですよ!」
弟子であるフェリも、ラキアの本当の年齢は知らない。
わかっているのは、少なくとも自分がここへ来てからの10年間、彼の容姿が全く変わっていないという事だけだ。
思わず立ち上がって抗議する弟子に、ラキアは諭すような眼差しを向けた。
「私は心配しているんですよ? その歳で依頼の手伝いを続ける生活は、健康的とは言えません。こんな森の中で一生を終える気ですか」
「師匠が私の健康を気遣って下さってるとは思いませんでしたね」
「この家では毒薬なんかも作っていますからね。ずっといると長生きできませんよ。私の様に髪が毒色に染まってしまうのは嫌でしょう?」
「別に……師匠の髪を嫌なんて思ったことないです」
むしろ、好きだ。嫌味っぽい所はあるが、フェリは家族であるラキアを嫌いだと思ったことなど一度も無かった。
自分のローブも、ラキアの長い髪と同じ紫色をしているからこそ気に入っていたくらいだ。
どうしても旅に出したい様子のラキアに、フェリは段々と寂しい気持ちが込み上げて来た。
「おや、嬉しい事を言ってくれますねー」
「師匠、私はここに……!」
「世界の平和の為だ」
尚も食い下がろうとするフェリの言葉を、今までずっと黙っていた勇者が遮った。
力強い黒の瞳に見つめられ、フェリは少しだけたじろいでしまう。勇者としての威厳の様なものがある気がした。気のせいかもしれないが。
「このままでは、また戦争が始まる。それを止める為に力を貸して欲しい。キミの事は私が守ろう」
「…………」
「それともキミは、師より高いと言われるその魔力を、人々を救う為に使おうとは思わないのか?」
「思いません。他人の事なんてどうでも良いですし、私に人助けなんて出来ません!」
「フェリ? 待ちなさ……」
ラキアの制止を振り切り、フェリはリビングから飛び出した。
後ろ手に扉を閉めると、マリアーナのよく通る声が扉越しに放たれる。
「まあ! なんなんですの? 急に飛び出したりして失礼な!」
「すみませんねー。あの子には少し考える時間をあげて下さい」
「いや、急な話で戸惑うのは当然だ。一晩じっくり考える時間くらいは必要だろう」
「そうして頂けると助かりますー。みなさんは、今夜もここに泊りますか?」
「ああ、頼む。……しかし、あの客室には驚いたな。こんな小さな家のどこにあんな広い部屋が?」
「小さいとはご挨拶ですねぇ。大賢者に不可能はありませんからー」
「……っ……!」
のん気な師の声に居た堪れない気持ちになり、フェリは自室への階段を駆け上がる。
部屋に入ってしばらく顔を俯かせていると、自分がいつものローブを着ていないことに気付いた。
「あ、そっか……置いてきちゃったんだ……」
何もかも失くしてしまった様な気がして、フェリの視界がじわりと揺らいだ。
-------------
「フェリ? 一緒に夕食を食べませんか? みなさんも待っていますよ」
「……欲しくありません」
陽がすっかり沈んだ後も、フェリは自分の部屋から出ようとしなかった。
夕食へ呼びに来たラキアに扉越しで返事をしながら、フェリは窓際で物思いに耽っている。
(私が断ったって……行くしかないのよね……)
この家の主はラキアだ。彼が行けと言うのなら、自分はここを出るしかない。
ラキアの気配がため息とともに扉から遠ざかるのを感じ、フェリは窓台に突っ伏す様に顔を埋める。
その時、開け放った窓から入り込んできた風が、フェリの銀の髪を少しだけ揺らした。
「フェリ? なにしてんの?」
「え……?」
今となってはすっかり聞き慣れた声に、ハッとして顔を上げる。
大きく見開かれたフェリの金の瞳が、月の光に重なる様にして瞬いた。
「デュオ……」
夜陰に乗じて生きる、暗殺者――月明りを背にした彼が、いつもと同じ飄々とした仕草で窓枠に足を掛けていた。